とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

地域差

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待望の雨が、昨日の夕方からしとしと降り始めまして、今朝の鹿児島はどこかしんみりしています。

やっと、秋が来たかなーという感じです。

雨も、いつものバケツの水を撒くみたいな、どさっーという降りかたではなくて、どこまでも地味に細々と降っていていかにも時雨。

風情があります。

ちょっと肌寒いので、すごく久しぶりにレインコートを出してきました。なんか、秋だわ。

でも、歩いてたら暑い(*´Д`*)

 

結局、腕まくりして汗をかきかき職場にたどり着きました。

今日の最高気温は25度だそうです。

晴れ間が見えたら、もっと上がるやろな。

やっぱり、南国です。

 

雨が続くと、だんだん寒くなるけど11月半ばくらいまでは、大抵こんな感じです。

 

この時期になると思い出す事があります。

 

昔々、まだ若かった頃、11月にフィンランドからのご一家と、タイからの留学生と、霧島に遊びに行ったことがありました。

 

霧島は本格的な登山者向けから、日帰りで手軽に子供づれでも楽しめる、池の周りの遊歩道や林間の登山道まで、色々あって、鹿児島&宮崎人のアウトドアスポット。

ちょっと町外れに出れば、乗馬が楽しめる馬場もあるし、美術館や、オートキャンプもあります。

鹿児島のキャンプ地は大抵、温泉付きなのでおすすめです。

 

ちょうど紅葉も楽しめる行楽日和でした。

11月だし山ですからね、平地より5度くらいは涼しかった気がする。

 

私は、長袖の綿のシャツに薄手のウインドブレーカーを着てたと思う。

そこに、半袖のアロハシャツと短パン、素足にサンダル姿で現れたフィンランド人一家。

子供たちの目の下のとこには、お母さんが日焼け止めになんか黒いの塗ってるし。

フィンランドじゃ、このくらいは夏デース」

と、ニコニコしながらフィンランド人。

 

一方その隣では、タイ人留学生が

「何、11月でこんなに寒いの?まじ、信じらんない。これ以上寒くるなるとか冗談でしょ、生きて行けないかも⁉︎」

と、長袖のジャケットにマフラーしてブルブル震えたっけ。

 

同じ人類でも出身地で、地域差があるんやな〜と思ったのでした。

ちなみに私は、鹿児島と関東のハーフなので、寒さには弱いです。

心情的にはタイ人留学生寄り。

子供の頃は関東だったけど、もう30年以上鹿児島に住んでいるので、身も心もすっかり鹿児島ナイズされています。

多分、私の北限は鹿児島だと思う。

暑さには強い方だと思っていたけど、最近はなんだか夏の暑さが身に堪える。

多分、南限も鹿児島かもしれない。

と言うわけで、非常に狭い地域に生息しております。

 

本州は寒そうですね。

 

 

 

そろそろ雨が降ってほしい

十月に入りましたが、日中は三十度越えで未だに夏真っ盛りの鹿児島です。
全国ニュースでは、新燃岳の噴火が話題になっていますが、鹿児島市でも桜島が、元気に噴火を続けております。
ここ数日は、大小様々な灰が舞っていて街中がなんとなく埃っぽい。
せっかくお天気が良くても、なんとなく出かける気になれず引きこもってます。
出かけないからお金は使わないか、と言うと、全然そんなことはなく、逆にアマゾンのセールとか楽天のポイントキャンペーンにつられて、ネットでのお買い物スイッチが入ってしまいそうで、危ない危ない。

さて火山の降灰ですが、普通のご家庭ではまず経験することはない、と思います。
私も、鹿児島に来たばかりの頃はわかってませんでした。
ある日、「なんでこんなにテーブルの上とか砂が落ちているんだろう?ちゃんと拭き取ってるのに」
とぼやいていたら、そばにいた人に「だって、灰降ってるし」と当たり前のように言われて、ええっ、これが灰?!と思ったくらいですし。

