とりあえず始めてみます老いじたく

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ブレードランナー2049〜観てきました

http://eiga.k-img.com/images/movie/85393/photo/4266f56fa9d707d4/320.jpg?1504836018


というわけで、観てきました。
ブレードランナー2049

しっかりネタバレしてます。

前回のブレードランナー話から30年経った、という設定です。
30年の間に、色々あって、相変わらず人間とレプリカントはうまくいってません。

今度の主人公もレプリカントを探し出しては、処分する仕事をしている警官。
彼自身もレプリカントで、Kという標識番号で呼ばれています。

仕事中に30年前に埋葬されたレプリカントの骨を発見します。
その骨は女性のレプリカントでなんと出産時に死亡したらしいということがわかる。
なんで骨からそんなことまでわかるんかい、というツッコミはこの際、おいておきます。

とにかく、レプリカントと人間の差は今や繁殖できるかできないか、という点だけとなっており(もちろん他にも色々あるんでしょうけど)レプリカントが繁殖可能ということがわかると、社会不安から大変なことになると予想される。
というわけで、主人公は生まれた子供の処分を命じられます。

30年前にレプリカントでありながら出産をしたレイチェル。
実はレイチェルは特別仕様で、受胎機能も備えていたのでした。
ここんところは、前作とその解説を見ていればすんなり理解できる。
予習復習は大事ですね。

予習復習といえば、前作でデッカードがレイチェルをテストするときに、セクハラめいた質問事項を読み上げますが、その理由が今回作で解説されます。
そうだったんやー。

生まれた子供は男女の双子で、女の子は遺伝病で幼くして亡くなったことがわかります。
男の子は孤児院に送られますが、その後行方不明に。
そして色々調べていくうちに、ひょっとして自分がその子供では?という証拠を色々と見つけてしまう主人公。
その謎をはっきりさせるため、30年前に行方不明になったデッカードを探す主人公。
手ががりをたどり、放射能汚染のため廃墟となった街(ラスベガス?)のホテルに住むデッカードを見つけ出します。

デッカードのそばに付き随う一頭の犬。
最初シルエットが見えたときは、これはきっと羊!と期待したのですが、残念ながら犬でした。
演技のできる羊がいないのかもしれませんね。
わたし的には、ここは是非とも羊にしてほしかったな。

さてこんな主人公の恋人は、なんとなんとバーチャルリアリティのソフトです。

そういえば、スカヨハがコンピュータソフトを演じる映画がありましたっけ。ソフトなんだけど、人間と恋に落ちる(というか、人間がスカヨハの声をしたソフトに恋をするんでした)という話。

この映画の女の子もホログラムの姿でしか存在できない。
なので、コトに及ぶときは、生身の女性に姿だけ同期してオコナイます。
なんかねぇ、二次元恋人もここまで来ると、って感じです。
もっとも、主人公もアンドロイドなので、人形が人形遊びをしているという、ある意味グロテスクな話ではある。
てか、この話、出て来る人物の誰が人間なのかアンドロイドなのかよくわからない。
そこが、制作者たちの意図するところなのでしょうけどね。

そんなこんなで、無事にお父さん?と会えた主人公。
ところが、そこを襲われ、デッカードは連れ去られてしまいます。
負傷した主人公を助けたのが、レプリカントの残党たち。
そのリーダーから、生まれたのは実は女の子だったと知らされる主人公。

がーん。

なんと、主人公は奇跡の子でもなんでもなかったのですね。

いかにもアメコミ・エンタテイメント系の映画のような展開だと思って見てきたのに、いい意味で裏切られました。

「みんな、自分が特別だと思いたいのよね」
とリーダーに、上から目線で暖かく言われてしまう主人公。

とはいえ、気を取り直してデッカードを本当の娘に合わせるために救出に向かう主人公。
リーダーから、「もっとも人間らしい行動」とかなんとか諭されて、それってある意味洗脳では?
ISとかタリバンとどう違うのさ?
と言うツッコミは、しないであげましょう。

ところで、ボロボロ状態の主人公に、壁のCM版Joiが話しかける場面。
あれはなんなんでしょう?
Joiは主人公に合わせてカスタマイズされてはいたけど、もともとはコンピュータソフトなので、彼女が話すセリフや仕草は全部もともとデフォルトであったもの。
彼女が主人公をジョーと呼ぶのも、ソフトの設定から。
だいたい、主人公の恋人であった”Joi”は、デバイスとともにラヴに破壊されていたはずだし。
と、考えてもいいけど、P.K.ディックの作品には、よくあまねくコンタクトをとってくる存在、というものが描かれているので、この場面でのJoiは、そうした破壊されても、他のデバイスやソフトの形で存在しているもの、と考えてもいいのかも知れない、とも思うのです。
その方が、直後に主人公が捨て身でデッカードを救おうとする行動が理解しやすいような気もします。

主人公Kは、ラスボス・アンドロイドとの最後の戦いを切り抜け、傷を負いつつデッカードを娘の元へ導きます。

映画で、なんども言及される『天使の役割』。
確か天使って天のお使いだから、何かをもたらす役目でしたよね。
そんなことを思い出したりして。

監督のドゥニ・ヴィルヌーヴさん、作品観るのは初めてですけど、いい感じに(つまりわたし好みに)P.K.・ディックの世界観を表現していて、いいな、と思いました。
他の作品も観てみようかな。

ところで、その奇跡の子供ですけど、先天性の免疫不全症で一生ガラスの中でしか過ごせないって、それでも希望なのかなぁ。
繁殖できないじゃん。
巨大なガラスの容器の中で、過ごすしかないという設定自体は、別のディック作品”ジョーンズの世界”を思わせて、ついオタクの血が騒いじゃいましたけど。