とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

西郷どん〜第二話

金曜日からのインフルエンザ(?)で寝込んでまして、復活した日曜日。
朝から割と元気だったので、もう治ったかな〜と思っていたのでしたが、夕方になったら、急に電池が切れたみたいにパワーダウンしてしまったので、感想が書けず。

一晩たってだいぶん持ち直したので、忘れないうちに感想を。

農民の窮状を、西郷さんが苦悩する場面。
農民たちの芝居が、水戸黄門よりもさらにとってつけたようで観ていて疲れる。
子役の女の子が可愛かったかな。

最後に売られて行っちゃいましたけど、西郷さんとけっこう仲良かったから、これは京都の花街あたりで再会する展開と見た。

大久保利通の就職祝いの場面。
とりあえず歴史上の人物が一堂に会するので、その紹介とついでに時代背景も兼ねているのか、セリフがいまいち会話になってない。
なんか、学芸会の舞台を見ているみたい。
まだ、歴史物の再現ドラマの方が、いいかもしれない。

何もNHKでこんなの見なくても、と言う気がひしひしとしてくる。

瑛太は、侍姿が案外似合わないな〜。
とか、黒木華はやっぱり時代劇似合うね、着物姿が可愛いな。
この人出てくると、ほっとする。
表情がいいよね。
などと、もうどうでもいいことを考えていたりする。

城内での島津斉彬と斉興の軋轢とか、調所広郷、お由良の方が出てくる場面だけ、やっと大河ドラマらしさと言うか、俳優さんたちの演技が雰囲気出してて、やっとほっとする。

そして隣では相方のおじさんが、いちいち俳優さんたちの鹿児島弁に「なんか違う〜」とダメ出しをしている。
映画シン・ゴジラで、石原さとみの英語の発音が酷すぎる(なぜ、わざわざ日系三世なんて設定にしたのだろう?かわいそうに)と、私がイラついていのが「いまになってよくわかる」と言ってました。

そもそも鹿児島弁は細分化されていて、鹿児島出身でもわからないこともあるし、出身階級でも違っていたりするので、いっそのこと鹿児島弁にこだわらず、標準語でやっちゃえばいいのに。
そしたら俳優さんたちも、もう少し方の力抜いて自然な演技できるんじゃないかしら。


エピソードも細切れで、当時の鹿児島の置かれていた状況とか、農民の暮らしとか、西郷さんの人となりとか、たくさん伝えたいことがあるのでしょうけど、焦点がはっきりしなくて内容が伝わってこない感じがしました。

とにかく、学芸会みたいな台詞回しとお芝居がいつまで続くのか、心配。
仕事仲間のメーリングリストでも酷評されまくりの今回の”西郷どん”。
地元だけに、みんな言いたいことがあるんやろう、とは思うけど。
ネットでも色々、言われてますけど。

やっぱり地元が舞台なんで『なんだかんだ言って、面白かったね』と言えるようなドラマになってくれますように、祈りながら見て行こうと思います。

インフルエンザ(?)で寝込んでました

仕事で会った人が、インフルエンザAと診断されました。
その診断のちょっと前、私はその人とけっこう近い場所にいて、ついでにゴホゴホと咳込むその人の咳をかなり浴びてしまった。

もちろんその人も気を使って、ずっとマスクもしてくれてたのだけど、マスク越しでもけっこう浴びたかも。

その日、家に帰ってから、何と無く調子がおかしい。

どこがどうと具体的に言えないのだけど、何と無く寒くて、お風呂に入ってもなんだか温まらない、と言うか、身体がしゃきっとしないと言うか。

そのうち、夜寝る頃になったあたりからのどの奥がヒリヒリと痛くなってきて、これってひょっとして、、、、???
一応、インフルエンザの予防接種は受けたんだけど。

扁桃腺は良く腫れる質なので、喉が痛くなったらすぐマスクをして寝るようにしてます。
保湿するだけで、予防になるそうです。
こう言う時のため常備している葛根湯(最近はネットでも買えるので助かりますね)を飲んですぐにお布団へ。

翌朝、覚えもないのに背中やら腕やらに筋肉痛が。
喉もやっぱり痛い。
でも、熱は36度台。
気のせいか身体もだるいけど、仕事には行かねば。
何しろ、未だ日雇いですのでね、休むとじかに収入に響きます。