ちなみにWikiってみると、2mm以下のものを火山灰と言うそうです。
おなじ火山灰でも色々と個性があるように思うの。

白っぽくて細かく、ふわふわしている灰。
蚊取り線香を燃やした後の灰にそっくりです。
道の片隅とかに、いつまでもいつまでも、積もっていて、掃いても掃いても舞い上がっては、また戻ってくる。
家の中でも、隅っこ好き。
綺麗好きさんには天敵みたいな存在。
鹿児島の主婦には、この細かい灰が嫌で嫌で、と言う人多いです。
ある主婦の方は、毎日、畳の目に沿って掃除機をかけるそうです。
それを聞いて、姑がそう言う人じゃなくてよかった、としみじみ思った事があります。
私は諦めの早い人間なので、さっさと諦めて共存してます。
ちょっとくらいなら、死なないし、と言うスタンツです。
喘息の原因になると、心配されますが、原因になることはないそうです。
でも、呼吸器の病気がある人は悪くなる事があるので、気を付けましょう、とニュースで言われます。

もう少し粒が大きくてザラザラしている灰。
これは黒っぽくて、重たい。
目に入ると痛いどころか、顔にあたっても痛い。
重くてトゲトゲしています。
大量に降ってくると、土砂降りみたいにザアザア音がします。
細かい方の灰は、うっかりすると気づかずに、スルーできることもあるのですが、こちらはもうはっきり「降ってまっせ〜♪」言わんばかりなので、憂鬱度が高い。
硫黄臭もこちらの方が強い気がします。
これらの灰が、大小取り混ぜて降って来ます。
条件によって、どの大きさの灰がメインかは違うみたいですけど、迷惑なのに変わりはなく、小さいゴキブリと大きいゴキブリみたいなもので、どっちも嫌。

ある晴れた日に、どぉん、と車のバックファイヤーみたいな音がして、海の方を見ると、なんだか黒い煙がもくもく、見る見るうちに、空が薄曇り。。。
こんな日は火山灰感がひとしおです。
うっかり、洗濯物を干して来てしまったり、布団を干して出て来てしまった主婦の悲鳴が、あちこちで上がります。

鹿児島は南国ゆえ日差しが強く、冬でも日傘を持つ人が結構いますが、こうした突発的な降灰にも使えるので、外出時には忘れないようにしましょう。
帽子は無いよりはまし、ですね。

そのまま豪快に灰まみれになるのは、一回くらいなら良い体験談にはなりますが、お肌は荒れるし髪の毛は痛むし、服も汚くなるので、避けた方が良いでしょう。
鹿児島市内は、以前は風向きの関係で、冬場は灰は降らない(反対側の大隅半島に流れる)と言われていたのですが、最近は冬でもしっかり降って来ます。
しろくまさんは灰色熊さんに、白い服は黒い服に、黒い服は灰色の服になります。
街も灰色一色になります。
オシャレには向かない街ですね。
お高いコートを着るのは避けましょう。
毛皮のコートなんか着ていると、毛の中に灰が入り込んで悲惨なことになります。
同様にペットも灰まみれになりますので、散歩から帰ったら、振るっておきましょう。家の中でぷるぷるされると、家のなかも灰だらけになります。

そよ風が爽やかな季節ですが、窓を開けて自然の風を楽しむのは諦めましょう。
多少のザラザラは、いっそ開き直って、ハムナプトラごっことか、砂漠の調査隊気分を味わっても良いかもしれません。
ただ、砂漠の場合は硫黄臭くはないので、そこに気づくと台無しですけどね。

火山灰はときに踏切の遮断機を故障させたり、信号機を作動させなくしたりするので、運転には気を付けましょう。
灰が溜まった交差点では、白バイ警官でさえ転けます。
バイクに乗る人は、生命保険補償額を増額しましょう。

火山灰は、硬くて自動車のガラス窓を傷つけるので、ドライバー達から嫌われています。
灰が降っているからといって、不用意にワイパーを作動させると、滅茶苦茶怒られます。
雨に混じると一体どうして良いかわからず、困ります。
ちなみに、雨に灰が混じっているのを鹿児島では「灰雨」と呼びます。
灰が混じろうがなんだろうが、がっつり土砂降りが降ってくれると、街に積もった灰も洗い流されて、雨上がりのスッキリ感は半端ない。

