とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

すっかり退化していた能力

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母の家に行くので、三泊四日で家を空けていました。

今回は、相方のおじさんは仕事で休みが取れずに、お留守番です。

 

仕事関係で一人で出かけることは、子供が生まれてからは少なくなったとは言え、年に一回くらいは有ったので、別に珍しくもないのに、今回は、なんだかすごく気が重かった。

 

なぜかと考えてみるに、最近はすっかり引きこもり生活で、相方のおじさんと週に一回の買い物に出かけるか、仕事で出かける以外は、ひたすら家でゴロゴロしていました。

 

それはそれで、なかなかに快適で楽しく、時には、今日はもう仕事も行きたくないよー、このまま家で引きこもっていたいよー、と思うくらい。

 

でも今回、高速バスに乗り、飛行機に乗る、そしてまた空港からバスに乗り、、、という一連の移動を一人でしていると、気持ちが落ち着かない。

チケットをちゃんと持っているだろうか、とか、バスに乗れるだろうか?、とか、セキュリティをちゃんと抜けられるだろうか?、手間取っているうちに飛行機に乗り遅れたら?、何か重要なものを忘れているんじゃないかしら?等々。

まるで、初めての一人旅をする小学生みたい(^^;)。

 

なんで、こんなに不安神経症的な状態になったのだろう、と我ながら不思議でした。

 

これでも、若い頃はバックパック背負って、ヨーロッパをほっつき歩いたこともあるのです。

 

思い当たることは、ここ数年の快適な半引きこもり生活。

当たり前のことですが、家にいるとたいていのものは置きっぱなしで、問題ありません。そこそこスペースもありますから、本当に要るものと、そうでもないけどまあ置いておこうかな、何かに使うかもしれないし、というものがごっちゃになっている。

 

でも、いざ旅行に行くとなると、本当に必要なものしか持っていけないわけで、運ぶ手間や苦労を考えると、ものは極力減らさなければならない。

即席のミニマリストにならざるを得ないわけです。

 

普段、のんべんだらりと過ごしていたせいで、すっかりそのあたりの、必要なものと、そうでないものとの見極め能力が、落ちてしまっていたのですね。

だから、荷造りもうまくできないし、いざ出かけるとなると、やっぱり入れておくんだった物や、忘れ物が気になって仕方ない。

 

それに、旅行に行くとなれば、たとえ母親の家に行くというお気楽な目的であっても、時間の決まった乗り物に、タイミングよく乗るという行為が必要なわけで、普段の家を出て、大体の時間にたどり着けばいいや、と気楽に歩いていけば良い日常とはまた違って、ある程度の緊張感が必要とされます。

 

とは言え、スマホがポケットに入っているかどうか、座るたびに確認したり、年中ポケットやバッグを探ってチケットを確認するほどの緊張は、さすがに行き過ぎというものでしょう。

 

でも実際、今回の旅行の間中、私はこんな感じだったのです。

 

行きたいと思っていたお店とか、美術館とか、妹や母とのおしゃべりとか、色々楽しみもあったはずなのに、なんだかもう気が重くて重くて、行きの高速バスの中ですでにもう、家に帰りたい、と思っていた。やれやれ。

 

家に引き籠もる生活は、それなりに快適です。

行動は習慣化し、頭は使わなくていい。

 

でも、それに慣れてしまうと、いざ旅行に行こうかな、と思っても、荷造りがうまくできなくなっていたり、移動時のあれこれがすごくストレスに思えてしまったりで、動き出せない。

 

そして、旅行に行きたいな、と言いながら日々の変わらない生活をだらだらと続けてしまう。

でもそうやって、いつかはいつかは、と言いながら、近所の散歩だけして過ごす人生はどうなんでしょう。

 

安楽な生活に慣れて気がつかないうちに、退化してしまう能力ってあるんじゃないか、と今回反省したのでした。