とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

鹿児島でも紅葉

寒い日が続いていますね。
鹿児島でも、最高気温が10度を切る日がちらほら。
先々週はまだ最高気温が22度だった鹿児島にしては、滅多にないことです。

珍しく川べりの銀杏が紅葉していました。

以前、気象庁に勤めていた人に聞いたところ、鹿児島って、特に薩摩半島は、気候的には裏日本に似ているのだそう。

日本列島を大きな恐竜に見立てて、北海道が頭、お腹側が太平洋、背中側が日本海と考えると、背中の島根県鳥取県をずぅ〜と南に降りてくると、北九州辺りがお尻で、そこから尻尾のあたりに鹿児島薩摩半島

言われてみればその通りで、冬は大抵どんより曇ってて、雨がしとしと降っていることが多いです。
南にあるので、雪にならないだけなんですね。
冬はカラッと晴れることは少ない。
灰色の雲が帽子みたいに、すっぽりと覆いかぶさってます。
一月に入れば、雪にだってなる日もある。
一日くらいだけど。

そんな鹿児島薩摩半島、木々が紅葉することは、あまりありません。
大抵、茶色にみっともなく縮んで枯れて、落ちてしまう。

綺麗に紅葉するためには、朝の最低気温が8度を下がること、日中しっかり陽があたること、が必要だそうです。

生ぬるい冬の鹿児島では、夜間にそれほど気温が下がらないし、日中は曇りが多くて、紅葉には向かない気候。
寒くないのはありがたいけど、テレビや雑誌で本州の美しい紅葉の映像をみると、やっぱりちょっとは羨ましい。
特にね、京都になんて秋に行くと、本当に綺麗ですね、紅葉。
私なんか、御所の紅葉だけで十分感動ものですし、お腹いっぱいなので、有名なお寺さんには(混んでるし)行かないけど、それでも十分楽しめます。

もちろん京都に比ぶべくもないのですが、鹿児島市でも、なかなかに綺麗な紅葉が見られるここ数日。
嬉しい、けど、やっぱり寒い。

どっちを取るかと言われると、うーん。
やっぱり暖かい方が良い、かな?
せっかく南国なんですから。

美しく黄金色になった銀杏を楽しみつつ、でも、寒いのは早く和らいでほしい。
贅沢な悩みです。
それだけ毎日が平和だということで、良いことですね。

今年もあとわずか、このまま平和な日々が続いてくれると嬉しいです。

ウクレレ教室 8回目

コードチェンジの練習に明け暮れるウクレレ教室8回目、でございます。
なんとかかんとか、おぼつかないながらも次元大介的コードチェンジもできるようになって参りました。

今回は、初見の楽譜でどれだけ同じことが出来るか?
に挑戦です。
とはいえ、私ともう一人のおばさんが知っているコードはわずかに三つ。
C G7 F のみ。

先生によると、この三つを覚えれば、かなりのレパートリーが弾きこなせるらしい。

ということで、いきなりいただいた楽譜には、曲が八つほど。
これを、ランダムに先生が指定して弾いていきます。
課題は、右手がちゃんと戻ったところで、左手が素早くコードチェンジして、何事もなかったように、テンポを崩さず弾いて行く事。
うっかり、左手の指が先に動いてしまったり、うまくコードチェンジが出来なかったら、アウト。

何、このサドンデス的展開。

まずは、前回の課題曲、”きよしこの夜”。
右手のリズムと左手の動きに、ひたすら集中、です。
なんとか、合格。

つぎ、”ふるさと”。
早速、コードチェンジで引っかかる。
アウト〜。

しばらく練習したのち、再度挑戦。
この間は、先生は他の生徒さんのレッスンをつけてます。

合格がもらえたら、今度は”シャボン玉飛んだ”。
これは今までと違って4拍子なのに、うっかりワンストローク弾き落として次に進んでしまい、アウト。
ここをなんとかクリアしたら、次はとなりの曲ではなくて、飛ばして”春の小川”へ。
引っかかったら、そこまで。
という、なかなかに緊張感の漂うレッスンでした。

