とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

西郷どん〜第3話

色々言われている”西郷どん”。
どちらかと言うと、あまり芳しい評価はもらえてないみたいですね。

演出もベタすぎて、観ていると背中が痒くなってきます。
でも、我慢して観ている。
やっぱり地元なんで。
こんな時だけ、地元愛。
放映時間にガチで観ると、痒さマックスでさすがに落ち着かないので、録画して翌日に家事をしながら流し見してます。

突っ込まれる最大の理由。
思うに、ツッコミどころがたくさんあって、突っ込みやすいからじゃ無いかと。

そのツッコミどころの第一位である鹿児島弁。
三話目ともなると耳が慣れてきたのか、あまり気にならなくなってきました。

お話の中では、相変わらず皆さん貧しくて、お金に苦労しております。
下級武士の家は、ほとんど農民と変わらない生活の上、体面を保つため借金を重ねていたことや、畑が無いと実際に食べて行くことも出来なかったことなどが、語られています。

そういえば、祖母の生家も元は郷士の家だったそうです。
霧島の山岳地帯ですから、西郷さんたち下級武士の更に下。
西郷家は下級武士とはいえ、城下に家もあって、藩主や家老と会話ができる(面通りができる)階級。
祖母の家はそれすら叶わぬもっと下。
ほとんど農民と変わらない階級&生活だったと思うけど、やっぱり言葉の端々に時々「農民の出とは違う」というプライドが感じられたものです。

商人よりも上のはずの武士が、頭を下げてお金を借りに行くシーン。
ここまで露骨でベタな演出もちょっとねぇ、、、(~~;;)と思ったけど、風間杜夫のコミカルな演技のおかげで、なんとか見られる。
それほど背中も痒くならずに済みました。

それにしても鈴木亮平さん、毎回豪快に這いつくばって『待ってたもいやんせっ』とか『お願いしもんそっ』とか言ってますけど、薩摩に限らず武士は非常に体面を重んじていたと思うので、そうそう簡単に人に頭を下げたり、ましてや土下座してまでお願いしたりは、しなかったと思うのですよ。

そういうとこ、なんかすごい違和感。

ここで少年時代の中村半次郎が出てきました。
のちの桐野利秋となる人ですけど『人斬り半次郎』の名前の方が印象深い。
とはいえ、小説の方は読んでないのですけど。
イメージにたがわず子役の男の子が、眼光鋭くて構えも格好いい。
今回の大河ドラマも、子役さんたちがいいので、水戸黄門レベル以下の演出でも、まあ観てもいいかな、と言う気になる。

ところで、示現流(自顕流)について聞いた話。

古武道をやっている人から聞いた話です。
示現流というのは、薩摩藩独特の剣法ですが、原理は勢いと力で相手の刀ごと上から叩き潰すというもの。
斬殺というより、撲殺に近いのだそうです。
示現流の名手に襲われた武士が、つい自分の刀で受けてしまうと、自分の刀ごと押し込まれてやられてしまうので、刀の鍔のところが眉間や顔に刺さって独特の傷が残るのだそう。

そういえば子供の頃、祖父母とよく見てたテレビの時代劇(再放送だからかなり古いものでしたっけ)で、辻斬りの被害者なんかを銭形平次や遠山の金さんが検分するとき、ちょっと筵を持ち上げて見ただけで『こいつぁ、薩摩の太刀筋だな』とか断言しているシーン。
あれって、番組構成上、時間短縮のためのシーンだと思ってた。
刀傷だってことはわかるだろうけどさ、そんな、誰に切られたか、チラ見だけでわかるんかい、って子供ながらに突っ込んでた。

ところが本当に示現流の被害者は独特の傷が残るので、すぐわかったらしい。
そして、当時の時代劇を作っていた&見ていた年代にとっては、そのことはまだまだ常識だったので、あのシーンはいちいち説明されたなくても当たり前、だったのだそうです。

知らなかったわ〜。

勉強になります、時代劇。

さてそうこうするうちに、西郷どんの恩師である赤山靱負が切腹になってました。
あの沢村一樹の安定した鹿児島弁は、唯一ハラハラしないで聞ける鹿児島弁だったのに、、、(涙)。

お世話になっている美容師さんの高校の先輩だそうです。
普通に気さくなカゴンマのおっさんですよ〜。
と言ってました。