とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

蒸し暑い夏に一番食べたいもの

 

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暑い日が続いております。

夏バテ予防にも効果的なゴーヤ

独特の苦味が、私は大好きなんですけど、評価が分かれる食べ物だと思います。

 

鹿児島の人は、案外、食べない食材です。

苦い味がやっぱり敬遠される理由なんでしょうね。

相方のおじさんとこも、誰も食べない。

甘党だからか。

姑は、「これを見ると、戦時中の食べ物がなくて苦労した頃のことを思い出すから、嫌い」

とはっきり言います。

ある年代より上の人は、辛い思い出があるから食べないみたいです。

 

でも、やっぱりそれだけじゃない気もする。

だって、同じように「これしか食べるものがなかった」と言いつつも、薩摩芋はここまで敬遠しませんもの。

ちなみに、鹿児島の人は薩摩芋とは言いません。

唐芋(からいも)です。

 

ゴーヤについては鹿児島の人は、「苦いから誰も食べない食物」って思い込んでいるみたい。

だって、鹿児島の料理番組見ていると、いかに「苦味」をとるか、そこにばかり力を入れている気がする。

だけどこの苦味が、良いんだけどな〜と、新聞のコラムやテレビで「苦味をとるコツ」をお料理研究家さんたちが、細かく説明するのを見るたびに、私などは思うのです。

私の知る関東人でゴーヤ好きは、皆さん、「この苦味が良いの」と言っているのですがねぇ。

 

そもそも、鹿児島人は「甘いもの」=「美味しいもの」という認識が強いような気がする。

お醤油にも隠し味で砂糖が入っていたりする。

ほんとです。

某県内人気のめんつゆにはボトルに「蜂蜜入り」と誇らしげにうたっています。

江戸時代に砂糖の産地だったから、というだけでなく、砂糖に身体を冷やす効果があることを、庶民は経験的に知っていたから、ではないかと個人的に思っています。

 

ゴーヤの苦味、確かに、子供の頃は苦手でした。

祖母が卵とじにしてくれるゴーヤチャンプルは、お豆腐と卵のところばかり選んで食べていた気がする。

でも、大人になってこの苦味が、美味しいと思うようになりました。

お酒を飲むようになった頃からかもしれません。

飲兵衛の食べ物ですね。

 

母は、ゴーヤはオリーブ油と酢、レモン汁につけてピクルスにしています。

チーズを添えて、ビールやワインと相性がバッチリ。

ええ、母も飲兵衛です。

 

さらに、母の家では、ゴーヤを窓の外で育てて、夏にはグリーンカーテンに利用しつつ、収穫も楽しんでます。

昔は九州以南でないと、うまく育たなかったらしいのですが、最近では関東でもごいごい大きくなります。

やっぱり、温暖化なのかな?

 

私は、酢漬けにすると浸かるのを待つのが面倒なので、大抵、炒めて食べてしまう。

ゴーヤチャンプルが一番好きです。

多めに作って、翌日のお昼に素麺と炒めて食べるのも好き。

お豆腐が入ると、どうしても日持ちがしないので大量に作り置きできないのが、残念。

 

夏には産地だけに、腕くらい太い立派なゴーヤが150円くらいで手に入るので、お財布にも優しい。

凸凹のところがしっかりしていて、色は濃い緑のものが、苦味が強くて美味しいですよ。

 

相方のおじさんは、ベーコンと卵をたくさん入れて甘めに仕上げるのが好きですが、私は、豚肉と唐辛子、味付けはナンプラー

冷たく冷やしたビールと一緒にいただくと、ああ、日本の夏も悪くない、としみじみ思います。

 

 

 

 

続・家庭の平和を守るもの 

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我が家の食洗機がとうとう壊れてしまった話。

 

先代の二台は、どちらもホシザキでした。

業務用食洗機などを作っている会社です。

 

食洗機の役目とは、所詮、食器をすすぐこと。

と割り切った機能重視のシンプルなもの。

でも、この熱いお湯ですすぐ、という行為だけで食器はほぼ綺麗になるのです。

でも手洗いだと、熱いお湯ですすぐのは無理。

ホシザキの食洗機にも、乾燥のためのドライヤーも付いているけど、基本は余熱乾燥。

でも、洗う時間が八分くらいと短いので、他のところを片付けているうちに終わる。

終わったら、蓋を開けて余熱で乾燥。

乾いた頃に、食器棚に収納。

という流れができていた。

 

なのに、なのに。

ホシザキさん、なぜあなたは撤退してしまったの???