普段の私の練習は、ウクレレを台所の隅っこにかけておいて、お湯の沸く時間とか、お茶の抽出時間とか、そんな隙間時間にちまちまやってる。
なので、長い時間やったことがない。
だから、左手の指と手首は15分以上フレットを押さえてると、筋肉疲労でプルプルして来る。
位置とか、わかってるんだけど、指が動かなくなるの。
我ながら、どんだけスタミナのない左手。
で、何だかんだで、最後の曲までクリアできずに本日終了。
左手首を、もう少し鍛えなくちゃ。
なかなか進まないな〜。

ところで、気がつけば先輩のおじさまは、私がはじめた八月からすでに4ヶ月間、延々と”アロハオエ”を弾いていて、いまだに弾いている。
後から来たおばさんは、”きよしこの夜”が三拍子だという事実に、まだ気が付いていない。
だから、毎回何かしら違うことをしている私は、多少なりとも進歩しているってことなんだろうな。

と、前向きに思うことにしたのでした。

上司リクエストの、”牧伸二節”なんて、ずっとはるかかなたの高みにあるわ。
ウクレレ道はまだまだ遠いのでした。

終わった人〜を読んで

内舘牧子という人の作品は、これまで読んだことがなくて、朝ドラの『ひらり』の脚本を書いた人で、チリチリパーマのおばさまで、よく女性雑誌やテレビで、威勢の良い発言をしていて、確か相撲にすごく詳しい人、というのが、彼女のついて知っていることの全部でした。

今回、”会社を退職した人のその後の生活”に関係して、あれこれ本を読んだ中で、言及されていたので、読みやすそうだし、と借りてきました。

会社という、一つの村社会のようなところでぬくぬくと過ごして、結局、自分の価値をきちんと客観視できないままに終わった、ある残念な人の、残念な老後をコメディタッチで描いている作品、だと私は読みました。

主人公は、東大法学部を現役卒業して、東京のメガバンクにいてずっとエリート街道を歩いてきたけど、最後の役員になれるかなれないか、というところで、ドロップアウト
最後は子会社の専務取締役(ってことは社長のちょっと手前の役員ってことかな?)で定年を迎えます。

本人も自覚していますが、プライドが高いため、定年後も普通のおじさんになりきれずに、悶々とします。
そもそも、人生を勝ち負けでしか判断したことのない人物。
家族が定年を祝ってくれても、素直に喜ぶどころか、ちょっとした気遣いをかえって皮肉に感じてしまうような人間です。
素直に、再就職のための努力もできず、ひたすら妻に愚痴を言いつづけ、最後は持て余されてしまいます。

妻は妻で、お嬢様育ちで、エリートサラリーマンの専業主婦だったのが、子育てが終わった頃から、美容師の免許を取り、サロンで生き生きと働いている。

それにひきかえ、何かと言えば『負けた』『終わった』と情けない主人公。

仕方なくジムに通ってみたり、大学院試験を受けてみようとカルチャーセンターに通ってみたり、とあがいてます。

会社文化に浸たりきって人生を過ごすと、こういう風になってしまうものなんでしょうかね。

先日読んだ”定年後”でも、似たようなおじさんが実例として挙げられてましたっけ。
この本の作者も、還暦を迎え、友人知人が次々と定年を迎える中、この作品の構想が湧いたと、あとがきに書かれています。

タイトルにもあるように、この主人公、事あるごとに『終わった人』という言葉を出してきます。
そのくせ、まだ『終わり』たくないというあがきが、いかにも生々しく、格好悪くて滑稽です。

ともあれこの主人公、あれこれ足掻いているうちに、ひょんなことから、ベンチャー企業の顧問に誘われます。
彼の学歴と職歴が、会社に有利に働くからです。
そう言われて、まんざらでもない主人公。