早く、雨が降らないかなぁ。
天気予報では、週末は雨が降ると言っていたのに、まだ曇りの状態です。

ついでに鹿児島弁ネイティブが言うと「灰」ではなくて「へ」。
「へが降っで」っと言われて、「???」と思わなくなって長くなりました。

余談ですが、「貝」「買う」「来る」「小さい」を「け」と言います。
微妙なアクセントで使い分けるそうです。
中国語みたいですね。
年寄りから「けけけけ」と言われたら、「小さい貝を買って来てね」と言う意味だと解釈するように、県外から来た人間は教えられますが、30有余年住んでいて、まだ言われたことはありません。

今からできる!空き巣対策

朝テレビを見ていたら、こんな特番が組まれていました。


www.nhk.or.jp

共働きの我が家、留守がちですからね、空き巣対策は大事です。

この道何十年という専門家の方が、解説していました。
空き巣に入られた被害者の家だけでなく、実際に空き巣を生業にしている人にも、インタビューをして調査をしてきたそうです。

その方によると空き巣は、思いつきでちょっとやってみる、というようなことではないそうです。
当たり前ですが、プロなのでしっかり下見をしてくるのだそう。
ただ、実際にお金があるかどうかは入って見ないとわからないので、とにかく、入りやすいかどうか、を基準にするのだそう。

だから、
①入りやすそうだな、と思われないようにすること。
②入られそうになっても、簡単には入れないようにすること。
この二点が大切、らしい。

キーワードがいくつか挙げられていました。

その1:下見の裏をかけ
空き巣はプロなので、ちゃんと二週間から一ヶ月かけて下見をするのだそう。
まずはグーグルマップのストリートビューで家の下見をしてくるそうです。
そういえば、我が家のストリートビューって見たことなかったな。なんか、ちょっと恥ずかしくて。
いい機会なので、見てみました。
植栽の手入れを全然していないので、草ぼうぼう、、、、恥ずかしい。
早めに教えてもらっていれば、草取りくらいしたのに(汗)。

写真の隅っこにある『問題の報告』というところをクリックすると、写真にぼかしを入れてくれるそうです。
ぼかしなんて入れると、逆に怪しい家に思われんかな、と思ったのですが、空き巣目線で考えると「防犯意識の高い家」に映るそうです。
早速、クリック。
ぼかしを入れるとどうなるのか、わかりませんが、入れてもらうよう依頼。
反映されるのは、いつ頃かな〜?

と、思ったらもうすでにモザイクかけました!のメールが。
早っ。
で、どうなったかと言うと、家の隅っこの良く分からないあたりにピンポイントでモザイクが。
なんか、いかにもそこに知られたくないものが有ります感が、半端無い。
あんまり、防犯になって無い気がしなくも無い、のだけどね。
ま、そこはトイレの窓だし、そこから入ろうとしたらめっちゃ目立つだろうから良いでしょう。

さらに、空き巣は不在時間を確認するために、インターホンでチェックするそう。
インターホンを鳴らされて、行ってみると誰もいない。
いわゆるピンポンダッシュいたずら。
近所の悪ガキの仕業かと思っていると、実は空き巣の下調べだったりするそうです。
そういえば、たまに家にいると、ピンポンダッシュされること、あったよな。
ひょっとして、あれって下見、だったのかしら。
対策としては、インターホンに広角レンズをつけるといいらしい。自分の姿が見えてしまうので、敬遠されるそうです。
ついでに記録できるカメラ付きだと、もっといいかもしれません。

あとは、洗濯物。
干してある内容で、家族の構成員を推測するらしい。
ちっちゃな子供の服が干してあるベランダを見て、微笑ましく思っていましたが、あんまりじろじろ見ないようにしよう。
降灰があるので、我が家はずっと室内干し。
ここはクリアかな。

テレビでは、男物、特に強面のおっさんが着るような服を、洗濯物に混ぜて干すことを勧めていました。
でも独身の頃、玄関に女物の靴ばっかりだと不用心だから、と父からわざわざ使い古しの男物のサンダルをもらって玄関に置いてたら、付き合い始めの頃の相方のおじさんに、疑われたことがあったな。
婚活中の女子は、気をつけたほうがいいかも。


