とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

フェミニズムという呪い


その昔、父方の遠縁の女性で、結婚せずに実家で暮らしていた人がいまして。
今で言う、パラサイトとかニートってやつですか。

年始の挨拶に行くと、母たちと同世代なのに妙に若作りのファッションで、叔母さんと呼ぶと、「お姉さんと、呼んで」と、強要されたりして、周りも〇〇ちゃんがそう言うならそうしなさいなんて、なんだか腫れ物に触るみたいで。
ちょっと面倒臭い人だな、と子供心にも敬遠してた。

祖母がよく、「〇〇ちゃんはお勤めしてたからね〜」と言い訳のように言っていました。
女だてらに社会に出て仕事をしたから、行き遅れて女性としての幸せを逃したのだ、というのが祖母を始めとする周りの大人の意見でした。

それなら、結婚しても子供を産んでも、仕事を続けていた母はどうなんだ?
という疑問もあるわけでしたが、母にとっては姑に当たる祖母は、そこんとこ曖昧にしてましたっけ。
ちょっと、訊いてはいけない雰囲気というか。

ともあれ当時、祖母の言うその「お勤め」という言葉の響きに、複雑なものを感じたものです。
そこには、今思うと嫉妬と羨望が混じっていた気がする。

祖母のように、女の子と生まれてしまえば、学校も小学校まで。あとは嫁に行くもの、と言う時代に生きるしかなかった女性には、高等教育を受けて社会に出て働く、ということは、憧れでもあったのだろうな、と今になって思います。

たとえ、その引き換えに、当時の女性としての常識である結婚ができなくても。

一方、アラ傘の母。
実はお嬢様育ちで、中高一貫のミッションスクール出身であります。
その母がリタイア後、同窓会に行ってきた。
みなさま、母も含め当時としては進歩的な教育を受けておられます。
でも母のように、意地でも仕事を続けていたのは少数派。
もちろん、時代が時代ですから。

そして、かつてのお嬢様たちは、そこそこ良いところに嫁いでまして、高級官僚のところに嫁いだとか、外交官夫人になったとか。

その同窓会から帰ってきた母が言うには、
「もうね、アフリカのどこそこで、伝染病予防のための活動に従事してたとか、日米の〇〇交渉の時にはその裏方で苦労したとか、はたまた薬害訴訟の政府側として折衝に当たったとか、得々として話すのよ。
それで、あなたってすごいのねぇ。って感心しながら聞いてたら、それ、全部ご主人の仕事でさ。
結局、旦那の仕事=自分の仕事、旦那の人生=自分の人生で語って、全然平気なのよ。なんか気持ち悪くなってきちゃった」

私なんかより、よっぽど勉強もできた人たちなのに、結局、専業主婦になると、ああなるのかしらね。
私も一歩間違えたら、ああだったのかも。
と、呆れる母。

母が意地でも仕事を続けたかったのには、少女時代に祖父の破産という経験があったから。

母以上にお嬢様育ちの祖母が、一時期、掃除婦をして一家を養った時期もあるとか。
だから、女の子でも働いて収入を得るべき。
という方針のもと、私も育ちました。

そうして、苦労してなんとか資格を手にして、ずっと仕事を続けてきたわけで、おかげで今があるっちゃあるわけで。

だけど、そうやって過ごしてきた人生、忙しさに紛れて取りこぼし、そのまま打ち捨てられてしまった何かが、少なからぬ量、その道程で朽ちているような気がする、今日この頃。

頑張ってきたけど、その代わり大切なものを、どこかに落っことしてきてしまった気がするのです。

最初の子を産んですぐ転勤で、ほとんどシングルマザー状態で、すごく大変だったのに、上司から「子育てを言い訳に仕事をサボっている」と言われて、悔し涙を流したこともある。
二人目は切迫で緊急切開でしたし、その後も無理しすぎて身体を壊して入院したこともあった。
それでも、仕事は辞めようと思わなかった。

母や私が仕事にしがみついて、女性は男性の二倍働いてやっと一人前と言われれば、じゃあ、そんだけ働いてやろうじゃないか、と意地になってきたのには、
(私は結局、母ほどには頑張れずに、途中で失速しましたけど)
祖母の時代の女性たちや、母や私の世代の女性たちの、無言の呪いの存在があったから、ではないかと思うのです。

どれだけ学校で優秀でも、結局は社会に出ることなく、夫の仕事や地位に、自分を同一視するしかなくて、そのことに違和感を感じることのないくらい自己欺瞞に陥ってしまっていた女性たちの、「社会に出られなかった呪い」が、かかっていたからかもしれない。

この頃、そんな気がするのです。

私が社会に出た頃は、ちょうどバブルで、超売り手市場だったけど、男女の差別って、はっきりとあったし、採用する方も差別していると言う意識も持たずに、「女はいらない」と明言していたものです。
その頃に、就職はしたけれど、いざ結婚するとあるいは出産すると、「妻は夫を支えるべき神話」や「子供は3歳まで神話」のもとに、専業主婦を選択せざるを得なかった女たちの言語化されることの無かった、色々な鬱屈。

そんな呪いが、私にもかかっていたような気がする。
あの人たちとは違う。
私は、辞めない。
専業主婦なんて、負け。
今思えば、どうでもいいような思い込み。
それは、自分で自分にかけていた呪い、でもあったかもしれません。

最近は東大や京大に入学するような女子大学生でも、専業主婦志望の人がいるそうですね。

メディアは、「全く、今時の女子大生は何考えてるんだか」的な扱いですが、ある意味もう彼女たちは、私がかかっていた呪いからは、解き放たれているのかもしれない。

今はもう、女性だから働かないでいいor働くものではない、と言う時代ではなくて、むしろ働くことがデフォルトになっている。
だからこそ彼女たちは、働く、以外の選択肢を選んでもいいじゃない、となんのてらいもなく、専業主婦を選ぶのかもしれません。
羨ましいくらいに、軽々と。

そこに、私や母の時代の女性にあった屈折した思いは、もう存在しないのでしょう。

でも私は彼女たちが、先代の女性たちの重たい意識を背負わずに、飄々と選択できる自由がある今の方が、やっぱり良いように思のです。



フェミニズム
https://ja.wikipedia.org/wiki/フェミニズム