とりあえず初めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

5連休の後に、3日仕事して思ったこと

5連休という、日本の平均的職業人としては破格の長期休みを過ごした後の休み明け、予想では休みにも飽きて、別のことがしたい気持ちでいっぱいで、仕事ができることが嬉しい、まではいかなくても、新鮮な気持ちで、またお仕事ができる、はず。
でした。

現実は、全然違いました。
といっても、今週は3日しか働いていないのですが、もうすでに初日の出勤の途中から、「なんか、もう無理」という気持ちでいっぱいに。

仕事に行くのが、こんなにだるいことだったなんて。
まず、出勤がだるい。
朝起きて、仕事に行かなきゃと思うことが、だるい。
職場についても仕事を始めるのが、だるい。
始めてしまえば、あとはもういつものルーティンワークではあるのですが、途中でもだるい、だるい、気がつけばぼやいている。

久しぶりに歩いたら膝が痛い、股関節が痛い、お尻の筋肉が痛い。
そして久しぶりに立ってたら、腰が痛い。

私は腹筋が弱くて反り腰気味なので、気をつけておかないと、すぐ腰が痛くなる。
バイト先で、普段よりちょっと長く立っていると、もう腰が痛い。
家では立つどころか、リクライニングシートの上で、ごろごろしている日々でしたから、筋力が落ちたんでしょうか。
たった五日で!?
どれだけ、衰えるの早いの???

そして、自分がこんなに怠け者だったとは。
ひょっとして、休みの間せっせと読みまくった早期リタイア関係の本やブログのせいかしら。
すっかり感化されちゃった?

それとも本来の私は、実はものすごく怠け者で、ただそれだと世の中に適応できないから、今までは「仕事は嫌いじゃないの、むしろ好きな方なの」と無意識に言い聞かせて、自己洗脳してきたのが、今頃になって露呈してしまったのか。

國分功一郎の説では、人間は暇でいることに強い不安感を持つので、何もしないでいると、すぐに何かしらしたくなるのだ、という話だったんだけど。

英語のVacation(休暇)とう言葉は、ラテン語のvacare(空っぽ)からきていて、休暇の間、あえて何もしないで自分を空っぽにすることで、新たに仕事への熱意が湧いてくる。
それが、欧米人にとっての正しい休暇の過ごし方だ、という話を読んだことがあります。

なのに、ちっとも仕事への意欲が湧いてこない。
それどころか、余計に仕事がしたくなくなっている。
つまり、たった5日間では、まだまだ空っぽにはなってない、ってことなんでしょう。
全然、暇を満喫できなかったことですね。

一体、どのくらい長かったら、「ああもう、暇で暇で、することないのも飽きたし、仕事でもしよかいねぇ」という気分になるものなんでしょう。
相方のおじさんは、3日持たなかったのになぁ。

己の小学校、中学校時代の夏休みを思い返してみると、やっぱり三週間は必要、かなと思う。

徒然なるままにぼんやりとしている自分を自覚しつつ、これ来週の今頃も同じよね、と思いつつ、そういえば再来週も同じなんだわ、と思って初めて、「ああ、暇だ〜。なんかもう、仕事でもいいからしたい」という気分になるのかもしれません。

それより短い期間だと、中途半端にゆったり時間を味わってしまった分、元の忙しない時間に戻るのが辛い。

これって部活でふだん運動していて、期末試験などで一週間とか間が開いた後に、急に再開すると、すごく身体がきついのと、同じ。

再開した時が辛すぎるので、それならいっそ、休みなんか取らずに、ペースを崩さずに続けてた方がまし、と本能的に思うから、日本人は休みを取らないのかしら。

なんだかなぁ。

すっかり、空っぽになれるくらいに、休みが取れる職場環境ってないのかしら。

年収90万円で東京ハッピーライフ〜を読んで

pha、高村友也に続いて、同じような生活を選んだ人の本を読んでみました。

この人は、はっきり自分で20代で隠居した、と言っています。
かなり早めのアーリーリタイアさんですね。

家賃の安い郊外のアパートに住んで、仕事は週に2日ほど介護関係の施設で働いて、とかなり現実に近い形でのリタイア生活をされています。

一人は寂しいからと同じような考えの人を募って、都会のシェアハウスで共同生活をしているpha氏と、他人と関わりを持ちたくないからと、山梨の山奥に土地を買って掘っ立て小屋に一人で隠れ住んでいる(実際に住んでいるかどうかは意見が分かれるらしいけど)高村氏の中間くらいの暮らしかたでしょうか。