その2:5分で侵入できなければ諦める。
空き巣はプロなので、ほんの20秒足らずで侵入してしまうそう。
でもプロですから、逆に5分で侵入できなければさっさと諦めるそう。
対策としては、
⭐︎エアコンや物置などを窓の下に置いて、足場にされないようにする。
⭐︎フェンスに土台からの隙間を作らない。足場をなくすことで、侵入しにくくする。
⭐︎安物の窓の格子はドライバー一本ですぐ外せてしまうのですが、ネジではなくてビスにすると、ドライバーで外せないし、さらにビスの数が多いと、外すのが面倒なので諦めてくれる。

他に、家を空けることになってしまった時の対策、留守にしている時の対策。

⭐️人通りの少ない側だけ雨戸を閉めて、人通りの多い側は雨戸を空ける。
⭐️人が近づいたら、明かりがつくようにする。
⭐️ガレージを空ける時は、車がない=留守、と思わせないために自転車などをガレージの真ん中に置く。

近づくと灯りがつく、というのは最近よく見かけます。
住宅地は意外と街灯も少なくて暗いので、夜遅く帰るときとか早朝ウォーキングの時など、ガレージの横を通り過ぎる時に、急に点灯してびっくりすることもあるけど、歩いている人の防犯にもなるから、いいかもしれません。

まとめです。
空き巣被害を防ぐには、
⭐︎他人事だと思わない。
⭐︎地域の人々とコミュニケーションをとる。
⭐︎対策としてできることはしよう。
⭐︎相手は、仕事としてやっているプロ


できる対策はして行こう、と思いました。

ルイの九番目の命


猫には九つの命があるそうですね。
100万回生きた猫もいるそうですけど。
八つ目まで使ってしまったら、どうするのかな。

来年、日本でも公開される映画の原作です。
面白そうだな、と思って借りてきました。
面白かったです。
ストーリー展開はだいたい予想がついちゃうんですけど、それはそれで、とついついページをめくってしまう。
お仕事がお休み中でよかった。
すっかり夜更かししてしまいました。

ネタバレ全開ですので、興味がある方は読まれてからよろしくです。

冒頭は主人公のモノローグから始まります。
この時点で、すでにどういう話なのかは、予想がついてしまう。
代理ミュンヒハウゼン症候群は、よくサスペンスものでは扱われるテーマですし。
だからって、「あ、なんかオチも検討つくし、もういいや」じゃなくて、
「え〜なになに、詳しく教えてくれる?」
という気持ちで読み進めてしまいたくなる。
やっぱり母親と子供の関係性って神話の時代から、色々な形で語られてきた大きなテーマの一つですもの。

主人公は9歳にして、もう数え切れないほどの事故に遭っている。
お母さんは、そのせいでかなり過保護気味。
息子べったりで、夫ともうまくいかない。
少年は頭もいいし、勘も鋭いけど、そのせいか情緒障害児として学校では持て余されている。カウンセリングにも通っているけど、カウンセラーを手玉に取ったりしている。

話は、その少年がすでに最後の事故に遭い、植物状態となったところから始まります。
主治医となった神経科医は、幼少期に夢遊病を患っており、ちょっと一癖ありそうな怪しい感じの人です。

その医者と少年の視点から交互に話が語られていきます。
話のキーパーソンである母親を、少年も医者も、事件の主犯とされている少年の継父も、とても愛しているのですが、その”愛”がちょっとずれてるのですね、そして不幸が始まります。
それは、母親自身に問題があるから。

舞台は、田舎の古い歴史を持つ病院。
植物状態となった少年が、今後の療養先としてその病院に転院になったところから、話が始まります。
超常現象としか思えないことが、起きたり、霊媒が絡んだりして、オカルト?と思わせる展開ですが、最後はああやっぱりそこ、と言う終わりです。
映画は見ていませんが、原作では、それほど後味の悪い終わりではありません。