 

もう、家庭用の卓上型食洗機はパナソニックか、他のメーカーが細々と作っているだけ、なんですね。

仕方なく、ネットでの評判を参考に、楽天パナソニックの食洗機を購入。

 

前より少し小さくなりました。

白いボディもおしゃれ。

音も、前より静かだね、とおじさんは言います。

 でも私は、前の無骨なステンレスの四角い形が、懐かしい。

 

選択するコースだって、たくさんあるけど、普段使いにそんなにいらないの。

ドライヤー機能だって、どうせ食器のくぼみに溜まった水は残るんだから、いらないの。

毎回、コースを選択してボタンをあちこち押すのが、煩わしい。

余計な機能が多すぎ。

食器を置く部分も細かすぎて、ちょっとでも大きさが合わないと設置できない。

 

おもてなしの細やかさも、いらんところまで気を使われると、余計なお世話です。

オーバースペックな食洗機なんて、いらないよー。

 

前のホシザキ君はよかった。

食器をおくトレイはシンプルな四角いカゴで、仕切りも外せるから、食器の形に自由に合わせられる。

いざとなれば大鍋だって洗えちゃう。

ボタンは二つ、電源入れてスタート押すだけ。

 

大抵の家電品は、新しくなるたびに使い勝手が良くなるのに、かえって使いにくくなってるやん。

と、不満たらたらの私。

 

でも、いいか。

相方のおじさんのために購入したんですから、おじさんが気に入って使ってくれたら(それで、お片付けに精を出してくれたら)それで、良いのです。

幸い、おじさんは私ほどには今度の食洗機に不満はないよう。

むしろ、細かな仕切りやコース選択が、メカ小僧心をくすぐるようです。

毎晩、まめに使ってます。

良かった良かった。

ぜひ愛用してくださいませ。

 

さて今度のは、どのくらいもつのでしょう?

これが壊れる頃、さらに年老いた夫婦の二人。

今以上に、複雑な機能とボタン操作の機械になっていないことを、祈ってます。

と言うか、もう買わずに済ませるかもしれません。

 

と、書いていたら、今度は冷蔵庫の製氷皿の調子がおかしくなりました。

細かい氷ができる代わりに、びしょびしょに濡れて、ひとかたまりの氷になってしまう。

この暑い夏、氷なしで暮らさないといけなくなりそうなのは、辛い。

 さらに、これ以上調子が悪くなって、冷蔵庫まで買い替え、となるとお財布も痛い。

どうか、あと数年は頑張って欲しいと、冷蔵庫と台所の神様にお祈りをするのでした。

 

 

 

 

家庭の平和を守る物

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我が家の食洗機が壊れてしまいました。

今度壊れたのは二代目。

 

最初の食洗機は、家を建てたかれこれ19年前に購入。

それから10年目に入ろうか、というあたりで壊れてしまい、急ぎ二代目購入。

今度のは9年ほど頑張ってくれたので、まあこれも寿命、といって良いでしょう。

 

さて今回は前回と異なり、すぐに三代目を購入、とはあいなりませんでした。

一つには、我が家が節約体制に入ったから。

さらに住人も減って、それほど食器もたくさん使わなくなりました。

無理に食洗機を買わなくても、手洗いでもいいじゃないの?

という気もする。

実際、私一人飯の時は使いません。

手洗いで十分です。

 

ところで、我が家の場合、相方のおじさんも料理をする。

と言っても、いまどきの旦那様はそれくらいは、当たり前、ですよね。

でもね、昭和40年代とかそれ以前に生まれた男性には、まだまだそういうの、少ないんですよ。

 

相方のおじさんだって、実家では、お箸の場所も知らない。

お茶の一杯も淹れたことない。

ぜ〜んぶ、姑がやってますもの。

舅と一緒。

座ったきり、動かざること山の如しです。

 

でも結婚後は、とにかく家事もやってもらわないと、生活が成り立たなかった。

お互い共働きでしたし、どちらかというと、私の方が忙しかったので。

それで、四半世紀弱もの長い年月をかけ、根気強く、注意し、教え、多少の失敗は暖かく見守り、褒めて&褒めてで、育て上げましたの。

ほほほ。

 

今では普通に料理、洗濯、掃除、全てこなします。

料理なんか、私より上手なくらい。

 