割と、現実的に実践できそうな暮らしかたです。

前の二人と違うのは他にも、この人だけ高卒だってこと。
学歴に関係ない生活、と言いつつ、やっぱり人と違う生活をする人が本を出すにあたっては、大抵、東大卒、京大卒をどこかでうたわれている。
そこには、こういう高学歴な人があえて、だったり高学歴だからこそ、こんな生活を選んだのであって、そこには深遠なる思索の跡がある、はずよね。
という、出版社側の主張を感じる。
その点、この人は堂々と高卒、です。

図書館で本を読んだりして、知識と教養を身につけたそうです。
そのせいか、他の二人よりもずっと自分の言葉で語っている気がする。

中学の頃にいじめにあったこととか、自身がゲイだったりと言う要素もあるのかもしれませんが、やっぱり、変にお受験教養がついていない分、言葉が身についている気がします。

この人も含め三人とも、仕事を辞めて海外をしばらく放浪しています。
日本人も国際的になったものです。
というか、海外に行かないと人生や、生活や、思想についてリセットできない。
というマインドセットが、日本にはあるんじゃないかとすら思える。

他の二人は、特に高村氏なんかはフィリピンでダイビングしたりして遊んでいたようですが、この著者は、ちゃんと働いている。
ロンドンでちゃっかり不法就労しています。
たくましい。
仕送りだったり、援助だったりをしてくれる親がいない分しっかり地に足がついている気がします。
そしてその時期に、自分のペースで生きること、についての実感を得たようです。

そしてこの著者も、
「世の中の当たり前に従わなくていいんです。もっとシンプルにいこうよ。」と言っている。
「ルールができるからには『こうしたほうがみんなが暮らしやすい』みたいな理由があるはずで、その理由が実生活で成立しなくなったら、守る必要ないと思うんですけど。必要ないものを守り続けることで、逆にいま暮らしにくくなっちゃってる」
「いい悪いとか、正しい間違っているみたいな、相対的で対立的な価値観って疲れると思う。間違ってる何かがないと、自分が正しい側に立てないと言うのはしんどくなでしょうか。世の中ってそういうふうにはできてないと思うんです。」
と言っています。


「いじめられていたときもそうだったけど、何も感じないことにしたほうが、その場は圧倒的にラクなんです。だけど、これを続けていくと、物事は見えないとこから壊れていく」
と、著者は言います。

高村氏はちょっと違うかもしれないけど、三人とも自分の身体からの信号を大切にしているところが共通していると思う。
それと、三人ともほとんど同年代。

こういうことを感じたり、考えたりして、実行に移す若者が増えているってことなんでしょうか。
そして、彼らの本を読んで、全部とは言わないまでも、どこか共感している五十過ぎの私がいるわけで。

内田樹も、人間も生き物なのだから、なんでも頭で考えて処理しないで、身体からの信号をちゃんと聞き取ることが大切だ、と、よく著書の中で強調しています。

そういう信号を聞き取れなくなると、鬱だったり、適応障害だったり、過労死だったりに追い込まれてしまうのだと。

誰だって、鬱や過労死なんて、嫌です。
抜け出せるものなら、抜け出したい。
抜け出した人がいるんだ。
じゃあ、私も、出来るかも、と、本を読んで、同じように考える人が増えていくのかもしれません。

政府がせっせと、働きかた改革とか、プレミアムフライデーとか言って旗振ってますけど、そういう、お上の思惑とは違うところで、草の根的に社会は変わってきてるのでしょうね。

じゃあ、我が家の子虫達が同じことを言い出して、同じ生活を選択したとしたら?

