とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

西郷どん〜第3話

色々言われている”西郷どん”。
どちらかと言うと、あまり芳しい評価はもらえてないみたいですね。

演出もベタすぎて、観ていると背中が痒くなってきます。
でも、我慢して観ている。
やっぱり地元なんで。
こんな時だけ、地元愛。
放映時間にガチで観ると、痒さマックスでさすがに落ち着かないので、録画して翌日に家事をしながら流し見してます。

突っ込まれる最大の理由。
思うに、ツッコミどころがたくさんあって、突っ込みやすいからじゃ無いかと。

そのツッコミどころの第一位である鹿児島弁。
三話目ともなると耳が慣れてきたのか、あまり気にならなくなってきました。

お話の中では、相変わらず皆さん貧しくて、お金に苦労しております。
下級武士の家は、ほとんど農民と変わらない生活の上、体面を保つため借金を重ねていたことや、畑が無いと実際に食べて行くことも出来なかったことなどが、語られています。

そういえば、祖母の生家も元は郷士の家だったそうです。
霧島の山岳地帯ですから、西郷さんたち下級武士の更に下。
西郷家は下級武士とはいえ、城下に家もあって、藩主や家老と会話ができる(面通りができる)階級。
祖母の家はそれすら叶わぬもっと下。
ほとんど農民と変わらない階級&生活だったと思うけど、やっぱり言葉の端々に時々「農民の出とは違う」というプライドが感じられたものです。

商人よりも上のはずの武士が、頭を下げてお金を借りに行くシーン。
ここまで露骨でベタな演出もちょっとねぇ、、、(~~;;)と思ったけど、風間杜夫のコミカルな演技のおかげで、なんとか見られる。
それほど背中も痒くならずに済みました。

それにしても鈴木亮平さん、毎回豪快に這いつくばって『待ってたもいやんせっ』とか『お願いしもんそっ』とか言ってますけど、薩摩に限らず武士は非常に体面を重んじていたと思うので、そうそう簡単に人に頭を下げたり、ましてや土下座してまでお願いしたりは、しなかったと思うのですよ。

そういうとこ、なんかすごい違和感。

ここで少年時代の中村半次郎が出てきました。
のちの桐野利秋となる人ですけど『人斬り半次郎』の名前の方が印象深い。
とはいえ、小説の方は読んでないのですけど。
イメージにたがわず子役の男の子が、眼光鋭くて構えも格好いい。
今回の大河ドラマも、子役さんたちがいいので、水戸黄門レベル以下の演出でも、まあ観てもいいかな、と言う気になる。

ところで、示現流(自顕流)について聞いた話。

古武道をやっている人から聞いた話です。
示現流というのは、薩摩藩独特の剣法ですが、原理は勢いと力で相手の刀ごと上から叩き潰すというもの。
斬殺というより、撲殺に近いのだそうです。
示現流の名手に襲われた武士が、つい自分の刀で受けてしまうと、自分の刀ごと押し込まれてやられてしまうので、刀の鍔のところが眉間や顔に刺さって独特の傷が残るのだそう。

そういえば子供の頃、祖父母とよく見てたテレビの時代劇(再放送だからかなり古いものでしたっけ)で、辻斬りの被害者なんかを銭形平次や遠山の金さんが検分するとき、ちょっと筵を持ち上げて見ただけで『こいつぁ、薩摩の太刀筋だな』とか断言しているシーン。
あれって、番組構成上、時間短縮のためのシーンだと思ってた。
刀傷だってことはわかるだろうけどさ、そんな、誰に切られたか、チラ見だけでわかるんかい、って子供ながらに突っ込んでた。

ところが本当に示現流の被害者は独特の傷が残るので、すぐわかったらしい。
そして、当時の時代劇を作っていた&見ていた年代にとっては、そのことはまだまだ常識だったので、あのシーンはいちいち説明されたなくても当たり前、だったのだそうです。

知らなかったわ〜。

勉強になります、時代劇。

さてそうこうするうちに、西郷どんの恩師である赤山靱負が切腹になってました。
あの沢村一樹の安定した鹿児島弁は、唯一ハラハラしないで聞ける鹿児島弁だったのに、、、(涙)。