折しも鹿児島は、雪。
と言っても、ちょびっと積もる程度ですが。
この程度でも、鹿児島ではちょっとしたイベント気分です。
いつもよりしっかり着込んで、出勤。
もちろんマスクもしっかり着用。

歩いて汗をかいたら、割と元気になったので、やっぱり気のせいかなぁ。
と期待していたのでしたが、出勤して午前中の仕事をこなしているうちに、どんどん背中が重くなってきた。
おまけに、なんだか熱っぽい気もする。

”なんか筋肉痛っぽいんですよねぇ。
喉も痛いし。
そう言えば昨日の職場で会った人が、インフルエンザAって診断でして”


と、ふと上司に言ったらば、速攻、帰らされました(^^;)。
もしインフルエンザだったら、他の職員に感染ると困るから。
ま確かにね、一昨年だったか、二十名のスタッフのうち八名がインフルエンザで一斉に倒れて大変だったもの、ここの職場。

そして帰り着いてみれば、本格的に体の調子が激下がりで、熱を測ったら38度。
やっぱりこれってインフルエンザ、かねぇ?
予防接種は受けてるんだけどなぁ。

今から病院行くか?
行くのもしんどいのだが。
昨日の人も病院行ったら「インフルエンザ、流行っているらしくて3時間くらい待たされた」って言ってたし。
こんだけ、身体がきついのにさらに病院で三時間も待たされるのはやだな。
おじさんが「今日は早く帰る」って言ってたから、帰ってきたら連れて言ってもらおうかな。
などど、逡巡しているうちに夕方に。
今から診て貰えそうなクリニックは近くには、ない。

ええいっ、良いやっ。
どうせインフルエンザなんて、昔は寝て治すしかなかったんだしっ。
今だって変に薬使うより、大人しく寝ときなさい、ってネットの記事にもあるし。

週末寝て過ごして、それでもよくならなかったら、病院へ行こう。
と言うわけで、さっさと布団に入る。

寝るのは大好きなので、早寝、お昼寝、大歓迎。
のはずが、眠れないΣ( ̄ロ ̄lll) 
身体がきつくて、眠れない。
とにかくね、横向いても、仰向けになっても、身体がきついのです。
いつものように、すぅ〜っと眠りに入って行けないのです。

そんなことってあるのねぇ。
などと、感心している自分もいるのだが、残りの95%くらいの自分は、
きついよ、しんどいよ〜
身体が痛いよ〜
喉が痛いよ〜
寝返り打つとめまいがするよ〜
とにかく、なんとかしてくれ〜
とひいひい言っている。

眠れないほど身体がきついので、ひたすら息を殺してじっとしていると、なんとも退屈。
身体がきつい状態なのと、退屈な状態というのは共存するのだと、しみじみ思う。
だからと言って気を紛らわせるために本を読むとか、ネットをするとか、そんな元気もないので、それがまた辛いのです。

以前読んだ、國分 功一郎の『暇と退屈の倫理学』を思い出して、ああ本当に、人間は『暇』という状態に耐えられない存在なのだな、と変に感心してたりして。
そうこうする内に、何とは無しにうとうとして来て、その合間にまた喉痛いとか、筋肉痛だとかでなんども目が覚めつつも、気がついたら朝になってました。

やれやれ┐(´∀`)┌。

一晩大人しく寝てたせいか、前の晩はあんなにしんどかったくせに、朝は割と気分が良い。
熱は、まだちょっとあるけど、ご飯を食べる気にもなってきた。
昨夜は、寝かぶりながらも唾を飲み込むときは、いちいち覚悟を決めないと痛くて飲み込めなかったのが、いまは、まあまあ我慢できる。

何と無く、治った感がありました。

やったね、一晩で克服したぞ。
病院行かなくても、自力で治したぞ( ´ ▽ ` )ノ
予防接種受けとくと、罹っても軽くて済む、って聞いたけどそのおかげかしらん。
本当にインフルエンザだったのかは、今となっては不明ではあるのですが。

しかしながら、動いているとまた身体がしんどくなってくるので、まだ寝てたほうが良いのだろうな。

そして起きて階下に降りて見てみれば、テーブルの上は新聞紙や広告が散らばってるし、開封したまま置きっぱの手紙はあるし、洗ってない食器は山積みだし。
猫のトイレの砂があちこち落ちてるし。
(うちの猫はトイレの掃除が滞ると、抗議行動として猫砂を撒き散らす)