うーん(~_~;)

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか〜を読んで

一読しての感想。

なんか、いろいろしんどそうな人だな。
世の中には、こういう生きづらさを抱えつつ、生きていかないといけない人っているのね。

「思考が心に決定されては困るのだ。理性と感情との境界線があやふやになっては困るのだ。」
と考えるような人で、

「しかし僕には「他人のために何かをする」ということをとても恥ずかしいことだと認識する傾向があった」り、

「僕が恐れていたのは、親に寂しい思いをさせたくない、孫を抱かせてやりたいというような、最も原始的な欲望」はちゃんとあって、でも「この欲望を刺激され、それによって家族と心が繋がり、自分のかこに引き摺り込まれてしまうことを最も恐れていた」りするような人ですから。

なんで、そんなことにこだわるの?
と思ってしまうけど、本人にとってはそこ、譲れないんでしょうね。
ああ、しんど。

単純に、朝起きるのがいやだから、とか、満員電車が嫌だから、という身体的な欲求を優先して、人並みの社会人生活を送ることをやめたという、pha氏とか大原扁理氏より、理屈が先行している分、この人の方が面倒臭そうです。

私は、pha氏や大原氏の方がまだ共感できた。

でも、一部にはすごく支持されているらしいです。
それでブログの収入とか、本の執筆で暮らしているみたい。
他にも、山での生活を綴った本など、何冊か出版しています。

本書では、畑を作って農作物を作ることすら、結局は「土地に束縛されること」だから、嫌だ。と書いてましたが、今は、どこかのシェアハウスに住んで、畑を借りて野菜を作ったりしているみたいです。

とりあえず、人間の生活をしてるんだ、良かった。
と、勝手に母親目線で考えてしまう。
本を読むと、いろいろ難しそうだけど、案外と話をしたらごく普通の好青年なのかもしれないし。コミュニケーション能力も、本人が言うほどのものじゃなくて、ちゃんとしてるのかもしれないし。

作家さんって、書いている作品の内容そのままの人物ではないこと、多いですものね。

実際、彼の本に書かれているような生活は、ファンタジーに過ぎないとか、本に書いているような生活を、著者は実践していたわけではないとか、いろいろ批判もあるみたいです。

でも、彼のように考える人がいて、読んで共感する人が、少なからぬ人数いるのは確かみたい。
そして、なんだかな、と思いつつも、読んでいる私みたいな人間もいるわけで。


私は、美味しいものを食べたいとか、寒いとか暑いとかは嫌だとか、あまりにも即物的で、生理的欲求を優先してしまう人間なので、この本の著者にはほとんど共感はできなかったけど、こういう生き方に憧れる人もいるのだろうな、とは思いました。

ただ、本当にこういう生活が実現可能か、という点については、実は、いろいろ怪しい点もあるらしく、実行する前にはやっぱりちゃんと準備と調査はしておいた方がいいみたいです。

個人的には、トイレや生活排水はどうしていたんだろう?
と気になりました。
飲み水は、小屋から下ったところにある川から汲んでいたみたいだけど、汚物が流れ込まないように、衛生面とかちゃんとしてたのかな、と心配。

山小屋などでも、排泄物の問題は大きいらしいですね。
一時的に滞在するのではなく、ずっと住むのであれば、排泄物の管理は大切。

なんだか、現実的すぎて夢が壊れそうだけど。

持たない幸福論〜を読んで

ニートの歩き方の著者による本です。
前作とほとんど変わらない内容です。

前作で、きっとあれこれ叩かれたんでしょうかね、今回はいろいろ勉強して、ちょっとは理論武装している感じが、好感持てます。
基本、真面目な人なんだろうな。

いつか読んだ、國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」によく似たことをいっぱい語っています。
特に暇と人の行動について。
後ろを見たら、参考文献のところにしっかり載ってました。

國分功一郎先生よりも、本人が実生活で実践している分、より実感のこもった表現ですので、國分功一郎が読みにくかった人は、こちらの方が腑に落ちるかもしれない。

個人的には、若いうちにお金を使わないで楽しめるスキルを身につけておくと、歳を取っても役に立つ、というくだりに、なるほどな、と思いました。

もう入ってくるあてがない状態で、急に”お金がない”、というのは惨めだけど、最初からお金のいらない生活をしていたら、意外と困らないですみそうです。

確かにお休みもほとんどなくて忙しいと、なかなかお金を使わずに楽しむ、という余裕がないのは確か。
金銭的な余裕がないのは不安だけど、時間的な余裕がある生活の方が「豊か」なのかもしれないと、私も、最近、考え方が変わって来た気がします。