結論から言うと、異常な親とその親の歪んだ愛に応えようとする子供、のストーリー。
親も親なら、子も子だよ、と言ってしまえば身も蓋もないのですが、決して言語化されることのない親の異常な愛の形を、言われずとも感じ取って応えようとしてしまう子も、また親の気質を受け継いでいるからこそ、ちょっと尋常じゃないのかしら、と思ったりして。

作品ではさほど大きな役割ではありませんが、少年の継父とその母親との関係も、また母ー息子関係。そちらは、初めはよくある歪んだ関係か、と思われるのですが、実はある意味健全な関係性だったのだとわかります。
語る側によって、聞いた方の受け取り方が変わっていく。
本当の嘘つきは、嘘をつかない、と言う諺を思い出したりして。
いずれ迎えるであろう嫁についての心構え、として読んでも、役立つかもしれません。
ここまで極端な嫁は、普通いないでしょうけどね。

イギリス人女流作家は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズがそうですが、母親ー息子の関係性がモチーフになっている作品が多いような気がします。
そういえば、どちらの作家さんも男の子の母親ですね。
うちにも男の子がいたから、わかるけど、ほんと、男の子って目が離せないって言うか、ろくなことしないって言うか。

その辺の、母親の複雑な気持ちが作品の細かいところに現れていて、それがこの作品に現実味と厚みを与えているような気がします。


あとがきを読んだら、現実に身内に起きたピクニックでも悲劇を元にしているとか。

本当に、子供を育てるお母さんは大変、なんです。
でも、子供だって色々大変なんです、ね。

猫なりに考えたこと

実は我が家には猫が二匹います。
いつもブログに載せている写真の猫は5歳(推定)の中年おばさん猫。
もう一匹は13歳(推定)のおばあさん猫。
こちらは、すでに尻尾も二股になって化け猫に近くなっているであろうと思われます。
あまりに猫相が悪く、写真写りが悪いので載せてませんでした。

さて、このばあさん猫が最近ボケてきたらしく、ご飯を食べても食べても忘れる。
食べた直後に空っぽの餌皿の前で、「まだもらってないにゃ」とうるさく鳴くので家人がうっかりやってしまう、こともしばしば。
それだけなら、まあ、ただ太っていくだけのことなのだけれど、困ったことに、高齢で消化機能も衰えてきたせいか、お腹がいっぱいになりすぎると吐くのです。
*食事中の方ごめんなさい<(_ _)>。

吐いた後はスッキリするのか、「また飯くれ〜」と鳴いてうるさい。
餌を食べる、忘れてまた食べる、食べ過ぎて吐く、スッキリしてまた食べる、の無限ループ。

さらに、カリカリ(固形の餌のことです)だけでは、栄養が足りないようでどんどん痩せてきた。
それで、栄養補助食も兼ねて猫缶を食べさせることにしたのだけれど、飼い主としてはカリカリもちゃんと食べてほしい。
というのも、以前母親の家にいた猫は、母親が甘やかして、猫缶や鶏肉を柔らかく煮たものばかり食べさせていた結果、歯がボロボロになってしまい、晩年は歯槽膿漏か何かで、口を開けっぱなしに臭いヨダレを、だらだらとたらしつつ徘徊するという困った事態になって、それはそれは難儀をした、という経験があるから。
それに、猫缶も大量に食べると、やっぱり吐いちゃうんですね。

そんなわけで、猫缶は必要な栄養が摂取できる程度にして、後はおやつも兼ねてカリカリも食べてほしいため、猫缶は朝ごはんの時のみと決めています。
相方のおじさんは、以前、猫缶を食べさせるときに量を間違えたり、私に「猫缶を食べさせた」という事実を告げるのを忘れて二度食べさせてしまったり、という失態を繰り返したため、今は猫缶事業からは完全に手を引いており、猫缶を食べさせるのは私の役割となっています。

朝、寝起きの悪い私が、よたよたと起きて身支度をして、階下に降りてくる頃を見計らって猫は、ギャン鳴きしているわけですが、先に起きてるおじさんは、台所でうるさく鳴く猫が鬱陶しいので、最近、あまり鳴くと外につまみ出すように。