気になるところが、あちこち目につく。
一気に片付けたいところだが、動いていると息切れとめまいがしてくる。
致し方なく、見て見ぬ振りをして布団に戻る。

別の意味で、ストレスがたまる。

相方のおじさんは、平均的な日本の旦那様に比べれば、まあまあ家事はやってくれる方だと思う。
でもな、一晩私が寝込んだだけでこれだよ(~~;;)。

やっぱり、こいつに介護は頼めないな、としみじみ思うのでした。

リトル・ピープルの時代〜を読んで

図書館にあって、ふと手にとってしまった。
表紙の仮面ライダーの写真が懐かしかったし。
ペラペラめくってみたら、村上春樹のことが書かれていたので、仮面ライダー村上春樹?と興味を持ちまして。

そういえば確かリトル・ピープルって1Q84に出てくる、邪悪な存在、だったよな、新しい村上春樹解説本?

別に村上春樹がすごく好き、というわけでもないのですが、村上春樹って、「なんだこれは?」と言いつつも、ついつい読んでしまう文章だよなぁ。
なので、なんとなく肩が凝るようなものを読みたくない時には、ちょうどよくって、実は割と読んでます。

しかしながら、この本は、村上春樹を単純に解説する本ではありませんでした。
むしろ、村上春樹こき下ろし批評しつつ、その先への物語の行く末を説明しようとしている、と読みながら思いました。

村上春樹、もっと頑張れ、というエールもあるのでしょうか。
前半は、村上春樹の作品をあれこれ俎上にあげて批評しています。
その辺は、村上春樹についてたくさんの人が書いているし、ふーん、そうなんだ、程度の感想。

ただ私が、村上春樹を読むたびに、なんだか居心地の悪い、スッキリしない読後感を感じていた理由が、作品に流れるマチズモと、最後は母性に丸投げして終わり、というご都合主義を感じていたからなのかな、と思い当たることができて、よかったです。

思いながらも、時々よくわからなくなってきてたりして。
批評家さんの本って、時々、迷路に置いてけぼりにされたような気分になる。

ともあれ、『リトル・ピープルの時代』。
一通り読んだので、読書感想をば書いておこう。

まずは、例の壁と卵の話から。
壁=システム、卵=私たち
ビッグブラザー=打倒すべき国家権力あるいは何かの権威。
という対立概念は、すでに壁が崩壊してしまった現在では通用しない、とばっさり。

なるほど、そうかもしれません。
村上春樹の時代は、学生運動が盛んで、戦って倒すべき壁(ビッグブラザー)がはっきりしていた。
でも、世の中が広がってしまった今は、国民国家という大きな壁が、よくわかんないものになりつつある。
企業だって、多国籍になってるし、一緒に働く人だって同国人とは限らない。
それどころか、AIだったり、機械だったりして人間とも限らない、という時代がすぐそこに来ている。

そんな時代の変化を、みんなが感じる”気分”として、よく表すのが、朝のテレビでやっているヒーローもの、なんだそう。

ふーん、なんか、面白いぞ。

著者は、ウルトラマンシリーズの盛衰と、その終焉のタイミングで誕生してきた仮面ライダーシリーズとを比較して、ビッグブラザー(=超越者)の時代からリトルピープル=(構成員全員が、望まずとも決定者となってしまう)時代、とを論じています。
この辺り、番組の裏事情なんかも書かれていて、面白い。
ウルトラマンを作ったのが、戦時中に戦意高揚映画を目的とした映画を作っていた制作会社だった話とか、対して仮面ライダーは浅草の大衆芸能から生まれたという話とか。

当然、ウルトラマンビッグブラザー時代のヒーローで、仮面ライダーがリトル・ピープル時代のヒーローですね。
ちなみに、ビッグブラザージョージ・オーウェルの『1984』に出てくる国民国家を総べるもの。
最近だとスターウォーズのファースト・オーダー。
人々を包み込み、制御するものであり、一方で打倒すべきものでもある。

余談ですが、スターウォーズのファースト・オーダー。
もうちょっとマシなネーミングができなかったのでしょうか。
まるでファーストフード店のメニューみたい、だと思うのですが。