お世話になっている美容師さんの高校の先輩だそうです。
普通に気さくなカゴンマのおっさんですよ〜。
と言ってました。

キングスマン ゴールデンサークル〜を観てきました

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相方のおじさんが「今年は007やんなかったねぇ」と言う。
言われてみれば、確かに、毎年お正月のこの時期はダニエル・クレイブの悪党面の映画CMが流れていて、「やっぱ、ダニエル・クレイブは悪党向きの俳優さんだよね〜」などと勝手なことを言っていたのが、今年は、無い。

なんだかんだ言って、おじさんはこの手の映画大好き。
派手に車をぶつけまくり、ヘリコプターも落ちまくり、建物爆破しまくり、なのに主人公はほとんど無傷、がお約束のこのアクション映画は、清々しいまでに何でもかんでも、派手に壊してくれます。
ゴージャスな女優さんたちも、演技力なんか全然いらなくて、綺麗なお顔とセクシーな身体だけで選んでますけど何か?と言わんばかりの割り切り配役。
セリフもほとんどないから、字幕を読むのも話を追うのも楽チン。

そんな娯楽映画が無いなんて。。。
寂しげなおじさんに付き合って、キングスマン、観てきました。

ここからはしっかりネタバレしてます。
今から見に行こうと言う方は、ご注意を。

と言いつつ、私もキングスマンは割と好きだったりする。
コリン・ファレルも好きだし。
マーリン役の俳優さんも大好き。
プラダを着た悪魔でゲイの編集者薬をやってましたけど、スキンヘッドでスタイリッシュなファッションが決まってましたっけ。

格好つけてるシーンなのに、ちょっとクスッとしてしまうのは、主役のタロン・エガートンくんがチビだから。
いい感じに外してくれているような気がします。

イギリス人のユーモア、なんでしょうかね、ちょっとハリウッド映画にはない悪趣味さもね。

さて今回のキングスマン、エグジーくんてば、なんと前回の最後のほうでいい感じになってたスウェーデン王国の王女様と付き合ってます。
スウェーデン王室は庶民的で開かれた王室として有名だそうですが、こんな風にいじっちゃっていいの?
日本だったら、佳子さまあたりと付き合ってるって話ですよね?

そして、仕事帰りのある夕方、職場であるキングスマン服店を出たところで、かつてのライバル・チャーリーに襲われるエグジー。
チャーリーは前回を生き延びてサイボーグ化しておりました。
しょっぱなから派手にやってます。
どうでもいいけど、ちっちゃな軽自動車サイズのタクシーキャブの内部がどうしてこんなに、ゴージャス??
コンピューター制御のあれこれはいいとして、なんでバーまでついてるのさ。

そういえば、この映画、とにかくほとんどの登場人物が飲んだくれている。
二人以上の人間が集まるシーンは常に、酒が注がれているような気がする。
特に今回は、舞台の一部がアメリカはケンタッキーのバーボン工場。
酒造業に携わるアメリカ版キングスマンの本拠地です。
ここのボスはほぼほぼ、呑んでたな。

今回の悪役は、あのジュリアン・ムーア
前回のサミュエル・ジャクソンといい、オスカー俳優が、それはそれは楽しそうに悪い役を演ってます。
ジュリアンは妙な可愛い系の悪い人。
可愛い満載だけど、妙に男性に媚び媚びな可愛さでないところがいいね。
最後は、ヘラヘラ笑いながら死んじゃってあっけなかったけど。

ジュリアン扮する麻薬王ポピーと組んだチャーリーに、アジトを破壊され仲間を殺されたエグジー。
一人生き残ったマーリンとともに、キングスマン創立の謎と縁をたどってアメリカへ向かいます。
そこには、キングスマンと同じような組織ステイツマンがありました。

なんかね、もう世界観が小学校の男の子。

そして、なんとステイツマンの地下基地に前回、サミュエル・ジャクソンに撃たれて亡くなったはずのハリーが。
平和維持のため、モニタリングを欠かさないステイツマンのエージェントがハリーが撃たれた直後にハリーを回収し、治療をしていたのでした。

