とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

現代霊性論〜を読んで

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内田樹釈徹宗の共著&対談集。

大学院の講義録が元になっているせいか、ちょっと内容にまとまりがない、というか散漫な印象がありますが、個々の章の細かい内容のところは面白かったです。

 

名前をつけるということは呪で縛る、ということで、明治維新以降の日本人は名前を名乗ることで、個人として国家に呪をかけられた、という話とか、だから霊も近代以降になってから個別化された、とか。

 

都会の方が占いが流行るのはなぜか、とか。

 

他にも、日本における宗教の歴史も教えてくれます。

創価学会や、戦後になって出てきた、いわゆる新興宗教って呼ばれる宗教が、それぞれどの宗教を母体として、どのように出てきたか、などの説明。

オウム真理教もちょっと出てきます。

カルト宗教の見分け方なんて、今日からすぐに役立つ知識、とは言えないでしょうけど、知っておくと良いかも。

 

ただ、葬儀の話になると、いつもの内田先生の歯切れの良さが鈍ってきます。

対談相手が、浄土真宗のお坊さんだからでしょうか。

 

”死者は正しく弔わなければならない、しかし、どのような服喪の儀礼が正しいかについては誰も確言する権利を持たないし、持ってはならない”

”なぜならば、それは本来死者たちの判断に委ねるべきことだからです。でも、死者は語らない。ですから、誰の儀礼についても、私の行う儀礼だけが「正しく」、お前の行う儀礼は「正しくない」ということについて生者は死者に代わっていう権利を持たない”

と、靖国問題あたりでは言っていて、なるほど〜良いこと言うな。

と思ったのに、そのあとで、釈先生が、友人の無宗教葬について批判しているのは、スルーしてるし。

 

浄土真宗は、お葬式の後のお清めの塩を否定していて、それは死は穢れじゃないから、だそう。

でも、ちょっと待って。

清めの塩は、親鸞が否定したからやらないと言うのは、良い。

一方で、唯の市井の人が、自分は無宗教だから無宗教葬にしたい、と言うと「どこまで傲慢なんだ」と言われてしまうのは何故でしょう?

 

素朴に疑問。

 

やっぱり「私の行為が正しくて、あなたの行為は正しくない」と言っているじゃないか、と思うのです。

 

結局、ある程度、権威づけられている行為なら正しい、ということなのかしらん。

 

私は戒名はいらない、と思っています。

まず、自分が仏教徒だ、と言う自覚がないから。

それに、戒名をつけるのにお金が必要だったり、戒名の格によってお値段が違うのってどうなのか、と思うから。

それに三回忌とか、ある区切りごとに故人を偲ぶのは良いとしても、そこで階級を上げるために戒名つけ直して、その度にお金を払うのもなんだか気持ちが悪い。

 

だから、お葬式は無宗教葬がいいけど、そうしたら、収まりがつかないって、一部の人たちを怒らせて、別に改めて葬儀を出されたりするのは、感じが悪いです。

それに、残された家族の立場ってものがなくなりそうで、気がかりです。

 

最近も、「故人の希望でしたので」と家族だけの密葬で済ませた著名人の家族が、ネットであれこれ批判されていて可哀想だな、と思ったし。

 

面倒臭いから、仏式で戒名無し、でよろしく。

と言うのが一番、差し障りない方法なのでしょうか。

でも、私は、お経もあまり好きでない。

母方の祖父母は神道のお葬式でしたので、どうせなら神道のお葬式でお願いしたいな。

でも、また先祖供養がどうの、とか言われて、あれこれ後出しジャンケンみたいに言われるのも気になります。

 

こういうことは、ある程度決まっていて、周りがあれこれ言えないのが、一番妥当なのでしょうね。

 

だんだんわからなくなってきたので、もう寝よう。