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西郷どん〜なるほどそうだったんだ

『西郷どん』関係の記事を、最近よく目にします。
今日は、こんな記事を見つけました。

thepage.jp

この記事は面白かったです。

そうなんだ、なるほど!!
と勉強になった。

東京育ちの私にとって、西郷さんはやっぱり上野のでかいおっさんの像。
着流しだし、裸足でゲタばき、犬がついているし、それに、近くで見ると肩や頭に鳩のフンがいっぱい乗ってて、確かに威厳、からは程遠いお姿。

上野の西郷さんぞうは、地元鹿児島ではあまり評判良くないですね。
実際、市立美術館の近くに立ってる西郷さんは軍服姿で、威風堂々としています。
鹿児島人にとっての西郷さんは、こっち、なんだろうな。

西南戦争については、地元ですから割と、『実は先祖が参戦していて』という話を聞きます。
無事生き残ってその後、役人となり最後は町長として地元の振興に力を尽くした、とか、地元の名士になった人も多いようです。
明治政府は、割と、国賊扱いもせず県の役人として重用したみたいですね。
体制が変わって教育もあって優秀な人は、いくらでも欲しかった時代だからでしょうか。

一家の男子がみんな、西南戦争に参戦してしまい、女子供だけになってしまったところに、官軍が攻めて来るという噂が流れ、一家で山に隠れた、という話も聞いたことがある。

その時、家の主人の妻がもう孫もいるようなお婆さんだったけど、一人で家に残ったそうです。

皆が家を空けてしまえば、家の名折れになる。
自分は女で年寄りだから、官軍も大した狼藉はしまい。
そして来たばかりの若い嫁に『私は、いざとなったら自害すれば良いが、あなたには家を残すという役目があるのだから、逃げて生き延びなさい』
と言って、一人残ったそうです。
薩摩の女性は、そんな風に強かったのです。

そういう話を聞くと、歴史って今に繋がってるのだな、と思います。

そういえば、以前の職場の先輩で、ご先祖がなんと桜田門外であの井伊直弼を切った犯人の一人だった、という人がいましたっけ。

さて、ここで歴史に詳しい方は、あれ?と思ったはず。
桜田門外で井伊直弼を襲ったのは、水戸藩士(元)だったはずでは?

そうなんです。
そして、水戸藩を脱藩していたその人は、当時は水戸藩と仲の良かった薩摩藩に逃げ込み、鹿児島まで逃げ延びたのでした。
その後、鹿児島の武家の家にお預かりとなり、そのまま婿養子としてその家を継いだのだそう。

こんな話も歴史と現在とは繋がっているのだな、と実感する実話です。