って、死体がなければおかしいって、普通気づくやん。

治療の副作用で記憶喪失になっていたハリー。
自分は、蝶々の研究者だと思い込んでいます。

仕方なく、ステイツマンのエージェント、テキーラと組むことにするエグジー。
しかし、テキーラは麻薬使用者で、ポピーが供給した麻薬を使用していたため、ポピーが仕掛けたドラッグウイルスに感染していました。
使い物にならず、治療法が見つかるまで冬眠させられるテキーラ
代わりに組んだのがウイスキー
名前だけで、酔っ払ってきそう。

さて、麻薬王にして天才ポピーは、麻薬によって莫大な利益を得ていましたが、麻薬取引が違法であるため、カンボジアの僻地に隠れ住んでいなくてはならず、そのことに飽き飽きしていました。
それで、麻薬取引が違法でなくなれば、自分も隠れなくて済むじゃない、と思いつく。
だって、麻薬以上に依存性があって精神変調作用のあるアルコールや砂糖の会社は、合法なんだもの。

そしてアメリカの大統領に掛け合って大統領令を出してもらえばいいじゃない、と思いつく。

そう言うものなんだろうか?
アメリカファーストのトランプさんが喜びそう。
これもイギリス流のユーモア?

取引の材料として、世界中の麻薬使用者へ提供する麻薬にウイルスを仕込んだのでした。
感染者は、まず青いシミが全身に浮き出てきて、次に躁状態となり、踊り出します。
それから、全身硬直となり、最後は呼吸筋が麻痺し窒息して死ぬ。
窒息して死ぬ、と言ってるけど、感染者は最後は鼻血が出て、目からも血が出てる。
なんか違くない?
英語が聞き取れてなかったかしらん。
なかなかに激烈な感染症ですが、もちろん、ポピーは即効性のある治療薬を用意してました。

ま、とにかくそうやって、世界中の麻薬使用者数億人を人質にして、大統領に交渉してきたわけです。

世界中大パニック。

合衆国は、いち早くスタジアムを病院に改装して感染者たちを受け入れます。
と言うのは見せかけで、実は檻に収容してたのでした。
大統領は「麻薬使用者が一斉に死んでくれたら、麻薬関係の犯罪も無くなって一挙両得やん、交渉に乗ったふりだけしとこう」と言う方針だったのです。

ステイツマンは人々を助けるために、治療薬を盗み出し、自分たちで増産することにします。
協力するエグジーたち。
その過程で、ハリーの記憶が戻ったり、エグジーの恋人がエグジーと喧嘩してた時に吸ってた大麻のせいでポピーのドラッグウイルスに感染してしまったことがわかったり、、、
って、スウェーデン王国の王女様ですよ、大麻とか吸わせちゃっていいのか?

ハリーの記憶は戻ったものの、不安定で、以前のようなキレッキレのアクションはできない状態で、しかも時々、蝶々の幻覚も見えるし、と言うものでした。

ハリーのいつものアクションが、決まらずに間抜けな空気になってしまうとこが面白い。
確かにね、スパイものとか見てるとよく、腕時計あたりからちっちゃな針がピュンって飛んで、それで、警備の人がバタって倒れてるけど、あんなにちっちゃいのに、なんであんなにちゃんと当たるんだ?って誰もが思ってたよね。

おまけにステイツマン側のエージェント・ウイスキーを裏切り者だと、撃ってしまうハリー。
ウイスキーは、エグジーに治療されてステイツマンの基地で、無事復活。
記憶喪失にもならず、急ぎエグジーたちを追います。

ポピーの潜伏先を見つけたハリーとエグジー&マーリン。
3人で、治療薬を手に入れるためカンボジアへ向かいます。

最後は、ポピーの基地であるポピーランドでの戦闘。

に入る前に、マーリンが地雷を踏んで亡くなります。
最後に、カントリー・ロードを熱唱して。
この俳優さん、好きだったのに、、、(涙)
ま、劇中に『死ぬ』のが役としては一番格好いい終わり方、だそうですから。