前作のニートの歩き方もそうだったけど、読んでいるうちに、なんだか落語の与太郎ものを思い出しました。

怠け者だったり、要領が悪すぎて仕事がうまくいかない与太郎のところに、長屋の大家さんとか、本家の伯父さんがやってきて説教する、みたいな。

江戸時代にも、結構、著者のような人はいたのかもしれません。
それはそれで、なんとか周りが、あれこれ口を出したり、面倒を見たり、していたのかも。

おい、与太郎、居るんだろ、え?
ちょいと話があってやってきたんだよ。
おいおい、居りますって、返事しだけしやがって、まだ寝てるよ、こいつ。呆れたね、もうお昼だってのに。
お天道様からバチが当たるよ。
これ、起きなさいよ。ほれ、しゃんとして。
ああ、おじさん、おはようございます。って、もうお昼ですよ。全く、良い若いもんがこれだよ。
おじさんこそ、良い年寄りが昼間っから、こんなところで何をしてるんですって、おまいさんに言われたかねぇよ。
え、与太郎、あたしゃね、おまいのおっかさんに頼まれて、来たんだよ。ちょいとね、一つ話をしてくれないかってね。

与太郎、お前、仕事辞めてもう8年もふらふらしてるって言うじゃなねぇかい。一体、どう言う了見だい?
おっかさんも嘆いてたよ。
与太郎は、勉強もよくできる子で、京都大学まで入ったのに、そのあとが、どうも、いけなかったってね。
この就職難に、せっかく良いとこに就職できたってのに、すぐに辞めやがって。そのあとは、何かい、なんかしてんのかい?

え、だるいから、寝てばっかりだって?
あとは、ゲームとネット?
いけねぇよ、良い若いもんがさ、ひる昼間っからさ。
ちったあ、社会ってもんに貢献しないとさ。
お前がこうしていられるのも、世の中のおかげだってことを忘れちゃいけねぇよ。え?

本を出したって?
そいつは大したもんじゃねぇか。
何かい、そいじゃ、これからは作家先生かい?
いや、忙しくなるのは嫌だから、そこまでは考えてない?
呆れたね。

働きたくないって。
口開けばそればっかりだよ。
なんか、こう、働きたくなるようなモチベーション、てのかい、見つけたらどうだね。
うん?
彼女とかさ、いないのか?え?
もう、おまいさんもいい歳なんだからさ、結婚してさ。
男ってのはさ、ちゃんと一家を構えてこそ一人前ってもんで、、、。
なに、面倒だから、そんなもんはいらねぇって?!

全く何を考えてんだかね。
え、与太郎よ。あたしだってさ、たいそうなことは、言えないけどさ、これでもちゃんと会社にさ、定年まで勤め上げてさ。
カミさんと、娘二人育て上げてさ、、、

そいで、おじさん、退職金はカットされてて、思ったより年金ももらえそうもないから、再雇用でまだ働いてるんでしょ。だいたい家に帰っても、奥さんも娘たちも、全然相手にしてくれないから、居場所がないんで、おいらんとこ、こうして暇つぶしに来てるんでしょって、、、痛いこと言うねぇ。こいつは。

全く、口ばっかり達者になっちまって。
何かい、じゃ、なんか自分なりに考えてることもあるってのかい?
ちょいと聞かせてごらん。ん?怒んないからさ、言ってみなよ。

なになに?

「自分のペースで生活に実感を持ちながらゆっくり暮らす」ことを大事にしてるから、今の生活で十分満足。
「満員電車に乗って、職場で気の合うわけでもない人たちとずっと顔を合わせていると、それだけで生きるエネールギーをすっかり消耗してしまっていた」
「その頃に比べたら今の方が、お金がなくても気持ちに余裕があって自分のペースを保って生活ができてるのでちゃんと生きている感じがするし、全体的な幸福度は高い」

って、そういうものかねぇ。
まあ、人それぞれだし、それでお前さんが良いっていうなら、それでも良いけどさ。

だけど、与太郎よ、今はまだ若いし体力もあるから良いよ。
年取って、老いぼれて来たらどうするね。
仕事だって、今ならまだ何かしらはあるだろうけどさ、年取ったら、それだけで雇ってくれるところもなくなるし、身体が動かなくなって、金がねえ、ってのはしんどいぞ。

