とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

西郷どん〜『女性目線の史実再話』と言われても

yahooでこんな記事を見つけました。

headlines.yahoo.co.jp

この記事によると、今回のNHK大河ドラマ”西郷どん”は、今までの西郷隆盛像を大きく変えるべく女性目線で、新解釈したものだ、と言うことです。
それはね、わかってますよ。
最初から。
原作も林真理子だし。
でもね、それにしても

西郷の3人目の妻・糸が、子ども時代の西郷とその仲間たちにこっそり混じっていたというシーン。女子であることが見つかると「女だって勉強や相撲をしたい!」と泣きながら去っていく。それに衝撃を受けた西郷が、女性の格好で世間を歩いてみて、「女は道の真ん中を歩いていたら殴られる」「洗濯物さえ、男と女は別に洗わねばならない」「女は、損だ」と知り、問題意識を持つようになるという流れ。

は、やっぱり変、だと思う。
原作にもない、演出だそうですが。
(やっぱり、林真理子は無実だった)

だいたい、いくら当時の男尊女卑が強かったとは言え、それを一人の勝気な少女が、あえて男装してまで、男子に混じって活躍し、その正体がバレて、泣きながら去っていく、、、って。
幾ら何でも、安易すぎるよ、と言うか、就学前の女の子向けのアニメ並みの設定だと思うのですけど。
(安直すぎて、アニメの設定にもないか)
大河ドラマを見ている視聴者の年齢を、何歳だと思っているのだろう。

そんな時代の出来事をエンタメとして成立させるためには大胆な読み替えや言い換えがなければ受け入れられにくくなるほどに、私たちの感覚は遠いところまできた、価値観が進化したとも言えるかもしれません。

と、言われてもねぇ。
今時の中高生だって、昔は階級差別や、男女差別がいまより克明に存在したってことくらい知ってると思うし、何もわざわざ『女の子が男装して〜』などと言う、どう考えてもありえない演出をしなくても、もっと、より現実的な形での表現もあったと思うのです。

例えば、実際の放送でも、主人公のお母さんが、炊事をしながら耳で聞き覚えた講話を諳んじているシーンがありましたけど、同じように、そばで家事手伝いをしながら、聞いているだけの女の子(糸さん)の方が、男の子たちよりもよく勉強ができて、勉強ができなくていつも叱られていた主人公が「自分の代わりに、勉強すれば?」といったら、屈折した表情で「女の子は勉強したらダメだから」と答えて「え!?そうなの??」となる、とか。
妙円寺の競争で僅差で負けて悔しがる主人公が、糸にディスられて「お前が出てたら、勝てたのに」と愚痴ったら「女の子だから出られないし」と返されるとか。

女装して歩いたら、女性の受ける差別がわかった、と言うくだりは、まあ、あってもいいかもしれない、けどね。

”女城主直虎”が、史実に存在しない人物であったにも関わらず面白かったのは、財前直見の演じた直虎の母を始め、出てくる女性たちがみんな、それぞれ強くて、それがちゃんと女性的に強くて、きっと戦国時代の女たちは、皆こんな風に強かったのだろうな、と思えるほど現実的だったから。
彼女たちは、わざわざ”男の子の格好”でこっそり”男の子の祭”に紛れ込んだり、バレて泣いたりなんかしなかったけど、ちゃんと自分のいる立ち位置で、強かった。
だから面白かった。

正直言って、今回の不評極まりない番組をなんとか持ち上げて褒めるために、無茶なアクロバット説を繰り出して、失速した?とうがったことを考えてしまう記事でした。

本音は最後の一文

鈴木亮平さんの卓越した演技力、何よりも本音は鍛え抜かれた美ボディーを毎週めでていきたいと思います!

にあるのかな、と思ったのでした。