そうそう、すっかり忘れてました。
ポピーランドには、エルトン・ジョンエルトン・ジョン役で出てきます。
ポピーに誘拐されてきていた、と言う設定。
最後は、自身のヒットメドレーに合わせてハリーたちと一緒に楽しそうに戦ってました。

この戦いシーン。
傘を防弾の盾にしたり、ヴィトンのカバンが機関銃になったり、そのまま広げて人サイズの防弾盾とか、見ていて思い出したのは、うちの虫太郎が保育園児の頃、なんでも手にしたものを武器に見立てては戦ってた姿。

そうなんです、キングスマンって、ほとんど保育園児の妄想の世界。
悪趣味だけど、なんか笑える。

さて、クライマックス。
ステイツマンの基地からハリーたちを追ってきたウイスキー
援護のために来た、と思わせて、実はやっぱり裏切り者、でした。

とは言っても、彼は誰のために働いている、と言うわけではなく、昔の恋人が麻薬のディーラーに殺されたため、麻薬使用者たちを憎んでいたのでした。
なので彼も「麻薬使用者たちはポピーのドラッグウイルスで死んでしまえっ、その方が世の中よくなるわい」と言う意見の持ち主だったのです。

エージェントVSエージェントの激しいアクションの後、なんとかウイスキーも倒して、治療薬を手に入れ、世界を救うハリーとエグジー。

ポピーの隠れ家は、カンボジアの密林の中に無理やり作ったアメリカの街並み。
エステやボーリング場、それにハンバーガーショップがあって、巨大なミンチ用のミンサーがありました。
ポピーはそこに犠牲者を放り込んで、ミンチを作ってたのです。
わざわざ逆さまにして死体をミンサーに入れるシーンは、どう見たってファーゴのオマージュ。
そのミンチで、ハンバーグを焼いていると言う、かなりグロいことをしているのですが、ジュリアン・ムーアがやけにあっさり軽いので、あんまり気にならない。
そういえば、前回も、サミュエル・ジャクソンが仕込んだ爆弾のせいで、パーティに集まった人々の首がポンポン花火みたいに飛ぶシーンも、あんまりグロくなくてあっさりしてたっけ。
こんなところが漫画っぽい。

全然深刻さがない、肩も凝らない、アクションたっぷりの気楽に見られる映画でした。
そして、男性のファッションが言うまでもなくおしゃれ。
多分、おしゃれに興味があるおじさん、お兄さんにはいい参考になるんじゃないでしょうか。

『自分へのご褒美』はお金がたまらない習慣の一つ〜を読んで

今年53歳の私。
この先少なくとも12年、もしかしたらそれ以上の年月、働き続ける予定にしております。
だって、そうしないと年金もらえないし、もらえても暮らしていけないし。

逆に、開き直って働き続けることにしたので、あんまりキリキリ眉間にシワ作ってまで切り詰めなくてもいいかなぁ、と思い始めている今日この頃。
やっぱり、日々のゆとりも欲しいですよね。
この先、なが〜く働き続けるためにも。

そんなところに、こんな記事を発見。

www.msn.com

はっきり言って、痛いところをピンポイントで突かれました。

そもそもなぜ、わざわざものを買ってまで自分を自分で褒めてあげなくてはいけないのか?それはストレスマネジメントがうまく行っていないからではないだろうか、と著者は言います。

無意識のうちに、日常的に自尊心が満たされない不満が蓄積している。それらを解消するため、自分で自分を褒めることで、達成感を得るとか、気分的に区切りをつける必要があるのでないか、と分析しています。もちろん他の理由も考えられますが、自分の努力や成果や存在価値といった、いわゆる自己肯定感が得られないストレスが蓄積していることは間違いないでしょう。

『自分ご褒美』と言うと、なんだかちょっと素敵な感じの言葉で、私もよく使ってたな。
特に、服やバッグなどのファッション関係。
ふと入ったお店でこれぞ”運命の出会い”みたいに思えちゃう物って、よくあるんですよ。
でも今思うと、この言葉、実は自分に対するただの都合の良い言い訳、だった。