その上、再就職した先の会社の社長が、40代の若さで急死してしまい、その会社を受け継いで、社長にまでなってしまいます。

傍から見れば、サラリーマンとして成功したようであっても、俺自身は「やり切った。会社人生に思い残すことはない」という感覚ももてない。
 成仏していないのだ。だからいつまでも、迷える魂が彷徨っている。

と、反対する妻を押し切り、社長になるのです。


そういうものなのかな。
会社に勤めるとか、辞めるとかって。

ともあれ、幸運にも会社の社長になれて”生き生き”過ごせると浮き浮きの主人公。
自信がついて、周りにも寛容になれて、女性にもモテててと、良い事づくめのようですが、ここで話は急展開。

会社が潰れます。

負債を自分がかぶることになり、老後のために貯めてきた資産が劇減りしてしまう主人公。
案の定、妻からは愛想をつかされます。
老後資金をちゃんとやりくりして貯めたのは、奥さんだったと思うし。

結局、この主人公は、”何かやりたいことがあって、そのやりたいことをするために会社社長になった”のではなくて、単に”会社社長”になりたかったから、ほいほい、美味しい話に乗っただけの人間だったのですね。

だから、会社が大きな損失を出した途端に、

鈴木、俺は成仏するまで全力でお前の会社を守るからな

と誓ったはずの会社を、

ああ、俺が若かったなら、俺がせめて40代だったなら、ここにいる全社員を基礎に会社を起こすのに。
俺はもう六十五なのだ。

と、投げ出してしまいます。

もう終わってない、ってうざいぐらいにあがいてたくせに、厳しい局面になると、歳のせいにして逃げちゃうなんて。

駄目じゃん。

と思うけど、歳をとるってこういうことなのかな、とも思ったりして。

どうでもいいけど、ここで、彼の個人資産が1億3000万ほどあったこととか、これからも年額500万の年金はある、ということがさらりと書かれている。
そんなにもらえるのかいっ。
さすがメガバンク
65歳からの支給だとしても、死ぬまでの年月の間、ずぅ〜っともらえるのですよ。
何もしなくても、年額500万収入があれば、怖いものないんじゃないのーと思うのは、わたしだけ?
おまけに、高級マンションは妻の親からの贈与で、ローンもない。

会社の負債だって、個人資産で帳消しにできてるじゃん。
そりゃあ、セレブ暮らしに慣れた奥さんは、許してくれないだろうけど、そもそも、旦那を持て余して、というか、旦那の扶養になりたくなくて就業したくらいの妻なんだから、今更、豪華温泉旅行やら、海外旅行ができなくなっても気にしないのでは?

ま、ここはお話の中でのことですから、置いておいて。

ラストで、妻との間も冷え冷えとしてしまい、行き場のさらに無くなった主人公は、故郷に戻る決心をします。

家で、妻の代わりに主夫をしているときの、惨めさアピールが半端ない主人公。
本当に情けない。
こういう情けないおっさんを描くのが、この作者さんは上手いな〜。

結局、都会育ちの妻は都会に残し、自分だけ故郷に戻り、母親の介護をしながら、同じように戻ってきた旧友たちのNPOを手伝って、暮らしていくことにするのです。
ま、田舎ならお金もあまりかからないしね。

年金が年額500万(ついこだわってしまう)で、奥さんも働いていて自分の食べる分は稼いでくれてるなら、むしろ余裕ある方なんじゃないの?

