おじさんと退化した能力
私は方向音痴です。
それもかなりの方向音痴。
どの位ひどいか、というと。
先日も通勤途中で、とあるコンビニに入ったのです。
暑かったので水分補給用のお茶を買い、外へ。
そして、、、、、
はい、方向を間違えて、もと来た道を戻ってました(汗)。
そんな私ですが、それでも独身の頃はなんとかせねば、と色々と努力して、まあまあ、まともな社会生活を送っておりました。
片や、相方のおじさんは、初めての土地でも、地図見て、右見て左見て、「よし、わかった。こっちだよ〜」
と、まるで地元住民のごとく的確に案内してくれます。
舅が旧国鉄職員だったせいか、もともと乗り鉄君であったところが、その後さらに独自の進化を遂げて、飛行機、バス、船、自動車などなど、あらゆる乗り物へのアクセスに精通している。
その上おじさんは、自分が興味のあることには非常にまめな性格。
なのでいざ旅行、となると、私は
「ご飯は美味しいところがいいな〜」とか
「お部屋は眺めの良いところね〜」
「お風呂は個室でゆったり入りた〜い」
などと、好き勝手なことを言っているだけで、パソコンの前に陣取ったおじさんが、はいはいと、望みの旅行プランを立てて、かつ手配&予約もしてくれるのです。
はい、それはもう、便利でございます。
さらに、旅行中にハプニングがあって、
乗り換えに間に合わな〜いとか、
お土産買うの忘れた〜などという場合にも、
「こっちの路線で乗り継げば、間に合うから」とか
「今からなら、この先にちょっとした商店街があるよ」と、臨機応変、懇切丁寧。
まるで私設ツアー・コンダクター。
そんなわけで、相方のおじさんと一緒になって以来、私はどこへ行くにもおじさんの後を、唯々、カルガモの雛のごとく、金魚のフンのごとく、くっついていけば良かったのでした。
しかしながら、そのような気楽でかつ快適な環境に、ぬくぬくと甘やかされ、その上、ここ数年の引きこもりに近い生活のせいで、すっかり、一人で移動する、という能力の退化してしまった私。
先日の実家への帰省を一人でして、しみじみと思い知らされました。
思えば、もう十年近く、独りで実家に戻ってなかった。
いつもおじさんが、チケットを手配し、荷造りから運搬までしてくれていたのです。
おじさんに感謝こそすれ文句なんて、とんでもない話です。
でも、我ながら、もともと大して恵まれているとは言い難かった能力が、さらに衰えて痕跡すらなくなっていることには、危機感を覚えたのは確かです。
この先、いつもいつもおじさんが、便利に動いてくれる、という保証はありません。
そもそも、おじさんのこの卓越した能力は、あくまで日本国内限定。
残念ながら日本語以外の言語は、雑音にしか聞こえないおじさんです。
いずれは外国旅行などもしてみたいな、と思っているのに、おじさんに頼りきりでは、いかにも危険です。
ここは一つ、リハビリも兼ねて、旅行の練習をしておかないといけない。
密かに、そう思うのでした。