そんときゃ、そん時、また誰かに助けてもらってなんとかなるでしょ、って。いざって時に、友達とか、助けてくれる縁がそうあるもんかねぇ。

おじさん、おいらニートですから大丈夫ですって、なんだい、それ?
ニート(糸)だけに、(縁を)繋ぐのは得意です。

お後がよろしいようで。

連休最終日

今日で5連休が終わります。
言ってみれば、夏休みの中盤のような日々でした。
何年ぶりでしょう。

この連休中は、意識して何も予定を立てずに、とにかく好きなだけ寝ていよう、と思ったら、久しぶりに朝の二度寝ができるようになりました。

そういえば、今までは休みの日でも、仕事の日に身体を合わせるために、強制的に定時付近に起きるようにしていたからね。
気がつかなかったけど、身体も緊張していたのでしょう。


せっかくなので、最終日をじっくり味わうため、今日も意識して引きこもって過ごすことにしました。
いえ、昨日も引きこもってましたけど。

折しも鹿児島市は、朝から土砂降り。

こんな天気の日に家に入られて、のんびりコーヒー飲みながら、朝ドラを見ていられるのって幸せ。
と、しみじみ幸せを噛みしめる。

太陽が照りつけないだけで、世の中はこんなに涼しいのだ、思うくらい、過ごしやすい一日でした。
梅雨の時期は、いつまでも続く長雨にうんざりしていたくせに。

今日は何をしようかな。
と思いつつ、テレビをぐずぐず見ている。
こういう、ぐだぐだ感もいいですね。

気分を盛り上がるために、蚊取り線香も点けました。
私は、蚊取り線香の匂いが、夏、って感じで好きなのですが、相方のおじさんは、煙で喉がいがいがするから、やめて、と言う。
なので、普段は使えないのです。

テレビでは、ツール・ド・フランスを題材にした番組をやっている。
フランスの小さな村。
今回初めて、ツール・ド・フランスのコースが通過することになったらしい。
一年前から村をあげて準備してる。
コースといっても、その当日は、選手も関係者もたった3分で通り過ぎてしまう。
その短い時間のために、村人総出で歓迎する。
そして彼らはずっと孫子の代にまで、語り継ぐのでしょうね。
「うちの村がツール・ド・フランスのコースになったんだよ。たくさんの選手が村を走り抜けたんだよ」
って。
なんか、いいなぁ。

などと思いながらテレビを見ている。

さて、時刻は10時半。
これからどうしよう。

いつもなら容赦なく照りつける太陽に、もう一歩も外には出たくない時刻ですが、今日は雨のせいか涼しい。
いっそ、図書館まで行こうかな。
ついでに、銀行に寄ったり買い物したり。

いえいえ、今日は一切、何もしない日と決めたのです。
このままぐうたらします。

図書館から借りてきて、積んだままうっかり読みそびれて返却日を微妙に過ぎてしまった本、読まなくちゃ。
ブログの記事も書かなくちゃ。
ウクレレの練習もしなくちゃ。

いけません。
やらないといけないことが、ぐるぐる回って、結局何も手につかない。

いっそ、ぼんやり、することにします。

せっかく何もしなくていい日なんだし。

お昼頃、バイト先からお知らせのメールが来る。
明日のお仕事の内容です。

ああ、明日からまたお仕事。

一気に、サザエさん症候群になる。

いえね、仕事は仕事でやっているときは、楽しいのです。
余計なことを考えずに、やることがあるというのは良いことです。

でもやっぱり、家にいたいな。
ごろごろしていたいな。


でも、そのためにはまず先立つものが無いと。
残念ですが、それが現実です。

こうして、人は宝くじを買うようになるのでしょうか。

アーリーリタイア疑似体験

金曜日の山の日に始まった夏の大連休。
週が明けてもバイト先が盆休みなので、私はお休みが続いています。
なんと、5連休です。

その昔、あるイギリス人と話ししていて、
「私たち(日本人)だって、3連休とか5連休とかくらいはあるんだよ〜」
と言ったら、「そういうのは週末とか休日(Holiday)とか言うのであって、休暇(Vacation)ではないのじゃ」と即断されたことがある。

ちなみに相方のおじさんは、今回は3連休。
なんだけど、暇を持て余して土曜日は仕事に行ってました。
ええ、社畜度100%な奴です。
こういうおじさんが、地味に日本の経済を支えているんです。
私も昔は「お休みの日ってのは、出勤時間が定時じゃなくて、好きな時間に行けば良い日のこと」なんて言っちゃってましたから、他人のことをあれこれ言えません。

