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読書感想〜暇と退屈の倫理学

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経済学部の准教授をされている人が書いた哲学の本です。

哲学というと、小難しい文章がいくつも続いて、読んでいるうちに頭がこんがらかってくるので、ほぼ途中で挫折してしまうのですが、この本は読みやすかった。

 

准教授というと、教授になるまであと一歩。一国一城の主となるため日々、研鑽を積み、実績を積み上げている人です。

その上、哲学専攻ではない、うちのおすねかじり虫と同程度の集中力と理解力であろう若者たちに、ごりごりと哲学を教えていらっしゃるだけあって、文章が簡潔で読みやすい。挙げられた実例もわかりやすく、一気に読めてしまいました。

 

まず、暇と退屈は同じものでは無い。というところから始まります。 

そして、人間は退屈しないで済むなら、自爆テロだって100kmマラソンだってしてしまう存在だそうです。

ここまでの話も、流れるように進み、わかりやすい例がいくつも提示されるので、すいすいついて行けてしまう。

 

さて、そもそも 、なんでじゃあ、人間は退屈してしまうのか?

と言うと、今を去ること一万年前に定住化革命がおきたからだそうです。

この定住化革命、と言う言葉が面白かったです。

今まで、家族や部族という少人数単位で移動して暮らしていた人間が、止むに止まれぬ事情から、今までの「遊動生活」から「定住生活」に移行した。そのため、遊動生活時代に発達させてきた「刻々と変化する環境に適応するための脳の機能の働き」が、変化の少ない定住生活のおかげで、余剰となってしまい、その結果、人間は退屈するようになってしまったのだそうです。

 

この定住化とゴミ問題、トイレのしつけ問題、葬礼の発祥が同時期であり、その理由も面白かったです。

 

そうして退屈を宿命づけられてしまった人間が、余った脳の機能を暴走させない=退屈しないために、あれこれ工夫した結果、文明や文化が発達し、その挙げ句の果てに、現在の私たちがいる。

 

そして、退屈から逃れるために、いつのまにか、消費のための消費をしている私たち。

さらには、自爆テロに走ったり、過労死するまで働き続けたり。

ここで、ハケンの問題にも言及されていたりして、ぐっと現実的な問題として身近になってきます。

 

二足歩行することで、腰痛から逃れられなくなったように、ある意味、進化の結果で仕方のないこと。だからと言って「退屈」から逃れるために自滅的な道を進むのは良くありません。

 

そのためには、建設的な暇の過ごし方をしよう。と著者は勧めます。

贅沢をすること、が、 答えの一つだそうです。

ただ、何が贅沢で、何が無意味な消費、つまり新たな退屈に取り込まれてしまう行為なのか、それを見分ける方法をはっきりとは示してくれません。

パスカルなら宗教って言えたんだけど、今はそうもいかないしね、とそこで止まってます。

 

そこんところは、自分で考えなさい。ということなのでしょう。