それで私が起きてくると、ガラス窓越しに、呪いをかけてきそうに剣呑な顔付きの猫が待っている。
猫缶を温めて餌皿に入れてから、家に入れてやる。
ガツガツと食べる。
空になる。
ふと我に帰り、「まだもらってない」と、鳴く。
無視する私。
うるさい、とつまみ出すおじさん。
というのが、この間までの風景。

ところが、今朝、ご飯の後なぜかそそくさと外に出ていく猫。
食後の気晴らしに外にでも出たいのかな、と出してやる。
うるさくないから、いいか。
と、すぐに窓ガラス越しに呪いの視線が。
見ると「入れろ〜」と鳴いている。
「今、出せと言ったくせに」とブツブツ言いながら、入れてやる私。
からの餌皿に一直線の猫。
入っていない、と抗議する猫。

その様子を見ていておじさんが、言いました。
「ひょっとして、外に一旦出たら、猫缶もらえると思っているんじゃないか?」

なるほど〜

猫は猫なりに、知恵を絞ったのですな。

朝、つまみ出される。
台所におかあさんがくる。
中に入る。
猫缶もらえる。

という、流れを学習したんですね。
でもね、その学習、肝心なとこが間違ってます。

残念でした。

自転車だって凶器になります

仕事が終わって帰宅の途についた時のこと。
職場から家に帰る途中に、大学のキャンパスがあります。
時間もちょうど6時頃で、道には学生さんと思しき若者たちがたくさん歩いたり、自転車に乗ったりと、行き交っていました。
大学前だからか、歩道とはいえ割と広めにとってあり、自転車用と歩行者用とに白線で分けられている。
でも、守っている自転車はみたことないです。
歩行者の側をすごいスピードで走ってくるから、どうしても自転車側を歩かざるを得なくなる。
自転車専用路が車道側なので、どうしてもバスの停留所があったり、歩道橋があったりすると、人もそっち側に行きがちだから自転車としても専用路を走りにくい、という事情もあるのはわかるのですけどね。

鹿児島は、都会と違って割と人もおおらかなので、その辺それほどうるさくなくて、なんとなく、歩行者と自転車と入り混じってなんとかなっている。
そうはいっても、歩いていたら前方から来た自転車に轢かれそうになると、さすがに温厚な私も腹が立ちます。
ママチャリに乗った女の子、なんだか変なふうにふらふら自転車を漕いでいる。
まっすぐ進めずに、斜めに道を横切りながら進んでいます。
身体の具合でも悪いの?
どこかに障害でもある人?
かと、最初は思いました。
轢かれかけて、避ける時にすれ違いざま、右手を見たらスマホが握られている。
歩きスマホならぬ、自転車漕ぎスマホをしていたんですね。
彼女、私にぶつかりそうになった事にも気付かずそのままふらふら行ってしまいました。

これは、危ないなぁ。

誰も注意しないのかな、と思ったら、周りの人もみんな手元を見てる。
さすがに、自転車でスマホは彼女だけだったけど、道端に立っている人、信号を待っている人、バスを待つ人、みんな同じ仕草。
今ここに、暴走車が突っ込んでも、直前まで誰も動かないかも。
と、ふと思ってしまった。

ま、私だって歩き出す直前に、ネットラジオにつなぐためにスマホいじってましたから、人のことは全然言えません。
なるべく、信号待ちとか立ち止まっている時に見るように気をつけているけど、メッセージとかラインとか来ちゃったら、歩きながらつい見てしまったり、時には返事しちゃったりしている。

でも、そうやって自分の手元だけを見ている、という狭い視野の中にいると、危ないのだな、と今回身を持って実感した次第。

やっぱり、自分の身は自分で守らないとね。
おばさん一人、自転車に轢かれたくらい、これだけの人がいてもちゃんと見ていて助けてくれるとは、到底思えないのですから。

GRIT やり抜く力


やりたい、と思ったことの大半をやり抜くことが出来なかった苦い経験だらけの人生。
サブタイトルの”人生のあらゆる成功を決める『究極の能力』を身につける”に惹かれて、借りてみました。