他にも、『自分が一番自分の欲しいものを知っているのだから、自分に一番欲しいものをプレゼントしてあげるの』とか、鏡の国のアリスで出てくるハンプティ・ダンプティの言う所の『誕生しない日のプレゼント』とか。
都合のいい言葉、使ってたな。

子育てやらローンやらでストレス最高潮、と言う時期ほど、そう言う言葉を使っていたような気もする。

いた、、、などと過去形でゆうておりますが、本当は現在進行形で使っている( ̄ロ ̄lll) 。

使うお金が少なければ、稼がないといけないお金も少なくて済むし、蓄えておくべき貯金も少なくて済むはず。

それには、食費や光熱費などを見直すことも大切だけど、それよりも何よりも、年がら年中『自分ご褒美』がないとやっていけない自分、突然、発作的に浪費してしまう自分、と言う”食わせ者”を見直すことが重要。

でないと、せっかく日々コツコツ食費や、光熱費、日用品の節約をしても、いつの間にか『自分ご褒美』に消えてしまいますもの。

よくわからないけど、なぜかお金がたまらない我が家。
そんなに贅沢しているつもりはないのにな、これってひょっとして?と薄々感じてはいたのです。

もちろん、少しは自分をねぎらってもいいよね、と思うときは良くある。
仕事だって、自分の好きなことだけして、自己実現を果たしているわけじゃないし。
どちらかと言うと、我慢してお金をいただいている、ってことのが絶対多い毎日です。
でも、だからっていちいち自分を甘やかすのは、もうやめよう。
もういい大人なんですから。

自分へのご褒美を買おうと思ったら、ちょっと立ち止まり、「はて、自分はどうしてご褒美が欲しいと思ったのだろう?」「ご褒美を買うと、自分の中のいったいどういう感情が満たされるのだろう?」と振り返ってみることです

このアドバイスを肝に命じて『自分ご褒美』関連出費、を見直そうと思います。
著者も言うように、実際はそう簡単にはいかないでしょうけど。

まずは自分に言い聞かせることくらいは、しようと思うのです。

西郷どん〜なるほどそうだったんだ

『西郷どん』関係の記事を、最近よく目にします。
今日は、こんな記事を見つけました。

thepage.jp

この記事は面白かったです。

そうなんだ、なるほど!!
と勉強になった。

東京育ちの私にとって、西郷さんはやっぱり上野のでかいおっさんの像。
着流しだし、裸足でゲタばき、犬がついているし、それに、近くで見ると肩や頭に鳩のフンがいっぱい乗ってて、確かに威厳、からは程遠いお姿。

上野の西郷さんぞうは、地元鹿児島ではあまり評判良くないですね。
実際、市立美術館の近くに立ってる西郷さんは軍服姿で、威風堂々としています。
鹿児島人にとっての西郷さんは、こっち、なんだろうな。

西南戦争については、地元ですから割と、『実は先祖が参戦していて』という話を聞きます。
無事生き残ってその後、役人となり最後は町長として地元の振興に力を尽くした、とか、地元の名士になった人も多いようです。
明治政府は、割と、国賊扱いもせず県の役人として重用したみたいですね。
体制が変わって教育もあって優秀な人は、いくらでも欲しかった時代だからでしょうか。

一家の男子がみんな、西南戦争に参戦してしまい、女子供だけになってしまったところに、官軍が攻めて来るという噂が流れ、一家で山に隠れた、という話も聞いたことがある。

その時、家の主人の妻がもう孫もいるようなお婆さんだったけど、一人で家に残ったそうです。

皆が家を空けてしまえば、家の名折れになる。
自分は女で年寄りだから、官軍も大した狼藉はしまい。
そして来たばかりの若い嫁に『私は、いざとなったら自害すれば良いが、あなたには家を残すという役目があるのだから、逃げて生き延びなさい』
と言って、一人残ったそうです。
薩摩の女性は、そんな風に強かったのです。

そういう話を聞くと、歴史って今に繋がってるのだな、と思います。

そういえば、以前の職場の先輩で、ご先祖がなんと桜田門外であの井伊直弼を切った犯人の一人だった、という人がいましたっけ。

さて、ここで歴史に詳しい方は、あれ?と思ったはず。
桜田門外で井伊直弼を襲ったのは、水戸藩士(元)だったはずでは?