痛い目にあって、少しは成長できていると、いいですね。
彼のその後はわからないので、読者がそれぞれ好きに描いていい。


読み終わってのまとめ。

人って、自分を評価するのが一番難しいのかな、と思います。

世間が、”己の思うほどには、己を評価して扱ってくれない”と感じている人は、どれだけ経済的に恵まれていても、どれだけ思いやりのある家族に囲まれていても、常に『不満』や『不公平感』を持ってしまうのでしょう。

自分が人生でしてきたこと、達成したことに、それなりに評価を下せて、ちゃんと自分はその評価に値する扱いを受けている、と思うことができる人は、きっと自分の恵まれている部分にも気がつけて、幸せに過ごせるのだと思いました。

魂の退社〜を読んで

50歳を契機に会社を辞めた方の本です。
奥付を見たら、1965年生まれとある。
同い年なんだ〜。
俄然、親近感が湧きまして、早速図書館から借りて来ました。

でも、共通点は生まれた年と女性だということくらいだった。
何しろ、ご卒業は一橋大学
お辞めになった会社は朝日新聞社
論説委員、編集員をなさっていたとか。
コラムニストとして、名前入りの記事も書いてた方です。
エリートじゃん。
それも、パワーエリートってやつ?

色々な立場の女性がいる、そのこと自体はすごく良いことだと思うのです。社会が豊かになって来たおかげだと思います。
でもな、読んでて、あんまり共感できる部分がないと言うか、やっぱり住む世界が違いすぎるような気がしてしまいました。
独身で、お子さんもいない方みたいだし。
なんだかんだ言って、相方がいるとか扶養家族がいるとか、は女性にとっては大きいです。

ともあれ、著者は40代の頃に、香川県に飛ばされ生活が変わるなど、会社員としての生活の中で、お金の使い方の根本を考え直し、会社に頼る生き方を考え直し、定年を前に退職を決意します。
これって、独身で面倒を見ないといけない家族がいないからこそできるんだよな〜。
身軽っていいな〜。

そして、辞めてみて初めて、無職だとアパートを借りるのも大変、だとか、国民健康保険のこととか、税金のこととか、様々な理不尽さに突き当たります。
って、そのくらい事前にリサーチしてから辞めなかったのかな?
仮にも新聞記者さん、だよね?

辞めてから、初めて知ることって割とあって、全部を完璧に調べ上げてイメトレまでしておく、というのは不可能だ、とは思うのですが、仮にも社会のことを一般人に知らしめるオシゴトをしている人がいいのか?それって。

それだけ、会社員って会社に守られているんですね。
きっと、一つの国家みたいなものなのでしょう。
会社文化って言うしな。
そして、その会社が倒産するとか、リストラされるとか、退職するとか、理由はともあれ、会社からはじき出されるって言うことは、ある意味『難民』に近いものなのかもしれません。
今まで当然のようにあった、守ってくれるものが、無くなるのですから。

先日読んだ楠木新氏の『定年後』でもいかに、会社員が会社に守られ育まれてきたか、ということをこれでもか、と書いてましたっけ。

社会に出てから、ずっと同じ会社に勤めてたり、辞めてもすぐ就職して来た人が、ふと、会社を辞めたら具体的にどうなるのだろう?
と思った時に、予行演習&イメージトレーニングとして読むには、ちょうど良い本なのかな、と思いました。
文章も、さすが大新聞社でコラムを書かれていただけに、読みやすいしわかりやすい。

辞めて、無職になったことへの心許なさも書かれてますけど、全体的に明るい調子なのは、なんだかんだ言って御本も出されてますから、経済的にも困ってはいないのだろうな、と思います。
なんだかんだ言って、この本も含めて色々と著作も出されているみたいだし、講演会にもあちこち行かれているようですし。

だから、著者のように「何にもない私だけど、辞めてもなんとかなる」と勢いでやめると、泣きをみることになるんじゃないかと心配。
だって、この方全然『何にもない私』じゃないもの。