著者はハーバード大学の神経生理学を優秀な成績で卒業して、あのマッキンゼーに勤務したあと、大学に戻って研究生活に入り今はペンシルヴァニア大学の教授になっている、と言うスーパーキャリアウーマン。
そう言う著者が、何かの偉業を達成する人は才能ではなくて、やり抜く力が優れている人だ、と様々な研究成果から結論づけた本、です。

努力が大事、と言う話はほとんどの自己啓発本で強調されてきてますし「そんなの知ってるよ」と思います。
知りたいのは、どうやったらその努力を続けられるか?ってことなんだけど。

人生もう終盤戦に入って、思うことは、やりたいことはいっぱいあったけど、ちゃんと成果が出せたことはほとんどなかったな、と言うこと。
てか、まだ終わってないので、やり抜けるかどうかもわからないのですが、少なくとも子供の頃から続けていることなんてないし、社会に出てからも、別に何も達成してないし。

本の中ほどに、やり抜く力があるかどうかをチェックする質問票があります。
それをやってみた私は、グリットスケール2.5。
平均的アメリカ人のグリットスケールに及びもつきません。
ちなみにグリッドスケールが4.1以上あれば、やり抜く力が強いそうです。
アメリカ人よりやり抜く根性が無いんや、私。
いや、アメリカ人が根性なしという訳では全然ありません。むしろ、何もない荒野を開拓してきたり、身一つで異国に渡ってちゃんと社会生活をしてきているのですがら、まさに根性の塊&その子孫たちです。

こんな根性なしの私には、もう、やり抜くことなんか到底できそうもないから、無理してやり抜こうとしてストレスを溜めるような人生は、送らない方がいいのかもしれません。
まだやりたいことは、沢山あるんだけどな。

やり抜く力、つまり日本語で言うところの根性、ですね。これが、身につくには子供の頃のマインドセットが大切とか。
そこで根性のある子どもに育てるための、言葉の掛け方、と言う章があります。
根性を育てる言葉と、育てるつもりで逆効果になる言葉の表が載っている。
でも、日本語に翻訳しているせいでしょうか、あまり違いが良くわからない。
それに、どっちの言葉も割と日常的に言われてきたし、言ってたな。

自分の子ども時代を省みると、親や祖父母からは、むしろやり抜く力を伸ばす言葉を、かけてもらってたような気もする。
でもその結果、『やれば出来るはず』と楽天的な気持ちだけで取りかかったものの、結局、達成も成果も出せずに終わったお稽古ごととか、勉強とか、仕事とかの屍たちが、私の人生を振り返ると、その道中にごろごろと転がっている。

やれやれ、結局のところやり抜く力だって、他の才能と一緒で、ある程度生来備わっているものなんじゃないでしょうか。
だって、「俺何にもしてないよ、と言う奴に限って、影ですごい努力している」と言うフレーズ自体、努力できる奴ってすごいよね、と言う意味も含まれていると思うのです。

かの東大を首席で卒業されたという女性弁護士さんも、日本で有数の進学学校を卒業されていますが、「自分は周りと比べて特別勉強ができ話のではなくて、努力を人一倍したから」結果が出せた、と本に書かれていますが、その努力の内容が、そもそも常人にはとても真似できそうも無い。

努力は才能。

才能は生来備わっているものなので、逆立ちしても無い人間には無い。
と言う、身もふたもない結論になってしまったのでした。

とはいえ、「努力している過程は、どれだけ努力が好きな人にとっても辛くて退屈で面白く無いのだ」と言うことがわかったのは、多少は今後の助けになるかな?

どんなにやり抜く力を持った達人でも、その修行の過程では辛いし辞めたくなるし、その修行自体が正しいかどうか迷うそうです。
だからこそ、正しいフィードバックを得ながら、続けていくことが必要、なのだとか。
褒めてもらうことより、どこをどう修正したら良いのかを教えてもらう方が伸びるのだそう。

これは、今後のお稽古ごととか、仕事を覚えていく過程で、今からでも役に立ちそうです。
失敗したり注意を受けたりした時、すぐ凹まずに、

どこに問題がありましたか?とか、
どこを直せばいいですか?

と聞くだけで、やり抜く力が付いて来るのかもしれません。