そうなんです。
そして、水戸藩を脱藩していたその人は、当時は水戸藩と仲の良かった薩摩藩に逃げ込み、鹿児島まで逃げ延びたのでした。
その後、鹿児島の武家の家にお預かりとなり、そのまま婿養子としてその家を継いだのだそう。

こんな話も歴史と現在とは繋がっているのだな、と実感する実話です。

西郷どん〜『女性目線の史実再話』と言われても

yahooでこんな記事を見つけました。

headlines.yahoo.co.jp

この記事によると、今回のNHK大河ドラマ”西郷どん”は、今までの西郷隆盛像を大きく変えるべく女性目線で、新解釈したものだ、と言うことです。
それはね、わかってますよ。
最初から。
原作も林真理子だし。
でもね、それにしても

西郷の3人目の妻・糸が、子ども時代の西郷とその仲間たちにこっそり混じっていたというシーン。女子であることが見つかると「女だって勉強や相撲をしたい!」と泣きながら去っていく。それに衝撃を受けた西郷が、女性の格好で世間を歩いてみて、「女は道の真ん中を歩いていたら殴られる」「洗濯物さえ、男と女は別に洗わねばならない」「女は、損だ」と知り、問題意識を持つようになるという流れ。

は、やっぱり変、だと思う。
原作にもない、演出だそうですが。
(やっぱり、林真理子は無実だった)

だいたい、いくら当時の男尊女卑が強かったとは言え、それを一人の勝気な少女が、あえて男装してまで、男子に混じって活躍し、その正体がバレて、泣きながら去っていく、、、って。
幾ら何でも、安易すぎるよ、と言うか、就学前の女の子向けのアニメ並みの設定だと思うのですけど。
(安直すぎて、アニメの設定にもないか)
大河ドラマを見ている視聴者の年齢を、何歳だと思っているのだろう。

そんな時代の出来事をエンタメとして成立させるためには大胆な読み替えや言い換えがなければ受け入れられにくくなるほどに、私たちの感覚は遠いところまできた、価値観が進化したとも言えるかもしれません。

と、言われてもねぇ。
今時の中高生だって、昔は階級差別や、男女差別がいまより克明に存在したってことくらい知ってると思うし、何もわざわざ『女の子が男装して〜』などと言う、どう考えてもありえない演出をしなくても、もっと、より現実的な形での表現もあったと思うのです。

例えば、実際の放送でも、主人公のお母さんが、炊事をしながら耳で聞き覚えた講話を諳んじているシーンがありましたけど、同じように、そばで家事手伝いをしながら、聞いているだけの女の子(糸さん)の方が、男の子たちよりもよく勉強ができて、勉強ができなくていつも叱られていた主人公が「自分の代わりに、勉強すれば?」といったら、屈折した表情で「女の子は勉強したらダメだから」と答えて「え!?そうなの??」となる、とか。
妙円寺の競争で僅差で負けて悔しがる主人公が、糸にディスられて「お前が出てたら、勝てたのに」と愚痴ったら「女の子だから出られないし」と返されるとか。

女装して歩いたら、女性の受ける差別がわかった、と言うくだりは、まあ、あってもいいかもしれない、けどね。

”女城主直虎”が、史実に存在しない人物であったにも関わらず面白かったのは、財前直見の演じた直虎の母を始め、出てくる女性たちがみんな、それぞれ強くて、それがちゃんと女性的に強くて、きっと戦国時代の女たちは、皆こんな風に強かったのだろうな、と思えるほど現実的だったから。
彼女たちは、わざわざ”男の子の格好”でこっそり”男の子の祭”に紛れ込んだり、バレて泣いたりなんかしなかったけど、ちゃんと自分のいる立ち位置で、強かった。
だから面白かった。

正直言って、今回の不評極まりない番組をなんとか持ち上げて褒めるために、無茶なアクロバット説を繰り出して、失速した?とうがったことを考えてしまう記事でした。

本音は最後の一文

鈴木亮平さんの卓越した演技力、何よりも本音は鍛え抜かれた美ボディーを毎週めでていきたいと思います!

