とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

銃・病原菌・鉄(下)〜を読んで

下巻も借りてきました。

こちらは、上巻で広げた説を各大陸ごとに検証してます。
その検証にあたって、まず『発明』というものについて、文字を例に挙げて述べています。

発明というのは、ある程度の暇を持て余した才能ある人間がいて、その人物の発想を現実にできる、技術なり知識があって初めてなされるものなのだそうです。
言われて見たら、それはそうだな。
そして、必要があって発明されるのではなくて、発明されてから必要性が認識されるものなのだとか。
確かに、iPhoneiPad以来、私たちはそのことを実感してますね。
さらに、一つの発明が次の発明を生まれさせるものなのだと。この辺り、よくわかる。

人間の科学技術史は、自己触媒の過程の格好の例である。自己触媒の過程とは、ある過程の結果そのものがその過程の促進をさらに早める正のフィードバックとして作用する。つまり、新しい技術は次なる技術を誕生させる。故に発明の電波は、その発明自体よりも潜在的に重要なのである。

そして、いいアイデアがあれば、たとえ敵対する集団のものであっても、速やかに取り入れるのが人間。
競合する集団が、せっせと発明をしあってその技術を伝え合う状況が、一番、技術の発達をもたらす。

それが、ヨーロッパが、同じように豊かで文明も進んでいた中国を抑えて、世界征服できた理由だそうです。
中国は、ヨーロッパと違い、早いうちから一つの政治形態に支配されており、安定しているという点では良かったけれど、安定しすぎて、技術が発展しそびれた、のだそう。

確かに、イギリス軍が香港に入った時、対抗策として、便器を魔除けとして持ち出すしかなかった中国は、だいぶん遅れを取っていたとしか言いようがないし、鎖国していた日本だってお隣の先輩国を笑えませんでした。

そして、人間は農耕を行うことで、食糧生産が飛躍的に伸び、食糧生産に携わらない人間を養えるようになると、だんだん、一部の人間を支配者階級に据えていく社会形態をとるようになるのだそう。
そこから、国が生まれ、帝国が発生してしまうらしい。
それは、ユーラシア大陸固有ではなく、アメリカ大陸、アフリカ大陸でも見られており、オーストラリアでも十分な食糧生産ができていたら、いずれはそうなっていたらしい。

ヨーロッパの人間が、他の大陸へどんどん進出していき、今では先住民をほとんど辺境に追いやって、威張っているのは、まあそういうわけだから、ある意味必然なんだよね、らしいです。
はっきりとはおっしゃってませんけど、そんな風に読めてしまう。

そして、ユーラシアから持ち込んだ穀物が育たないとか、その土地固有の病気があったなどの理由で、ヨーロッパ人が上手く定着できなかったところに、細々と生きながらえている先住民がいるのが、現状。

でも、それは現在の地球の状態であって、遥か過去には、同じようにユーラシア大陸から、他の大陸に進出してきた人類がいて、彼らはその後、移住先の大陸の自然環境に合わせて、今までの技術を捨ててしまったり、別の技術を発展させたり、十分な時間(何千年単位だけど)があれば発展できた技術もあったのに、条件が悪かったせいで、ユーラシア大陸に遅れを取ってしまった。

幼稚園までは一緒だったんだけど、のんびりした学校に進学した子が、バリバリ進学指導する学校に進学した子に、お受験で負けちゃうようなものでしょうか。

移住していった人類の足跡を、言語学と遺伝子で推理していく話が展開されます。
それによると、人類は一度に世界中に広がったのではなくて、波状に何回かに分けて、広がっていったよう。
そして大抵の場合、後から来た人間の方が、先住民よりも、技術が発達していたので、先住民をより不毛な地に追いやって、豊かな場所を占拠して、場合によっては先住民を虐殺、吸収していったのでした。

そう考えると、今のヨーロッパ人のアメリカや、オーストラリア、アフリカへの進出は、長い歴史で見ると仕方ないのかしらね、という気もしてくる。
地球はすっかり狭くなってしまいましたから、この先、ずっとヨーロッパ種族の支配が続くのでしょうか。

でも、最近では最先端の技術は、今まで発展途上国と言われていた国での方が行き渡っているという話もあります。
携帯電話、インターネット、最近話題の電気自動車。
再生可能エネルギーだって。

だから、今後はアフリカ、アジアのヨーロッパへの巻き返し、だってあるかもしれない。
数百年後の歴史の教科書には違うことが書かれているかもしれません。

その頃にも、日本はたくましく生き残っていると、いいな。


読んでて気になった細かい点。
例えば、日本で学ぶのも表記も簡単な、ひらがなやカタカナの代わりに漢字を多用するのは、漢字を使う方が知識階級人として評価されるから、という説。
これはちょっと違うと思います。
日本語は同音異義語がものすごく多いので、漢字で使い分けないと意味が通る文章にならないから、じゃないかな。
著者は奥さんが日本人とのことで、日本についてよく言及してますけど、彼の説、奥さんからダメ出しされなかったのか?

また、中国語があの広大な大陸で、一言語として話されてきたのは不思議だと、言及されてますけど、そもそも、中国語表記って、ヨーロッパのラテン語みたいなもので、最初は官僚や知識階級が使う共通語だった、という話を読んだことがある。
だから、話し言葉はほとんど通じないのだそうです。
表記と文法が共通しているだけなんですって。
意味が通れば、どう読もうと発音しようと、関係なかったらしい。

中国の人と話してて、どうしても通じないときは、漢字で書くとなんとか通じる、ということがあるそうです。
私は中国に行ったことないし中国語も話せないけど、映画や動画を見てたら看板の漢字でなんとなく意味がわかること、あるもの。

ちなみに妹は中国語を勉強しましたけど、北京語なので台湾や東南アジアの人々の話す広東語は、聞き取れない、と申しておりましたっけ。

同じような言葉としてなら現代で言えば、英語。
英語ってそこそこ使える人、世界中にいる。
だって、使えると便利だから。
日本だって、小学生も片言で話せます。

でも、発音はまちまちだし、お互いに聞き取れないこと多い。
ネイティブの発音、って言葉があるくらいですから。
文法と表記が共通しているから、文書にすれば通じるってだけで。

用法が国によって違うことも結構あって、それ関連の本だっていっぱいありますよね。
それでもほかの言語に比べたら、アルファベットとか、さし示す事柄、対象が共通だから使える。

世界中でみんなが使っているから、英語が共通語になっているだけで、イギリスやアメリカが偉大だからではない、ということは言うまでもありません。