と言うわけで、会社員でない私には、あまりピンとこない本でした。
会社生活うん10年、と言う人には、多分共感できる内容なのかもしれません。

定年後〜50歳からの生き方、終わり方〜を読んで

図書館で予約待ち2ヶ月あまりの末、やっと借りてきました。
見ると私の後すでに二十五人待ちになっている。

すごい人気だ。

著者は、36年間務めた保険会社を定年で退職したのち、”定年後のサラリーマンが第二の人生をいかに生きるべきか”、をテーマに取材や研究をしている人です。

あちこちで講演会や、研修会、ワークショップを開催もしているようですね。
私も、同じテーマの雑誌記事から知りました。

他にも著作はたくさんあるようです。
もともと経理関係のお仕事をされていた方のようです。
こういう事務方の人の方が、実は会社についてよく知っているし、定年後の仕事って幅広くあるのかな、と思ったりして。

ただ、前半はご自身の経験談とか、取材による聞き書きがメインで、男性サラリーマン、それもある程度の立場の人が読むと、すごく見につまされるのだろうけど、私ごとき身分の人間には、いまいちピンとこない。

第3章『亭主元気で留守がいい』あたりに入ってくると、日本のおじさんの居場所のなさ加減が、容赦なく書かれていて面白くなってきました。
会社という、一つの閉鎖され完結していた社会から外れて、一人になると、群になることができないおじさんは、大変だ、ということがいろいろ書かれてます。

かと言って、家にいると妻の負担が半端ない。
病気になる妻もいるということも書かれています。
著者自身、今の仕事でレンタルオフィスを借りているが、自宅で執筆しても良いので、そうしようか、と妻に言ったところ、即答で『このままレンタルオフィスで仕事をしてくれ(四六時中家に入られては困る)』と言われたそうです。
私も、相方のおじさんが定年後、ずっと家にいるようになったら、ちょっと嫌だな。
てか、週末でも一日家にいると鬱陶しいもんね。

ここで著者は、女性と違って、男性は『群れることができない生き物』だと言っています。
けど、男の子と女の子を育てて観察した結果と、自分も仕事をしてきた経験から言わせてもらうと、男性が群れることができない生き物だ、というのは間違いだと思う。
むしろ、男性は本能的に群を作りたがる生き物だと思う。

ただ、男性の作る『群』は女性の作るそれとは違って、上下関係や力関係が大きく作用していて、構成員の関係性が非常に複雑かつ緻密なので、一つの機能する『群』を作るまでに、時間と労力がものすごくかかるのだと思うのです。
だから、女性と違って男性は気軽に群れたり、離れたりができない。のだと、思います。

だって、映画でも小説でも、異種業の男たちがやってきてチームを組んで、一つのプロジェクトを成し遂げる系の話って多いけど、大抵、まずまとまった『チーム』になるまでに一波乱ありますよね。
でもって、やっとチームがまとまって話が動き出すと、そこからはやたら早いんだけど、また途中でまた何かしら事件があったりして、最後のクライマックスでは、お互いの信頼を試すような事があって、すったもんだの結果、なんとかなって、ラストで新しいチームが出来上がって、めでたしめでたし。

映画だから、決まった時間内にチームは無事結成できるけど、実生活ではおそらくもっとかかる。
てか、現実の世界では、会社に入って定年で辞めるまでの時間を費やして群を作っているのが、男性にとっての『群』なんだと思う。
だから、その群を離れた後で、おいそれとまた新しい群を作るのは、なるほど、労力もかかるしエネルギーもいるし、一旦作ったらそうそう簡単には離れられないし、で、難しいのだ、と思うのです。

結婚だったり、出産だったり、子育てだったりで、何度も所属する『群』がコロコロ変わり、おかげでゆるい『群』を作ることがストレスでもなんでもない、女性からしたら、なんで出来ないの??という感じで見てしまうのですが、それこそがおじさんの問題点なのではないでしょうか。
会社員の忠誠心や会社への同一感って、女性である私から見ると一種異常な感じがしなくもない。

たぶん、昔の村社会では、その出来上がった『群』がそのまま一生続いたわけで、ストレスもなかったのだろうけど、都市生活者、会社員となると、そういうわけには行かなくって、今の居場所のないおじさん問題となっている。

で、どうしたらいいのか?