でも、料理の後の後片付けは、苦手みたい。

私は、料理をしながら片付けていく派。

料理の出来上がりと同時に、使った調理器具もほとんど洗い終わっています。

おじさんのは、いわゆる男の料理。

全部、広げてそのまま。

 

世の優しい奥様は、そんな旦那様の料理の後を

「まだ、料理してくれるだけ、ありがたいのよね」

と、暖かく受け入れて、後片付けをしているのでしょうけど、我が家は違います。

 

料理は、片付けまでが、料理。

 

というのが、原則です。

なので、基本、後片付けは作った者がすることになっている。

でないと、私の方が負担が大きくて、損、なんだもの。

 

いえね今は私も、お気楽バイト生活ですから。

時間もありますし、片付けくらいしてあげていいし、食器だって洗ってあげてもいいのです。

だけどそれをすれば、おじさんのこと、あっという間に”何もしない君”となるのは、目に見えています。

それではこの二十有余年にも渡る、血の滲むような私の努力(大げさ)が、報われません。

 

だいたい今ですら、おじさんは、「後片付けもするよ〜」と言っていても、ご飯を食べた後、食器を流し場に置いたまま、テレビを見てたり、パソコンいじっていたり。

いつ片付けるのかな、でも、あまりうるさくいうと角が立つしな、などと気を使って、ストレスを貯める私。

結局、もう寝よう、という時間になっても、そのまま。

場合によっては翌朝に起きてきて、やっぱり、流し場に積み重ねられた食器と、調理器具の山を見つけてガックリくることも。

その度に、言い合いをするのは疲れるし、微妙な均衡の元に成り立っている、家庭平和が崩れてしまう。

 

そんな時、使い散らした調理器具や食器を一気に洗うのに、やっぱり食洗機、重要です。

 

特に男性って、こういうメカもの好きじゃないですか?

スイッチ入れたり、ガチャガチャ何かをセッティングするのって。

 

私たち女性だって、好きではない家事をするにあたっては、おしゃれなエプロンをするとか、輸入物の道具を使うとか、モチベーションアップを図ると思うのです。

 

なので、我が家の家庭平和維持のため、おじさんのために(あくまでおじさんのためにです)食洗機を、購入することにしました。

 

さて、購入にあたって、また色々と葛藤するのですが、字数も多くなってきたので、この辺で。

続きは明日に。

 

 

 

 

 

 

 

蒸し暑い夏にぴったりの怖〜い短編集 ”チェーン・ピープル”

 

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図書館で借りてきた本です。

六篇の短編から成っています。

 

何気ない日常風景、どこにでもいそうな人が描かれていますが、どこかがずれている。

というか、変。

でも、怖いのはその人物ではありません。

 

読み進んでいくと、少しずつその登場人物のずれ方や、在り様よりも、その人物を取り巻く社会というか、その人物に反応する世間の怖さが、じわじわと迫ってくる。

 

読み終わった後、そこはかとない怖さが、コーヒーカップの底に残ったコーヒー滓みたいに、心の内にこびりついている、そんな感じです。

 

表題作の”チェーン・ピープル”はそうでもないですが、最後の”応援”はマジに怖い。

背中がゾクゾクしてきます。

 

祟り物とか幽霊物の様な、ありきたりのホラー話に飽きた人。

ちょっと変わった怖い話を読みたい人、におすすめです。

でも、うっかり無防備に読んでしまって、怖くて外に出られなくなっても、知りませんよ。

後から、じわじわくる系の怖さです。

 

不条理な世界に翻弄される個人、というカテゴリーがあるとしたら、フランツ・カフカやP.K.ディック、ブライアン・エヴンソンなどと同じかな。

どの作者も好きなので、私にはツボ、でした。

 他の作品も読んでみよう、と思います。

 

 

 

 

介護生活の伏兵は「通販」だった〜雑誌の記事から

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ふと見つけた雑誌の記事。

認知症のお母さんの介護経験を、記事にされているようです。

 

離れて独り暮らしをする親がいるので、つい、読んでしまう。

著者のお母さんは、認知症という自覚がないままに、色々と問題行動を起こします。

 

今回、著者が苦労したのは通販。

サプリや健康食品や化粧品。

定期購入の契約をしては、そのことを忘れてしまう。

届いたものは使うわけでもなく、家のどこかにしまいこんで、これまた忘れてしまう。

家族が気づいて解約しても、テレビの通販番組を見ては、また契約してしまう。

そして、それを忘れる。

 

