歩くことの大切さ
最初に気がついたのは、2年ほど前のこと。
なんの用事でだったか、家族を迎えに、私と姑とで中央駅に行ったのです。
駐車場に車を停めて、急いでいたのもあって、ちょっと早めの速度で歩き始めた私。
気がつくと、姑がずいぶん遅れています。
慌てて、戻る私。
そして、駅のエスカレータまで、あと数十メートルという距離なのに「虫子さん、先行ってて。私、ここで待ってるわ」と広場の片隅に座り込む姑。
実は姑は、若い頃から足が速くて、山に行くと、まるでもののけ姫のごとく、自由自在に歩き回り、男性でも追いつけないほど、足が達者な人でした。
自分でも、山育ちであることを自慢していたものです。
スポーツもとても得意で、甥っ子たちの小学校主催のバトミントン大会や、ドッジボール大会には、運動が苦手な義姉の代わりに、選手として参加していました。
でも、年を取り、さらに舅が施設に入って手がかかる人がいなくなり、買い物は義姉が手伝うようになると、めっきり出歩かなくなり、すっかり足が弱ってしまったようでした。
住んでいるのは、ずいぶん昔に住宅開発された団地で、日本全国どこも同じだと思うけど、ここもご多分に洩れず、高齢化が進んで、人が減っている。
近くにあったスーパーも閉めてしまって、車がないと一番近いスーパーにも行けません。
仕方なしに、義姉が週に一度か二度ほど車を出して、最寄りのスーパーに買い物に連れて行くのだけれど、それ以外で、出歩くことがほとんどないらしい。
おまけに、スーパーまでだって車移動だから、本当に歩くことがない。
一方、実母は、姑と同じく一人暮らしなのですが、すぐ近くにスーパーも薬局もあるところに住んでいます。
駅も近いので、電車に乗れば、野菜などはまだ安く手に入る店もあるとかで、戦後の買い出しよろしく、リュックを背負ってせっせと買いに行く。
すでに免許を自主返納して、車も手放してしまったので、自分が運べる分しか買えないから、必然的に、毎日何かしら買い物に出ることになる。
そうして毎日、歩いているせいか、80を目の前にしたアラ傘(傘寿に近いから、こういうらしい)にしては足腰もしゃんとしています。
小さい頃は、心雑音があるとか言われて、祖母が運動を一切させなかったとかで、スポーツ全般したことがない人なのですが。
母と、姑はほとんど同じ年で、姑の方が一歳上なだけですが、ほんの数年で、ずいぶん違ってきてしまいました。
身近な例ですが、毎日、ちょっとでも歩くという単純なことでも、これだけの差となるのだと、実感させられます。
ちなみに、姑は、私の証言(告げ口?)から危機感を抱いた義姉と相方のおじさんが、やいやいうるさく言って、歩くように促したおかげか、今回の連休に一族で田舎に行った時には、元気に裏山にみかん狩りに参加してました。
一度、衰えても、努力次第で失った運動能力も取り戻せるのだと、身をもって教えてくれた姑は偉い、と思います。