とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

誓います 〜を読んで

 

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”キッド 僕と彼氏はいかにして赤ちゃんを授かったか”

の続編です。

 

著者はコラムニストで、ゲイで、パートナーと二人で養子にした男の子を育てています。

しかも、近い将来、もう一人もらおうと考えているようです。

 

前回は、著者とパートナーのテリーが、オープンアダプションという制度を利用して、メリッサというホームレスの女の子から養子をもらう話でした。

すでに、日本ではあり得ない状況。

 

欧米の人は、全て、ではないのでしょうが、割と養子というものに抵抗がないようですね。

昔、両親の知り合いのご家族(アメリカ人)に男の子が二人いて、アジア系の顔立ちの子とヨーロッパ系の顔立ちの子でした。

ベトナム戦争の孤児を養子にした、と聞いていたので、てっきりアジア系の子がそうなのだ、と思っていたら、赤毛の子もそうなのだ、と言われたことがある。

 

見た目ですぐわかるからでしょうね、別に隠すこともなく、この子は養子なの、と言ってましたし、子供達も普通に「僕、養子なんだよ」と言ってました。

 

その辺の文化の違いは、なかなか馴染めないけど、いい話だと思います。

 

ところで、アメリカではゲイの人はすでに、市民権を得ていて、ごく普通に暮らしているのか、と思ったのですが、彼らにしてみれば、まだまだ、な状況なのだそうです。

この本も同性婚も禁止されていた時代の話。

と言ってもブッシュ・ジュニアが大統領になった年なので、つい最近みたいなんですけど。

執筆は2004年。

もう10年以上前の話でした。

 

ちなみに、テレビドラマシリーズのグリーが放映されたのが、

2009年から2015年だったそうです。

あのテレビドラマがヒットしたおかげで、ゲイや障害者への社会の視線が、ずいぶん変わったのだそうです。

テレビや映画の影響って、今でも大きいのですね。

 

2012年には彼らの住むワシントン州でも同性婚が、合法になったとか。

よかったですね。

でも、トランプさんが大統領になって、また風向きが変わり始めているみたい。

 

そんな時代に、色々な理由から、結婚なんてしない(てか出来ないし)、と宣言していた著者とパートナーが、だんだん考えを変えて、最後にカナダで正式に結婚するまでの話です。

 

コラムニストだけあって、歯切れの良いユーモアと、ちょっぴり自虐の読みやすい文章、この先どうなるのだろう、と最後の結論はわかっていても、ついついページをめくってしまう展開の良さ。

 

前作では、ほぼメリッサのお腹の中にいて、最後の方でもまだオムツをしてよちよち歩いていたDJが、今や、大人顔負けのスケードボーダーになり、いっぱしのことを言い、最後にはちょっと泣かせてくれます。

 

著者はアイルランドカソリックで、シカゴに住む家族の話も祖母や曽祖母に遡って語られます。

カソリック的結婚観、ゲイであること、現在のアメリカでカミングアウトしたゲイとして生きていること。

様々なことが、彼の視点から語られます。

 

彼らの話を読むと、家族ってなんだろう、結婚ってなんだろう、と考えてしまいます。

やっぱり、キリスト教的には”契約”なんだなぁ、と思ったり。

日本とは感覚が違う〜、と思ったり。

 

法的に社会的に認められないからこそ、お互いの信頼だけで成り立つ関係は、結婚制度に守られていたら持ち得ない尊厳を持っている、という一文は、胸をつくものがあります。

原題のCommitmentには、決意とか責任とか献身、という意味があるようです。さらに投獄という意味も。

言葉のイメージとしては、絶対に遂行すると強く意志を固める、という感じだそう

翻訳では”本気の関係”と訳されていました。

 

制度が保証してくれない、本気の関係を両者が続けていく、という意思だけに支えられた関係。ある意味、成熟した関係と言えそうです。

が、やっぱり、どこかで保証してほしい気持ちがあるのでしょうね。

最後に、彼らは当時のアメリカの法律では、無効、とされるにすぎない結婚を、わざわざカナダでして、帰国後に披露宴もします。

日本だったら、事実婚、でなんの齟齬もきたさないのに、やっぱりそういうところ”契約”の文化なのかなー、と思ったり。

 

二人の決意のきっかけとなり、二人を事あるごとに結婚に進ませようとし、最後の後押しもする重要人物である著者のお母さんが、敬虔なカソリック信者であるにもかかわらず、実は、離婚再婚経験者だったりします。

そのお母さんもお父さんも、そもそもカソリック信者なのに、息子がゲイでも、それを受け入れている。

カソリックって、かなりそういうことに厳しいと聞いていたので、さらっと書かれていますが、実は、すごいことだと思います。

 

そして、著者の他の兄弟たちが、それぞれにパートナーと築いている関係も、現代社会の家族の姿が、一通りではないことを教えてくれます。

 

なんだかんだ言って、日本に比べたら、アメリカってやっぱり多様性文化の国なんですね。

 

今回、DJの生みの親であるメリッサは、ちょっとだけ出てきますが、相変わらずのようで。

でも、彼女に対しては、誰もあまりお節介を焼かないんです。

あくまで道は示すけど、もう大人なんだからどうするかは自分で決めなさいね、という態度です。

日本のヤンキー精神だったら、絶対放っておかなそうですが。

 

その辺が、日本的な心情からすると冷たい、というか、やっぱり自己責任の国なのだな、と思ったりもしたのでした。