とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

爽やかな朝に、無愛想なおじさん

安藤忠雄建築 in 神戸

写真は、安藤忠雄のデザインした建物です。
この作品をきっかけに、有名になったのだそうです。
北野異人館スターバックスコーヒー店のお向かいにあります。

台風も無事すぎて、すっかり秋めいて爽やかな天気になりました。
今からの鹿児島は、なかなかに過ごしやすい季節を迎えます。

9月から10月あたりは、高原の夏。
その後、平地の秋→さらに秋→やっぱり秋。

そして11月の勤労感謝の日を過ぎる頃に、やっと衣替えで冬物のコートやセーターを出そうかしらん、と言う陽気になります。
それでも年内は、晩秋か北国の秋、くらいな感じじゃないかと思う。あまり、冬めいてはおりません。

年が明ければ、”一応、冬らしさも出してみました”と言わんばかりに、雪なぞ降らせたりもしますけどね。

そんな爽やかな陽気の中、出勤のために紫原という丘を超えて1時間15分、ほぼ毎朝歩いております。

ちなみに、紫原は「むらさきばる」と読みます。
「〇〇原」という地名を「〇〇ばら」とか「〇〇ばる」と読むのは、鹿児島独特の読み方だそうです。

東京でも秋葉原がそうですね。
あれも実は、鹿児島弁です。

母方の祖父は仙台の生まれだったので、心情的にアンチ鹿児島だったようで、秋葉原を絶対に「あきはばら」とは呼ばず、「あきば」と呼んでおりました。
「あそこは正式には”あきばがはら”なんだよ」
と常々申しておりましたっけ。

今は”アキバ”が普通になってますね。
元に戻ったと言えましょう。
祖父が生きていれば、きっと大威張りでドヤ顔したことでしょう。

さてその紫原の坂を、えっちらおっちらと登ると、交差点があります。
小さな交差点ですが、近くの小学校の通学路になっている関係で、交通整理のおじさんが立っている。

一学期の頃、ここに立っていたのは、晩年の笠智衆みたいな、皺くちゃのおじさんでした。
このおじさん、とってもフレンドリーで、いつも大きな声で「おはよう〜」と通る人に声をかけてくれる。
皺だらけの日焼けした顔をくしゃっと崩して、にこにこと元気な声で声がけしてもらうと、なんだか、今日1日良いことがありそうな気がして、私もつられて大きな声で「おはよーございまーす」と言っていたものです。

それが、夏休みが終わり新学期になったら、そのおじさんが消えて、別のおじさんが立つようになりました。
そのおじさん、仕事ぶりは至極真面目なのですが、前のおじさんと打って変わって、恐ろしく無愛想。
むすっとして、これがマニュアルですから、と言いたげに仏頂面で、子供たちを誘導している。
相手が大人だと、完無視。

気のせいか子供達も、彼を無視してるようです。
前の学期ではちゃんと並んでいたのに今はばらばら、挨拶もしません。
二学期になって初々しさがなくなったのかもしれませんが、子供の元気な挨拶の声は微笑ましくて好きだったので、なんだかさみしい。

そんなおじさんですから、当然、私が初めの頃、挨拶しても「はっ?何、このおばさん」という感じに、睨むだけでした。
それでも、やっぱり朝は気持ちよく歩きたいので、頑張って「おはようございます」と言ってはいたのです。
まあ、初めの頃よりは声も小さくなって、最近はつぶやき程度ですけど。

そしたら、今朝はちょっと気がついてくれたのか
「おはようございます。行ってらっしゃい」
と声をかけてくれました。
相変わらず、むすっとした無表情。
口ものともへの字のまま、でしたけど。

私も、にっこりしたかったけど、なんだかおじさんの顔に合わせて、への字の口のまま、お辞儀だけして通り過ぎてしまいました。

なんだかなぁ。

そりゃね、常に爽やかで元気いっぱいでいられる朝なんて、現実にはあるわけない、と思います。
でも、毎日、人は仕事に行ったり学校に行ったりするわけで、その日1日が、どんな1日になるかなんてわからないけど、せめて、朝の通勤通学の途中くらいは、気持ちよく、”今日も頑張ろう”という気持ちで歩きたい、と思うのです。

前のおじさんのように、とは言わないけど、もう少し愛想よくしてほしいな。

でも人に期待するなら、まず自分から、とも言いますし、おじさんが無愛想だからと言って、私もお返しに無愛想だと、結局、無愛想の応酬にしかならない、と思うのです。
ここは一丁、アラフィフおばさんの鈍感力を発揮して、私は無理にでも笑顔を作って、おじさんに愛想よくしてもらえるように努めよう、と思うのでした。