けれども、グローバリゼーションが進み、世界が一つになりつつある現代、ビッグブラザー自体の意味がなくなり自己融解してしまう。
村上春樹は、ビッグブラザーの壊死を予言はしたけど、その後の時代を描ききれていない、のだそうです。

さて、じゃあ、誰がそのあたりを描いているか、というところでガンダムシリーズエヴァンゲリオン登場。
もちろん、仮面ライダーシリーズも細かく解説&解析してくれます。

ガンダムは、一番最初のシリーズしか見ていない。
エヴァンゲリオンの頃は、もう現実世界の方がアニメの世界より楽しくて見ていない。
でも、こうやって解説してもらえると、なるほど〜とわかったような気がして面白い。

さらには、秋元康によるAKB48の売り方もリトル・ピープルの時代に即したものだそう。
そこには、日本独特(著者は、東アジア独特と言ってますけど)の文化の消費体系があるといいます。

そして、クリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズは日本で独自に生まれたリトル・ピープル時代のヒーロー像(仮面ライダー)をハリウッド流に表現したものである、とも。
つまり、流行はすでに『海をこえてアメリカからやってくるもの』ではなく、『日本が独自に生み出していて、それを知ってかしらずかアメリカが莫大な資金とコマーシャリズムで広めるもの』になっている、と言っちゃっている。

テーマが現代文化の批評、なだけに話が、ビッグブラザーVSリトル・ピープルだったり、ウルトラマンVS仮面ライダーだったり、そこに、ポケモンやらAKBやら、バットマンシリーズやら『ノーカントリー』(※)やらが、混ぜ込まれて、闇鍋状態になっている感もなきにしもあらず。

面白いけど、振り回されちゃいました。

同じ著者の本で『ゼロ年代の想像力』という本もあって、こちらの方が薄いし、よくまとまっていそう。
こっちから読めばよかったかな。

※:ノーカントリー
コーエン兄弟の映画でアカデミー賞受賞作品でもあります。
あのハビエル・バルデムさんが、映画史上、最も怖い殺し屋として名高いアントン・シガーを怪演してます。

ノーカントリー - Wikipedia

ウクレレ教室 11回目

前回のウクレレ教室。
せっかく、頑張って練習していた『きよしこの夜』。

「クリスマス過ぎましたんで、今日は、それもうやりません」と、あっさりなかったことに。

ええええっΣ( ̄ロ ̄lll)

せっかく暗譜までして(というか、いちいち楽譜見てると、どこ弾いてるかわからなくなって、迷子になるので、必然的に覚えた)なんとか弾けるようになってたのに。

しくしく。
ナクナヨ (o・_・)ノ”(ノ_<。)

その代わり、今回はストロークについて。
今までは親指で弾いていたのを、人差し指を召喚。
人差し指の使い方、についてのレッスンでした。
今まで、親指でポロロ〜ンの時は、親指以外の余った指は、ウクレレの本体を支えるのに使っていたので、割と安定して弾けたのですが、人差し指の時は、全部の指を外します。
で、右手をピストルの形にして(ここでまたもや次元大介出現)親指と人差し指以外はしまってしまいます。
親指は、今後使うので、いつでも弾けるように構えはちゃんと。
人差し指を弦に上からと下からと二方向でなぞる。
この時、手首はゆるゆるに力を抜き、ウクレレの胴の幅よりも大きく振り抜きます。

ジャガジャガジャン

という感じ、かな。
なんとなく牧伸二風なウクレレです。
ちょっと楽しい。
でも、右手を大きく振ると、ウクレレが外れて何処かに飛んでいきそうになる。
それを、肘の内側で支えるのですね。
肘で抑えると、手首が固くなるので、肘から上だけはゆるゆるを守りつつ、肘はガチッとウクレレを支えて。
意外と、難しいんだな、これが。

これに、コードチェンジとか入れると、安定が悪くて小さくて軽いウクレレなんてどこかに飛んで行ってしまいそうです。
ウクレレに逃げられないよう、抱えつつ、手首をふってジャガジャガ鳴らす。

さて、その日はいつもの3人に、体験レッスンの若いお嬢さんが一人。
なので、総勢四名の生徒さん相手に、先生は大忙し。
あっち弾いて、こっち弾いて。
あっという間の、1時間。

