とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

防災頭巾と防災の日

小学校は東京の下町でした。

毎年九月始めには、防災訓練がありました。
関東大震災の教訓ですね。

私の通った小学校のあった町は、下町で住居が建て込んでいたにもかかわらず、奇跡的に焼け残ったと言われていました。当時の駐在さんが、地震の直後に町中を回って、火を消すように言って回り、町の人たちにも消火を優先させたので、大火に巻き込まれずに済んだのだそうです。

という訓話を毎年、防災訓練の後の校庭で、聞かされました。
そのときは、防災頭巾というのを全員被っていないといけない。

これは綿入れの頭巾で、いざという時に、被って頭を保護するもの。
普段は、座布団として椅子に敷いて使います。
冬などはお尻が暖かくて、なかなかの優れものでした。

でもね、夏はちょっと。
特に、九月はまだ夏の名残で、今ほどではないにせよ、暑い。
頭巾の中で、汗びっしょりになって、暑さでクラクラしながら、早く終わらないかなぁ、と思っていたものです。

この風習は、東京の学校だけのようですね。
こちらでは、聞いたことがありません。
あ、以前、ちびまる子ちゃんの漫画でも見た覚えがあるから、関東・東海地方の習慣だったのかも。

防災頭巾は、手作りでした。
学校から作り方のプリントが来て、その通りに作らないといけない。
当時は、他にも習字の道具入れだとか、体操服入れだとか、家で母親が作らないといけないものがたくさんありました。

母は仕事をしていたので、それが大変だと、いつもこぼしていたから、防災頭巾も面倒臭がるんじゃないかと思ったのに、
「あら~、私たちの頃は防空頭巾って言ってたのよ。懐かしいわ~」
「あの頃は、ものがなくて、地味なのしか作ってもらえなくてね~。花柄の可愛いのが欲しかったのよね」
「まあ、戦争中だから、そんな目立つのもの、作ってもらえるわけがなかったけどね」
とか、なんとか言いながら、結構、楽しんで作ってました。

いつもは実用一点張りの、素っ気ないのを作るのに、自分が欲しかったせいか、可愛いアップリケなんかもつけて作ってくれましたっけ。

他のお母さんたちも、同じ思いだったみたいですね。
訓練の日には、華やかな柄の可愛らしい防災頭巾がたくさん並んでました。

うちは男の子ばっかりだから、地味なのしか作れない。
なんて、言ってたお母さんもいたっけ。

きっと、当時作っていた母親たちはみな、平和のありがたさを噛み締めていたんだ、と今頃になって思います。

北朝鮮がミサイルを発射して、Jアラートとか避難とか、なんだか落ち着かない今日この頃。

その度に集団的自衛権とか、憲法九条の改正とか、話題になります。
もう既に戦後ではなく、戦前の日本に、私達は生きているのだ、と思ってしまう防災の日でもあるのでした。