忘れているので、反省することがないし、いちいちその度に家族と揉めることになる。

そうしてお互いの信頼関係が揺らぐ。

家族の心の余裕とか、優しい気持ちとか、介護するにあたって必要なものがすり減っていく。

本人だって、覚えのないことで子供から叱られて、いい気持ちはしないし、自分の認知機能への漠然とした不安が拭えなくなる。

やがて、それが自信喪失、意欲減退に繋がる。

ますます、認知機能が衰えていく。

 

その間も、支払いは口座引き落としだから、発覚が遅れればいつのまにか、お金がどんどん減っている。

 

これって、地味に怖い話です。

 

うちの母親は、サプリ系のものは好きではないし、通販自体をあまり利用しないので、大丈夫?かな。

でもこの間、楽天で旅行の手配をしてチケットを購入したら、ちょうどキャンペーン中だったとかで、ポイントが意外とついて、得した〜、と喜んでいたっけ。

でも、その後、楽天で買い物をしている気配はないし。

 

本当に危ないのは、実は私かもしれない。

通販大好き。

日用品はほとんどネット。

このほど、いつも買っているウイルキンソン炭酸は、アマゾンの定期便の契約をしました。

その方が、単価が少しでも安いもので。 

ワンクリックで、契約成立、です。

 

服だって、ネット。

ちょっと疲れたな、とかイライラすることがあると、ついPCを立ち上げてネットショップを覗いてしまう。

お手軽な気分転換です。

ついでに、ポチッ、としてしまうことだってあります。

 

サプリも全然抵抗ありません。

2年くらい前から、腸活関係のサプリメントも続けている。

効果のほどはわからないけど、いいような気がする。

それだけの理由で続けてます。

時々、もうやめようかな、と思うけど。

 

このまま、歳を重ねて認知症になっていった時、もしかすると、我が家の納戸には、怪しげな健康食品とかサプリメント、化粧品の品々が密かに堆積することになるかもしれません。

 

そうなったら、今、爪に火を灯す思いで(自己気分比)貯めている老後資金や、払っている年金が、どんどん、通販業者に流れてしまいます。

 

未来の私、しっかりしておくれ〜

 

こちらの介護記事は八月上旬くらいに刊行される予定らしい。

本になったら、是非読みたいと思いました。

 

 

 

発達障害子育ての悩み

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NHKあさイチで、発達障害の子育ての悩みについてやっていました。

今だから言えるけど、うちのおすねかじり虫も同じ傾向あり。

本当に大変だった。

切り替えが苦手で、ぐずりだすとどうしようもない。

 

番組に出てきた女の子に、昔の子虫の姿が重なりました。

番組のお母さんは専業主婦なのかな、ちゃんと、子供さんの気持ちを言葉にして、寄り添ってらっしゃいました。

 

本人の気持ちがこじれて、会話も成り立たなくなったら、筆談でコミュニケーション、というのは私もよくやったな。

 

でも当時は、そういう子への知識もなかったし、仕事もしていたから、番組のお母さんみたいに余裕がなくて、だんだん追い詰められていって、いつか切れて虐待になってしまうのではないか、と怖くなった時期もあった。

 

この子は最初の反抗期から、ずぅーっと反抗期なのよね。

いつになったら落ち着くのかねぇ、早く落ち着いてくれよ(泣)

というのが、子育て中での感想です。

 

番組中のお母さん同士の会話に出てくる、発達障害の子供達の行動、全部うちの子供達にも当てはまります。

でも、子育てなんて初めてだし、子供ってそういうものなのだろう、と思っていたし。

仕事してるから、私の目が配れなくて、そういう行動になってしまうのかな、でも仕事はやめられないしな、などと思いながら過ごしてました。

 

救いだったのは、赤ちゃんの頃から保育園に預けていたので、熟練の保母さん達が、根気強く付き合ってくれたこと。

小学校もそれほど規模が大きくなくて、穏やかな校風の学校でした。

 

そして先生達が、いつもいいところを見出してくれたこと。

集中力がありますね。

発想が面白いですね。

 

あとは、私自身も実はそうなので、子虫達がぐずぐずになっているときは、その気持ちが割とわかったこと。

実際、大人のADHDについての本を読んだら、あまりにも自分に当てはまるので、びっくりしたくらい。

今まで散々失敗して、痛い目にあって、苦労してきた経験から、ぐずぐずになってしまう状況に、気づきやすかったこと。

くらいかな。

 