それでも、子虫がいた頃は、頑張ってキャンプに行ったり、子虫が家を出てからは、ちょっと贅沢して夫婦で温泉旅館にお泊まりに行ったり、はしていたのです。

鹿児島を始め、九州には質の良い温泉がたくさんあります。
特に鹿児島の温泉は、お湯質はどこにも負けない、と思う。
ただね、商売が下手。
今だに、農協団体御一行様、みたいな商売していて、お客が減って経営不振になっているホテルや旅館がいっぱい。

もっとも最近は、隠れ家的な凝った趣向や建物の旅館も出来てきました。
今までの温泉旅館からしたら、多少は割高でも、本州の草津とか熱海あたりに比べたら、ずっとお安いお値頃感のおしゃれな旅館があります。

でもね、これからは何かと物入りですし。
老後に向けて、極力お金を使わない生活にシフトしようとしているところ。
なので、今年の旅行は無し、にしてもらいました。

復活するかどうかは、今後の状況次第、と言うことで。

そして、旅行がなくなったら、すっかり時間を持て余す
夫婦二人。
いえね、私は問題ないのです。
ただ、おじさんが。

金曜日は映画を観に行きましたが、毎日映画館に通うには、そこまで観たい映画がない。
おじさん、土曜日は出勤。
いつもよりは早めに帰宅。
そして、日曜日。
午前中は新しいiPadのカバーを買いに街へ。
とうとう午後はすることがないらしく、パソコンの前で寝落ちしている。
お金を使わず、何処へも行かずに暇をつぶす、と言うことが本当に出来ん男です。

夕方、お墓詣りの後は、私は一人でウォーキング&ジョギングをするつもりだったのですが、おじさんは一人で帰るのが寂しいのか、ついてくる。

ジョギングは足の長さも、体力も違うので、ペースが合わず一緒に、というわけには行きません。
仕方がないから、近所を一周、二人でぶらぶらと回る。
おじさんは、目的もなく歩くとか走るというのが、どうも苦手らしく、やたらと時計を見てばかりいるので、結局、それも早めに切り上げる。

この先、リタイア生活に入るとして、こうやって暇を持て余したおじさんをどうしよう。

一人で泣かんと遊んでもらいたいもんです。

私はといえば、今日で4日目の休日。
おじさんの面倒さえ見なくていいなら、ネットを見たり、本を読んだりの、いつもの休みと変わらない生活が、いつもより長く続けられてなかなか快適。

私は、いわゆる”ゲーム”は全然したことないのですが、それでも別に退屈はしません。
そのうち退屈したら、やってもいいかもしれません。

このまま、お仕事に行かなくて良くなったら、それも悪くない、と思ってしまう。

なるほど、時間に余裕があったら、何かを買ったりお金を使ってストレスを解消しよう、ってあまり思わなくなるものだな、としみじみ思ったりして。
そういえば、休みに入ってからは、まだ一度もお洋服関係のネットショップのHPを訪問していない。

読書やパソコンの前でじっとしすぎていて、目が疲れたり身体の筋肉が凝ってきたら、洗い物とか洗濯とか掃除をして、ほぐせばいいし。
それでも、カロリーが消費できないなら、歩けばいいし。

アーリーリタイアしている人が、よく「何の変哲も無い日常が意外と面白いので、退屈することはない」と言っているのがよくわかる気がする。

ただ何もしなさすぎて、いろいろな能力が退化してしまうのは、ちと困る。
お金も、やっぱりまだまだ必要です。
私は、週に3日か2日くらい仕事して、あとはのんびり家に引きこもり、というのが良さそう。

そんなアーリーリタイア後の、自分のペース配分について、いろいろ考えた連休でした。

我が家のお墓事情


今日は盆の入り。
関東では七月にお盆をするそうですが、鹿児島はそこんとこ絶対に、旧暦、です。

ちなみにお雛祭りは、新旧混ぜ混ぜ。
つまり雛飾りは二月三日に出して、四月三日まで飾ってて良い。
せっかくの飾り物なんだから、少しでも長く楽しめば良いよ、という合理性。