にあるのかな、と思ったのでした。

私の人生、今が底 !?(・_・;?

ネットの記事をあれこれ読んでいたら、こんな記事がありました。

www.lifehacker.jp

そうなの?
私の人生、今が『底』なの?

記事によると、50代ともなるとキャリアがピークを迎える(=頭打ち?)からだし、子供についての心配事が深刻になってくる時期だかららしい。
そうね、確かにもう今の年齢になると、この先の昇進の可能性もある程度わかってくるだろうし。
子供なんて、思ったようには絶対育たないものだし。

とはいえ、本人的にはあんまり実感が、無い。
ということは、幸せな人生なのかしらん。

もともと、学校が嫌いで、学校に行くのがすごく辛かったので、学校を卒業したあたりから、幸せ度はじわじわと上がって行っていたような気がしてたんですけど。
「学校に通ってたあの頃と比べたら、今はまだマシ」と自分で自分に言い聞かせていた部分も無くはないが。

確かにね、受験生の時とか、就職の頃とか、結婚する前とか、先がどうなるかわからんくて辛かった時期はある。
でも、確かに、未来が不定ということと不幸せ、ということは一致しないもの。
未来は明るいかもしれませんものね。

さて、そんな人生のどん底での過ごし方、ですが、いくつかのアドバイスが。

アドバイスその1

お金で買える幸せを知る:お金で愛は買えませんが、正しく使えば幸せを買うことは可能です。小旅行、経済的安定への投資、他者のためにお金を使うなどの方法で、継続的に気分を高められるでしょう。

なるほど〜。
ケチケチとお金を貯めるだけ、でなくたまには気持ちよく使うことも必要なのですね。
ふむふむ。
将来のこととか、子供への仕送りとか、考え出せば限りがなくてお金を使うのもつい怯んでしまうけど、そうやって、いつか欲しいものばかりをリストアップしてクラスより、たまにはちょっと使って、小さな幸せを実感することも大切かも。
村上春樹の言うところの『小確幸』ってやつですね。
これからはネットのお買い物も気兼ねなくしちゃおうかな♪

アドバイスその2

幸せでないことを知ることで幸せを知る:あなたにとって何が幸せかは、他人にはわかりません。でも、確実に幸せでないものは存在します。たとえば、ポジティブで喜ばしい感情を持つことだけが幸せではありませんが、ネガティブな感情を持つことは決して幸せではありません。

他人様の不幸を見て、我が身の幸せ具合を実感する、と言うことかな。
これは、このアドバイスの内容とはちょっと違うかもしれませんが、随分前のことです。
知り合いのママ友の愚痴を聞いて思ったことがある。
そのママ友のお子さんと我が家の子虫とは保育園時代に一緒でした。
保育園の運動会では、一緒にどん尻でゴールしていた子虫とそのお子さん。
「運動は苦手なのよねぇ」とママ同士慰めあったものでした。
でもその後は大きく違いました。
そのお子さんは県内で一番の進学校に進み、浪人はしましたが難関の医療系にも無事合格。
学歴路線をさっさとドロップアウトした子虫とは、大違い。
ところがママ友さん的には、それでも色々思うことがあるみたいで、愚痴が絶えなかった。
「大変なんだね」とママ友さんの愚痴を聴きながら、一方で「子供って、はたから見てどれだけ優秀で良い子でも、親には全然足りないものなのだな」と思ったものでした。
なので、もう子虫については「とにかく丈夫で元気に育ったからいいや」
と思うことにしてます。


アドバイスその3

がんばりすぎない:幸せは、追えば追うほど見つけられないという研究結果があります。かえって失敗や失望につながるケースが多いのです。私は以前、幸せとは「空からゆっくり落ちてくる羽根のようなもの」と表現しました。手を伸ばしてつかもうとすると、回転しながら遠ざかってしまいます。でも、じっくり見つめて手に落ちるのを待っていれば、最終的に手にすることができるのです。