例えば、私は子供連れでおもちゃ屋さんに行く時に、まず一人では連れて行かなかった。

スーパーマーケットの買い物も、ある程度大きくなるまでは、連れて行かなかった。

絶対、どこかでごねて、最悪の事態になるのがわかっていたので。

身体が大きくて力のある相方のおじさんと一緒に行って、いざとなったら強制退去できるようにしてました。

 

テレビやゲームは、主電源から切る、または買わない&持たない。

 

思えば、末の妹がよく癇癪を起こしては、床でも道路でもあたり構わず転がって泣き叫ぶ子だったので(今だったら、ADDと診断されていたかもしれない)、身近にそういう子がいたことで、子供には色々いるんだ、と実感できていたのもよかったのかもしれません。

自分自身もそういう子だったし。

 

子虫は思春期になって、不登校とか学校中退とか、色々ありまして。

その辺りからもしかして、と遅ればせながらADDについての本を読んだら、当てはまることだらけ。

その頃、相談に通っていた精神科の先生から「可能性がありますね」と言われて、逆にほっとしたのを覚えています。

 

育て方が悪いとか、親の関わり方が悪いとか、そういうことではなかったんだ。

と思った。

でも、発達障害を理解していたら、逆にもっといい関わりが出来たのかも、と思って、子虫に申し訳ない気がしました。

 

そもそも考えてみたら、私も、私の母も、家が片付けられないとか、忘れ物が多いとか、授業中も他の事に気を取られて聞いてないとか、今だったらADDと言われそうな人間でした。

でも母は努力して、当時の女性としては珍しく大学院まで出て、公務員としてずっと働き続けてました。

 

発達障害=知的障害ではないのです。

 

祖父母の育て方が良かったから、母は立派な社会人になりました。

その祖父母に関わってもらって、私もここまでこられました。

ご先祖の話を聞くと、結構、武勇伝がたくさんある。

だから発達障害、って実はそんなに珍しくないのかもしれません。

でも、周りの理解が足りなくて、ダメ出しされてばかりいたせいで、本来なら伸ばせた能力が、潰されてしまうことは、あるかもしれない。

 

私は失敗しちゃったかな。

 

子虫は学歴街道をドロップアウトしたあと、しばらく、私と一緒にカウンセリングに通ってました。

本人もさすがにまずいと思ったのか、割と真面目に通っていたのですが、一度、寝過ごして行きそびれたら、「もう行かない、私におかしいところはない」と言い張って、それきりになってしまいました。

言い出したら自分でも引っ込みがつかない感じで、あの頃が一番、大変だった。

 

それで最後のカウンセリングには、私が一人で行ったのですが、その時に、

発達障害だからって、治るとか治せるとか、そういう考え方は、私は好きではないんですよね。病気じゃないんだし、本人は一生変わらないんだから」

とカウンセラーが、ぽろっとおっしゃった。

 

その時に、覚悟がついた気がしました。

今までの私の子育ての経過の中でのあれこれを、今更なかったことには出来ない。

これがこの子の個性。

行動は矯正するのではなくて、出来ないと色々不便だから、不便を感じないで済むように対策を立てるんだ、と、そう考えよう。

 

なんだかんだ言って、うちの子虫たちは、程度はそれほど重くはなかったのでしょうね、今はどちらも落ち着いています。

 

とりあえず、一人の独立した社会人として、ちゃんと仕事をして、税金や年金を払って、食べて行かれるようになってくれたら良い、願うのはそれだけです。

 

凡人のための仕事プレイ事始め〜を読んで

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もうそう遠くないであろう将来の、再就職とか転職の参考になるかな、と思って読んで見ました。

色々な業種について、著者ならではの辛口コメントが載っているのかな、と思ったのですが、主に著者のいる業界についてのお話でした。

 

でも、私の知っている世界とは、まず接点のない業界の話なので、そう言う意味では、参考になりました。

もちろん、ライターという仕事にも興味がありましたし。

 

どこの業界も、傍目で見たらよく見えるものなんだな、と改めて「隣の芝生は緑」なのだと、思いました。

 

著者は

”会社員は、人から怒られないようにするために働くこと、が全ての原動力になっている”

と二十代のある時に気づき、

”サラリーマンの仕事とは「好きでもなんでもないオッサンの出世と名誉と富のために自分の時間を差し出し、働くこと」がまずは求められることを理解した”