さて、今年の盆の入りは日曜日でもあるので、やっぱりお墓まいりには行こうか、という話になりました。

私自身は関東育ちなのですが、父親が鹿児島出身でして、一族のお墓は以前は、鹿児島県中西部の山間の昔ながらの村の共同墓地にありました。

それを何年か前、祖母が亡くなったのを機に、近くの納骨堂に移しまして、今は歩いて十分くらいのところにお墓があります。
なので、気が向いたらいつでもお墓まいりに行ける。

私は、あまり先祖供養とか気にしない方なのですが、相方のおじさんはかなり真面目。
盆暮れ正月、そしてお彼岸には、ちゃんとお墓詣りする人です。

鹿児島の人は、もともと、お墓詣りとか先祖供養に熱心な人が多い気がします。
若い人でも、意外とお墓のことは気にするし。
お彼岸やお盆の時期は、お花はたっぷり飾るし、それだけでなく、いろいろなお供え物が置かれて、墓地というよりお花畑か、アートの展示会みたいになっていることあるし。

鹿児島は日本で一番、生花を消費しているのだそうですね。
祖母も晩年、畑で野菜は作らなくても、お墓に供える用の花はずっと作っていましたっけ。

お墓参りも、まずはお墓をたわしと洗剤で、がしがし洗って綺麗にするのが鹿児島式、です。

以前、ペネロペ・クルス主演のスペインが舞台の映画*を見てたら、村の女たちが総出で、自分の家のお墓をごしごし洗って綺麗にしてる場面が最初のシーンにあって、ああ、鹿児島と同じねぇ、と感動した覚えがあります。

*ボルベール(帰郷)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ボルベール〈帰郷〉

お墓は市内や錦江湾側だと、屋根付きのものが多いです。
桜島の降灰対策ですね。

さて、我が家の納骨堂ですが、管理運営を神社がしているというちょっと珍しい納骨堂です。
利用者は、別に神道信者でなくても良いとのことで、やりたければ仏式の法事も可能です。
聞けば、キリスト教でも構わないとのこと。
もしかしたら、イスラム教も大丈夫かもしれません。
その辺り、宗教に寛容な日本の文化らしくて、良いな、と私は思います。

納骨堂を探していた頃、ここと、他にも候補があって、そちらはお寺が運営している納骨堂でした。

最終的に決め手になったのは、私の母の意見でした。
「家族の中で、一番近い将来に入る可能性が強いのだから、私が気に入ったところにして」
と言って、鹿児島までわざわざやってきた母が、一目で気に入ったのが、この神社運営の納骨堂。

もともと、母の実家は神道なので、お寺でなくても抵抗感がなかったのと、宗教や宗派にこだわらず、法事も好きな形でして良い、という自由な感じが母も気に入ったみたいでした。

宗教についてはかなりリベラル派の母は、そのくせ自分の葬式は、万が一を考えて、父と同じ真宗大谷派でしてほしいそうです。
葬式の宗派が違って、そっち管轄の天国(極楽か?)に送られてしまうと困るから、だそうです。
同じお墓に入りたくないばかりに、死後離婚する妻もいるご時世に、仲の良いことです。

こちらの納骨堂、全館冷暖房完備です。
エレベータとトイレはもちろん車椅子対応。
入り口で靴を脱いでスリッパに履き替える形式で、床には絨毯が敷かれています。
もちろん、掃除も行き届いている。
ちょっとした式典用の会場も併設されていて、立食パーティができるタイプの大きな会場と、畳敷きのこじんまりとした部屋タイプとあって、納骨堂を利用している家であれば、いつでも無料で利用可能、というサービスの良さ。

相方のおじさんも、ここが気に入ったらしく、我が家がお墓を移すときに、「一緒にこっちに入るから」と言って我が家の納骨壇の隣に、もう一つ納骨壇を購入しました。

おじさんとこの一族のお墓は、鹿児島の北西部の阿久根というところにあるのですが、ご多分に洩れず、若い人はほとんど村を出てしまい、最近はすっかり人が減って、お墓もさびれています。
田舎のお墓に入っても、お参りに来る人もいないだろうから、入りたくないそうです。

いずれは、ここに入るつもりです。
私はどっちに入ろうかな。
おじさんの方でも良いような気がします。
どうせ、お隣どうしだし。