最後に、思い出したように前回の課題をみんなで合奏。
次のクリスマスには、これをさらに複雑にしたアレンジで弾くそうです。

それまでは、時々思い出して、練習しておいてくださいね〜。

という、締め切りのやたら先な宿題、を出されて終わったのでした。

西郷どん〜始まりましたね

やっぱり鹿児島県民なので、観なくちゃね。
というわけで、第一話、観ました。
けどな、ちょっとな。

そいは、ちごど〜っ。

というところ多々あり。

鹿児島弁がね、ネイティヴじゃないのは仕方ないと思うのです。
前回の鹿児島を舞台にした大河ドラマの時は、字幕が出たそうですからね。
私も高齢の方のネイティヴ鹿児島弁は聞き取るのが精一杯です。
セリフ全部を鹿児島弁にして、かつ理解できるようにというのは難しいです。
むしろ、私には割とわかりやすいような気がした。
けど、鹿児島ネイティヴの子虫に言わせると、
「聞き取りにくい」
らしい。
発音やアクセントが微妙に変、だそうです。

これって、あれですよ。
英語圏で育ってない日本人の話すジャパニーズ・イングリッシュ。
同じようなジャパニーズ・イングリッシュの人にはわかりやすいけど、なまじネイティヴ英語で育ってしまった人には、なんか聞き取りにくい、みたいな感じ。

それよりも、斉彬がキレのいい江戸弁なのは、逆に彼が鹿児島育ちじゃなかったってことを強調していて、なかなかいい演出だと思った。

でもね、お糸さん、でしたっけ?
女だてらに、男の子に混じって大会に出席してたっていう話はねえ。

どうなんだろう。

原作者の林真理子って、その作品やエッセイからは軽くて調子の良い人に思われがちですが、実はすごく勉強家で、ちゃんと調べて書く人だと聞いたことがある。

でもねぇ。

流石に、これは創作でしょう?

男尊女卑といわれる土地柄ですが、その分、男の子には男の子の大変さもあるので、割と地元じゃ『男の子になりたい』というのは、少ない気がします。
(もちろん、トランスジェンダーじゃない限りは、ですけど)

洗濯物ね、確かに別々にしてましたよ。
祖母の時代なんかはね。
男の子の洗濯物は井戸の水、女物は川の水というのは良く聞く話だし。
実際、私と同年代の女性で、子供の頃、うっかり男物の洗濯物の上をまたいで、親からめっちゃがられた(叱られた)ことがあると言ってたし。
女性だと、社会的にいろいろ損な部分もたくさんあることは、ある。

でもそこはダブルスタンダードな世界、実は女性もかなり強いです。
うちも、祖母の方が強くて、祖父や父は祖母には恐ろしく弱かったな。
母も「鹿児島の男性はねぇ、家の中だとやたら甘ったれで弱いのよね」と言ってたしな。

そして、やけに女性的というか『優しい』男性も多い。
ちょっと関東あたりでは、その存在が信じられないような、自己主張の無い人。
”母”が強いので、押さえ込まれて弱くなるみたい。

以前、イスラム圏の映画で、やたら男の子が泣くのが印象に残ったことがある。女の子はしれっとしてて、涙の一つもこぼさず現実的。
建前では男が強いことになっているけど、実はダブルスタンダードで割と弱かったりするのかな。
鹿児島も、同じ匂いがする土地柄ではあります。

そういうのは関東あたりでは、ちょっと理解しがたいのかもしれません。
関東の女性も強いですけど、鹿児島の女性の強さとはちょっと違うかも。

と、ついつい小姑的なあら探しをしてしまいましたが、映像的には家の作りが開放的なところとか、示現流の練習風景とか、すごく再現性が高いと思いました。

まだ始まったばかりだし、前回の直虎もなんだかんだ言って面白かったので、これからに期待したいと思います。

今年の初びっくり

三連休、のんびり自宅で引きこもり。
フェイスブックを久しぶりに眺めていたら、学生時代の同級生の投稿写真に思わず釘付けに。

彼は数年前に離婚している。
子供二人は彼が引き取ったそうだ。
何年か前に同窓会で会った時には、
「俺、毎朝子供のための弁当作ってるんだぜ〜」
なんて言ってた。
その子供たちは、うちの子虫たちとほぼ同い年。
離婚した当時は受験生だっただろうから、相当大変だったはず。