”私は好きでもなんでもない上司やクライアントのためにもう時間を使いたくなかった。そして、将来的に私のために若者の貴重な時間を無為に過ごさせるのもイヤになった”

から、会社を辞めてフリーランスになったのだそうです。

 

私の働いている業界も、世間的にはブラック認定されており、確かに転職、離職の多い業界ではありますが、こんな風に思って仕事を辞めたい、と思ったことはなかったな。

どこの業界も、それぞれに切ないものがあるのですね。

 

フリーになった後、著者はライターになり、編集の仕事をはじめ、何冊もの本を出します。

この辺、ちょっと憧れちゃう。

ライターの仕事、と言うと、家にいて毎日、文章を書いたり、読んだりする仕事だと、なんとなく思っていたので。

 

満員電車に乗らなくて済むからいいな。

自分の好きな時間や場所で仕事ができるからいいな。

自分で仕事の時間も内容も決められていいな。

 

午前10時ごろ(つまり、それほど早い時間ではない頃)に、おしゃれなカフェや、綺麗に片付いた居心地の良いお部屋で、美味しいカフェオレをすすりながら、のんびりノートパソコンを開いている私(妄想です)。

なんて、ね。

 

もちろん、現実はそんなに甘くはないだろう、とは思ってたけど、家で出来る仕事なら、年取っても出来るかな、くらいの甘さはあった。

 

でも実際は、全くそんなことはないらしい。

むしろ年をとっていると、自分より年上の人間を、使いっ走り的に使うのは気がひける、と言うだけの理由で、不採用になるらしい。

その上、いきなり知らない業界の、知らない人にインタビューに行かされることもあるらしい。

それも、取材申し込みをしたり、交渉したりは自分の責任で。

そして、あちこちの会社や関係者の思惑で、いいように責任を押し付けられて、自分が関与していないことでも、叱られたり、謝らないといけなくなったりもあるらしい。

 

おまけにライター志望の人はすごく多くて、それで食べていくと言うか、生き残っていくのですらも難しいらしい。

 

著者自身も、5年経っても専門分野を身につけられなかったら、ライターとしてのキャリアを諦めて、恥も外聞もなくまた元の会社員に戻ろう、とまで覚悟していたそうです。

 

厳しい世界なのですね。

全然認識が甘かったです。

経験も人脈もない地方在住のおばさんが、何も考えなしに、やってみたいな、などと能天気に考えて良いようなお仕事では、ありませんでした。

許してください。

私が悪うございました。

 

やっぱり、すぐにできる楽しい仕事なんて、ないのですね。

私の働く業界も、そう楽なものではないけれど、少なくとも長くやってきているだけ、なんとか続けられるだけのスキルはある。

嫌なことがあっても、それなりにやり過ごす図太さもずるさも身についた。

 

だから、もう50代ともなったら、新しい世界に飛び出そう、新しい職を得よう、などと大それたことは思わずに、身の程を知り、今までやってきた業界で、なるべく長く続けられるように、努力したほうがいいのかな、と思いました。

 

終わりの方で、”ライターの仕事は「知り合いが知り合いを紹介する」ことで成り立っている”と言う話は、私の業界にも言えるな、と思いました。

私は今現在、二ヶ所の職場でバイトをしているのですが、どちらも知り合いのツテで得たもの。

今までの仕事も、なんだかんだ言って、紹介してくれる人がいたことで、仕事が繋がってました。

その辺は、どこの業界でも一緒なのだなぁ、と思います。

 

著者は言います、”才能よりも良好な人間関係が作れるか否かが仕事では重要”であると。

”とんでもない才能が求められる仕事などそう滅多にない。ほとんどの仕事は「無難」「信用度」「安心感」が求められるのだ。”

 

 この言葉を肝に命じて、先々、仕事に困らないためにも、今のお仕事を、真面目にちゃんとやることにしようと、思いました。

誰かが、そこを評価してくれて、また次の仕事に繋がっていくのかもしれないですもの。

 

最後に、この本は今から就活をするうちのおすねかじり虫達くらいの若者に読ませた方がいいのかも、と思いました。

会社組織の、身もふたもないことが書いてありますもの。

このくらい、現実的に世の中を見た方が、いいのかもしれません。

でもこれを読んで、就職するのが嫌になったと、いつまでもすねを齧り続けられたら、困るな。