初夏はくすのき
毎日の通勤は電車を利用しています。
電車といっても路面電車。
昔懐かしい、一両だけの小さな電車です。最近は時々、二両編成の車両もありますけど、大抵は一両編成。
最寄りの駅まで、家から歩いて20分ほど。
電車を降りて、さらに25分ほど歩いて職場に行きます。
パートを掛け持ちしているのですが、もう一つの職場は電車を降りて20分ほど。
どちらも市内にあるので、今の所、自分用の車がなくてもなんとかなっています。
さて、朝は、だいたい7時ごろに家を出ます。
とことこ歩いて、神社や公園を抜け、電車通りへ。
電車を降りて、少し遠回りですが、陸上競技場の周りに植えられた木立の間を、通り抜ける道を選びます。
この時期、歩くのには、特に楽しみがあります。
それは、楠の木の下を通ること。
こちらでは公園や神社だけではなく、街路樹にもたくさん楠が植えられています。
調べて見たら、市内の街路樹で一番多く植えられているそうです。
コンクリート製の建物が建ち並ぶ街の中でも、大きくて年月を経た楠が無骨な木肌に、苔や宿り木を棲みつかせて堂々と立っているのを見ると、心が安らぎます。
夏の強い日差しもしっかり遮り、しんと涼しい木陰を作ってくれるのは楠の厚みと密度のある葉だからこそ。
楠は、南国にぴったりの木だと、常々思っています。
一部には、桜並木が有名な団地もあるし、最近は、花水木や他の木に植え替えられてしまったところもありますが、南国なんだから、無理して本州にあるような木を植えなくても良いのに、と思います。
桜は確かに華やかで綺麗、だけど、やっぱり京都や東北の桜を見ると、どうしたって見劣りするし、花期も短い。
染井吉野だって、当地ではすぐ葉桜になってしまうし。
夏は、葉っぱも心なしかしおたれて、いかにも暑そうです。
南国の夏の日差しを遮るには、楠がやっぱり一番だと思うのです。
楠は常緑樹ですし、遠目に見てわかるような花は咲かない。
濃くて厚手の葉っぱがみっしり茂った、地味〜な木です。
でもね、ちゃんと紅葉もするんですよ。
楠の紅葉は、落葉のちょっと前、つまり春です。
新しい若葉の緑の中に、綺麗な赤に紅葉した古い葉が混じると、ちょっとメッシュを入れたみたいでとてもおしゃれです。
紅葉や楓のように、一本の木全体が紅葉するのも綺麗ですが、一部だけ赤く染まるのも素敵です。
こちらでは冬でも昼と夜の寒暖の差があまりないため、紅葉も楓も銀杏も街の中では紅葉できず、みっともない茶色になって葉が落ちるだけなので、綺麗とは言い難い。
楠の落葉は春。
落ち葉は、春の雨に濡れてしっとりするので、火事の心配もない。木立の間を歩く時、長雨で泥んこになりがちな道も、落ちた葉が覆ってくれて、歩きやすくなります。
そしてですね、楠って、とっても良い香りがするのです。
春、四月に入る頃、甘い爽やかな香りが、ほのかに漂い始めます。
ジャスミンや茉莉花のような、主張の強い香りではないけれど、楠の下を歩くと、他の香りを邪魔しない、でも甘くて優しい微かな香りがたゆたいます。楠の花が咲いたのです。
小さくて目立たないけれど、なんとも言えない良い香りを放ちます。
楠の香りは、ただ甘いだけじゃありません。とても爽やかなんです。
新しいわくわくするようなことが、何か始まりそうな気がします。
四月から五月の初めまでは、甘やかな香りですが、五月の連休を過ぎ、気温が高くなって行くにつれ、少しずつスパイシーな香りが混じり始めます。
そして、梅雨に入る直前の今、きりりとした香りが朝夕、楠の木の下を通ると、全身を包むように漂います。
通勤の朝、この香りを嗅ぐと、今日もまた一日頑張ろう、と言う気持ちになります。
楠の香りはとても繊細です。
太陽が登り、日差しが強くなってくると、消えてしまいます。
だから、香りを楽しむなら朝の早い時間か、夕方。でも、夕方は車の排気ガスや街の活動の匂いが強くて霞んでしまいます。
だから、一番良いのは早朝。雨上がりの街歩きがおすすめです。