なんか、詩的な表現ですね。
要は、幸せにならなきゃ〜と頑張ると、そのことが目的になってしまって、かえって良くないよ、と言うことなのかな。
気を楽にして、起きたことはなんでも『棚ボタでラッキー♡』と思えるような余裕を持ちましょう、と言うこと。

最後のアドバイスその4

友人を持つ:孤独は不幸なだけでなく、不健康でもあります。不健康がさらに、不幸を招きます。生涯を通じた深い関係を持つことが大切です。

友達は、どんな時でも大事、ですよね。
でも、孤独になることを恐れるあまり、意に沿わない付き合いを続けることはかえってストレスにならないかな。
私が学校時代が辛かったのは、とにかく”友達がいないといけない”と言うプレッシャーが負担だったからだと、思うので。

不幸な人は孤独だけれど、孤独な人が不幸とは限らない、と思う。
孤独に耐性があることも大事、だと思う。
もちろん、気の合う友達がいればそれに越したことはない、のです。

記事の著者さんはこう言っています。

人生のどの段階においても、幸せと生活水準の高さは必ずしも一致しません。いつも楽しいことと、人生全体の幸福度は異なるのです。人生には山も谷もあります。継続的な幸せとは、人生の大きなことにも些細なことにも感謝を示すことで、自ら築くものなのです。

とりあえず、今が『底』なら、あとは上がって行くだけ、なので私の人生はかなり幸福なものになるはずさ。

よかった、よかった┐(´∀`)┌

西郷どん〜やっぱり難しいらしい

NHK大河ドラマ”西郷どん”、やっぱりセリフが難しいらしい。

headlines.yahoo.co.jp

聞き取れなくて字幕にしたら、字幕も薩摩弁で、洋画を英語字幕で見ているような状態になってしまった、と言うくだりに笑ってしまった。

そうだよね、独特のアクセントは聞きなれてないと、それだけで辛いものがあるかも。

昔、オーストラリア人の英語を聞いてて、「単語の一つ一つは英語みたいなんだけど、なんて言っているのか全然わからん !?(・_・;? 」となったことがあるけど、それと同じ状態なんだろうな。

俳優さんたちのしゃべる鹿児島弁、私には、たどたどしくて可愛らしく聞こえるんですけどね。
と、必要もないのに上から目線になったりして┐(´∀`)┌。

ところで、鹿児島弁と一括りにされていますが、江戸時代、幕府からの間諜を警戒して、地域ごとに微妙に変えていたため、違う地域から来た人はすぐにわかるそうです。

私など、どれも同じかごんま弁に聞こえるのですが、祖母はちょっと聞いただけで『あん人は、〇〇の出身や』と聞き分けていたっけ。
地元でも有名なのは頴娃語(えいご)と言われる頴娃町の方言。
指宿の近くにある町なのですが、今は南九州市になっている。
ここの方言は独特の発音で、鹿児島ネイティブの間でも『頴娃語はわからん』と言われてます。

さらに、昔は出身階級でも違っていたらしい。
第二次大戦中アメリカ軍が、傍受した日本軍人の会話を、鹿児島方言だと、鹿児島出身の二世の人に聞かせたけれど、知覧の武家階級で使われる特殊な言葉だったので、全然わからなかった(その二世の人は農民階級出身だった)と言う話があるそうです。

でも、人の移動があまりなかった時代、鹿児島だけでなく、日本中どこでも方言の個性はいまよりもずっとはっきりあったのではないでしょうか。
流暢な方言のリズムは、音楽的で耳に心地よいものがあります。

いわゆる標準語と呼ばれる東京弁は、様々な地方からの人々の話す言葉の特徴のあるイントネーションがお互いに相殺されあって、妙にアクセントのない平坦な言葉になってしまっているのだそう。
なまじ地方出身の両親の元、東京で育った私など、音楽的でもなければ個性もない、本当に面白みのない標準語しか話せません。

方言の音楽的なリズムで流暢に話せる人って憧れます。
特に、京都や大阪などの関西地方の柔らかい言葉は、聞いていて耳に優しく心地よいなぁ、と思います。