ニセ科学を見抜くセンス〜を読んで
中途半端な科学の知識が、いかに悪用されるか、と言う話が実例を挙げて出てきます。
私は、EM菌の話はよく知らなかったのですが、原発事故の後のセシウム処理に関しては、政府高官までも巻き込んでいたらしいですね。
マイナスイオンの話は、有名、と言うか、一時期家電製品でマイナスイオンを出さないものを探す方が、難しかったような気がする。
何年か前、アウトドアショップで新しいダウンジャケットを買おうとしていたら、お店のお兄さんが得々とした顔で、「このジャケットに使われている素材は、新しく開発されたもので、マイナスイオンが出ますから、、、、」と説明してきて、ついに服にまでマイナスイオンかい、と思った覚えがある。
水に綺麗な言葉と悪い言葉をかけて結晶の形が変わる、と言う話は確か、おすねかじり虫が学校の授業で聞いてきた。
初めて聞いたときは、「なんじゃ、それ???」
”水にありがとうと書いた紙を見せると”って、水がどこで字を見るんだ?
日本語でいいのか?
アメリカで採取した水だったら、英語か?
などなど、ツッコミどころがありすぎて、まさか学校で真面目にする授業とは、とても思えなかったので、先生が何かの冗談で言ったのだろう、と思いました。
うちの子虫どもは、だいたいが注意散漫なので、どうせちゃんと授業を聞かずに、変なところだけ覚えて帰ってきたのだろうさ、くらいにしか思っておりませなんだ。
ゲーム脳の話は、ちょっと信じちゃったな。
でも今思えば、その方が親として都合が良かっただけ、のような気がする。
ゲームと脳の関係で言えば、その後、ファイティングゲームやシューティングゲームのように、反射的な判断を要求するゲームを好む外科医の方が、緊急手術の成績が良い、と言う論文も出てましたっけ。
結局、どうしてこんな、時には笑っちゃうようなニセ科学説に引っかかってしまうか?と言うと、人間には”事実でないことでも事実のように信じてしまう思考傾向”が備わっているから、なんだそうです。
そう言えば、ユヴァル・ノア・ハラリのサピエンス全史でも、人間が獲得した認知革命として「想像上の現実を信じることができる能力」と言うのが挙げられていましたっけ。
つまりは、ついニセ科学を信じてしまう、この認知バイアスと言うやつは、厳しい自然環境を、協力して生き抜いていくために必要な能力として進化の過程で手に入れたものらしいです。
困ったことに、その能力のせいでかえって騙されてしまう、らしい。
それなら、そこはもう受け入れて、さらに騙されないためにも、この認知バイアスというやつのことをよく理解して、他人の話は心して聞くようにしないといけないな、と思いました。
ニセ科学を、受け入れてしまう心理的要因として指摘されているのが、次の心理傾向。
①社会的に権威ある(と思われる)情報源や信頼できそうな肩書きの「専門家」の言うことを信頼して受け入れる思考傾向。
②未知の出来事に対して「説明をつけたい」と言う動機を持っていること。さらに、科学的な正しさよりも環境を良くしたい、と言う善意のへの傾斜。
③見かけの実用性があれば、それを受け入れてしまう。
④自分自身や、身近な人による直接・間接の体験がある。そして、その体験から、自分の考えにあった事実だけを切り取り、不都合なことは無視する傾向。
それらが揃うと、なんだかおかしい、と思いつつも受け入れてしまうそう。
特に、健康情報についての個人の体験談は、実は動物実験は試験管レベルの実験よりも、もっとも根拠が低い。本当に効くかは、集団を使って二重盲検法などで検証しなくては、わからない。
なのに、つい信じてしまう。
この辺の話は、義姉夫婦が昔「浄水器」にはまっていたので、実感として腑に落ちます。
インターネットのおかげで、適当に思いついたキーワードを入れるだけで、お手軽に知識が情報が手に入るこの世の中。
この本の著者が強調する、
”「途方も無い主張」をするなら、疑問の余地のない検証をすべき”
と言う言葉を肝に命じて、情報をすぐに鵜呑みにしないよう、気をつけねば、と思うのでした。