身も蓋もない言い方ですが、いくら大変でも、新しい『群』の一員となるしかないでしょう。
だって、人間は『群』を作って生きてきた社会的動物なんですもの。
独りでは、やっぱり生きてはいけないのです。

本能的に向いてないとか、苦手だからと言って甘えていたら、世の中渡っていけませんのよ。
そもそも、人間は『本能が壊れている動物』でもあるのですから、この際、理性的に捉えて動きましょうよ、と思います。

で、この著者は、本能がどうとかそういうことは言ってませんが、やっぱり、早いうちに会社以外の自分の『居場所』を作るべきだと言っています。
その時には、なるべく子供の頃に好きだったことを中心に考えると良い、と助言しています。
そりゃそうよね、好きでもないことをやっても続きませんもの。

社会と繋がるためには、自分の得意技と他人や社会のニーズをつかむ力をしっかり蓄えるように、と提言しています。

そのためには、世の中を広く知ることも大事じゃないかな。
ついでに、素直に社会と向き合うことも大事でしょう。

会社でいくら偉くても、会社を辞めたらただの初老のおじさんにすぎない、ってことを自覚しないとね。


というわけで、相方のおじさんに読ませるといいかもしれない、と思いました。

十一月の反省


十一月の反省です。

食費     31,925円
日用品     4,171円
娯楽・贅沢費 44,503円
合計     80,599円 
      (29,401円黒字)


今月は、日用品を買い控えたので割と余裕でした。
でも、カレンダーとか猫の餌とか、どうしても必要に迫られて買ってしまったものも。
十二月も日用品は極力買わずに済ませて、十月のまとめ買い分を取り戻そうと思います。

食費も、割と余裕で予算内に収められるようになってきました。
最近気がついたこと、それは、相方のおじさんと買い物に行かない時は、出費が少ない、と言うこと。
だってね、いっしょに行くと「お肉食べたーい」とか、「すき焼きしようよー」とか、すぐ食事をランクアップしたがるし、いつの間にかおやつやら、自分の好きなおかずやらカゴに入れているんですよ。
どこかの子供みたいに。
おやつの分は、別計算でおじさんのお財布から出してもらおうかな。

娯楽費も、今月はおじさんが知り合いのつてで、鹿児島県産黒毛和牛Aの5等級とか言う、”普通じゃ手に入らないんだよっ”なお肉を割安(と言いつつかなりの良いお値段)で購入したので、思ったより上がっちゃいましたけど。
まあ、予算内に収まったのでよかったよかった。

十二月は子虫たちも帰って来るし、色々親族関係のイベントもあるから、普段の生活はその分、引き締めないと、と思います。
職場関係の飲み会もあるしね。

幸い、今年はその職場関係の飲み会が、ほとんどかち合ってしまい(なので、『残念ながら出席できません』と断りやすくて)飲み会に行く回数は少なめ。
家飲みを控えれば、お財布にも肝臓にも優しい年末になる、はず。

ウクレレ教室 7回目

11月は、ついアマゾンプライムのテレビシリーズにはまってしまい、ひたすら毎日感想を書いてました。
でも、ちゃんとウクレレ教室も通ってはいたのでした。

7回目ともなり、多少は格好もついてきたのではないか?
と心密かに思う、今日この頃。

さて今回のミッションは、コードチェンジのタイミング。

左手の指で、どこかの弦を押さえますよね、右手の親指でポロロ〜ンと弾きます。
私は相変わらずどこかで、尻尾を踏まれた猫の悲鳴みたいな音になっちゃうのですが。
まあ、そこは置いておいて、次のコードに移ります、また右手でポロロ〜ン。
これをリズムに合わせて繰り返すと、なんとなんと曲らしきものになる。