最近会った時には、子供たちも無事大学に進学し、
「あとは仕送りのために働くのみ」
とも言っていたっけ。

その彼のWallに昨年末、妊婦さんのシルエット写真と共に”切迫流産で入院していたけど無事に退院できました”というコメントが載っていたので、てっきり娘さんかなぁ、と思っていた。

もうとっくに大学は卒業のはず。
卒業してすぐ結婚したのかなぁ。
ひょっとしてシングル・ママ?
聞いちゃ悪いよね。

などと思いつつ、そろそろ生まれたのかしらん、とFBをば覗いて見たらば、案の定、無事生まれてました。
女の子だそう。

おめでとう!!

とコメント入れようかな、と思いつつ他の人のコメントを見ていて初めて知った。

孫ではないっ!!

なんと彼自身の娘じゃった。
Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

実は昨年、再婚していたそうな。

なに、この石田純一的展開。

もう御歳52歳ですよっ。。。
もう、ほんと、びっくりポンです。

なんかねぇ、元気だなぁ。

別の同級生で結婚が遅くて、一回り下の妻に生まれた娘も同じ年回り。
「みんな巳年なんだ〜。
48歳で生まれたから、二十歳になるのは還暦なんてとうに過ぎての68歳。それまでは元気で働かないと〜あははは〜」
なんて言っている奴がいたけどね。
それをはるかに上回りますな。

少子化の進む日本に、しっかり貢献しているえらい奴。
そういえば、彼は公務員だったな。
日本人の鑑です。

それにしても、このほどお生まれになった娘さんが二十歳の時には、もう彼は72歳。
立派な高齢者です。
あ、でも、後期高齢者じゃないんですね。
今調べて知りました。

ずっと元気で、子育てしてください。

成人式


もはや餅猫と化しております。


夜更けには雪になるかもよ、と脅された昨夜の雨でしたが、南国特有の詰めの甘さで、あっさりと上がり、今日は良いお天気でございます。

鹿児島市は今日が成人式。
高校卒業後は就職やら進学やらで、県外に出る子も多いので早めにやるらしい。
人材流出県ゆえの配慮、という奴ですね。
羽目を外してのどんちゃん騒ぎが翌日に持ち越しても、その後に響かないよう余裕を見て三連休の初日、というこの優しさ、でございます。
それとも、前日から羽目を外しすぎて当日の出席者が激変しないよう、という現実的な配慮か?
昨今では、ハワイ旅行の当たるくじ引きなどを餌に参加者を集めるようで、主催する行政側も大変です。

子虫は案の定、昨日は小学校の同窓会とやらで、明け方まで遊び呆けておりまして、開会式の時間もとうに過ぎてからようよう起きてきて、バタバタと着替えて出てゆきました。

やっぱり、行くんかい !?(・_・;?

直前までスマホ弄ってたから、多分、友達と集まったあとは、式には出席せずにどこぞに遊びに行くのでしょう。

スーツは買わなかったので、いとこのお兄ちゃんのおさがりのジャケットを着て、おとんにネクタイを結んで貰い、

急がなくっちゃ、舞踏会に遅れちゃうっっ、、、

的なノリで出ていきました。

ニュース沙汰になるようなことなく、無事帰ってくることを祈ろう。
送って行った相方のおじさんもその後、いつまでも帰ってこなかったので、いつになく静かな休日の午後。

結局、子虫は家事手伝いなど全然しませんでしたので、溜まった家事を片付けつつ、先週の今頃は、餅つきをしながら美味しく飲んだくれてたなぁ、などと去年を懐かしく思い出している。

たった一週間前なのに、もうすでに去年、というところが、単に言葉の上のこととは言え、随分前のことのように感じられて、なんだか不思議。

言葉といえば、先日、NHKの『日本人のお名前』という番組で、”予祝”という言葉について知りました。
あらかじめ祝っておくことで、この先の平和と幸せを願うのだそう。
不思議な感覚ですが、日本人独特なのだとか。

ふーん。

成人式も、これから大人になる若者のこれからを予祝しておく式なのかもしれません。
幸い、今日は久しぶりに良い天気にも恵まれたし。
成人式に出席(しないのもいるけど)する若者たちの未来が、そこそこ平穏ありますように。