ところが、このコードチェンジ、なんとかできるようになった、と思ったら、そこで先生からのダメ出しが。

ストロークのタイミングに合わせないと駄目、なのです。

どう言うことかと言うと、一つの音は、上から四つの弦を引き下ろしてそこで終わりじゃなくて、そこから右手が元に戻る、つまり最初の弦に指が戻るまでが、一つの音。
だから、下まで弾き降りて最後の弦を弾いたから、「あ、次のコードに行かなきゃっ」て左の指を動かしてしまうと、音が変なところで途切れてしまって綺麗じゃない。
これって、独学でやってる人に多いらしいです。
癖になる前に早めに治しなさい、とのこと。

でもね、右手の親指が戻るまで左手の指を動かさないってことは、次の音を弾く直前にコードを変えるってこと。

先生がおつしゃるには、『右手の指が戻って、次弾きおろす直前のコンマ何秒かの間に』左手のフレットを押さえる指を移動する、のだそう。
なんなのその、次元大介的世界。
ハードル高すぎませんか?
いちいち、人差し指〜薬指〜中指〜ってやってる現状では、限りなく難易度高し。
その上、楽譜を見ながらとなると、サイボーグ009から加速装置を借りてこないと無理っ。

上手にできるためのコツとしては、左の指を見ないで弾けるようになること、だそうです。

なるほどいちいち見るから、時間がかかる。
楽譜と指の間を、視線が行ったり来たりすれば、なお時間が要ります。
そこを、さくっと指が移動してくれたら、楽勝、のはず。
だけど、見ないで移動ってどうやるの?

電子世界の親切なアドバイスを検索してみました。
同じような悩みを抱える初心者は多いらしい。
いくつもアドバイスが、ありました。

でも、結論は一つ。

皆さん一様に、地道な練習しかない、とおっしゃってます。
やっぱり、そうなんだ。
だいたい、普通の人で1カ月はかかるらしい。
そうなんだ。
どうしても見てしまう時は、いっそのこと暗い部屋で練習すると、見えないので出来るようになるとか。

まずは、愚直にやってみました。
左手を見ないように、音だけ聞いてコードを弾いてみました。
左手を見てはいけないので、視線は右上へ。
音を聞こうと集中すると、無意識に左に頭が傾く。
どこを見るでもなく、右上の虚空を睨み、頭を左に傾けて
気分は、すっかり座頭市か、耳なし芳一
最初は、無理せずゆっくり、を、心がける。
まずは覚えた三つのコードをひとつずつ、弾いてみる。
間違っても気にせず、とにかくどうせ一ヶ月はかかると開き直って。
開き直れば、大概のことはなんとかなるものです。


ところで、新しいバイト先の上司に、ウクレレを習い始めたという話をしたら、
「じゃあ、例の”♪あゝやんなっちゃった、あゝ驚いた〜♫”ってのできるの?」
と言われた。
「あれはできるでしょ、丁度いいから年末の忘年会の出し物出てよ。
あれだけで、笑い、確実に取れるし。」
だそうです。
いやはや、予想外のリクエスト。

私がウクレレを選んだのは、単純に小さくて持ち運びしやすそうだったから。
でも、日本でウクレレを弾く人というのは、牧伸二節がやりたい人だと、世の中では思われているらしい。
知らなんだ。

一応ネットで調べて見ました。
原曲は”TA HU WA HU WAI”という曲らしいですね。
ハワイの王子様が作曲なさったとか。
見た目ほど簡単ではなさそうです。
おまけに、掛け合いとか替え歌とか。
とてもとても、無理そう(・_・)。


先生に聞いてみようかな、と思ったけど、ちょっと聞けそうにない雰囲気。
今回も厳粛に、"きよしこの夜"を弾いて来ました。

いつか、上司のご期待に添えるような牧伸二風演奏、ができる日が来るのだろうか。
ウクレレ道は、まだまだ遠いのでした。