とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

舅の入院

舅が入院した。
金曜日の朝、嘔吐してそのあとも元気がない、と言うことで、近くの救急病院に搬送になったそうだ。
相方のおじさんと義姉とで、急ぎ病院に行って話を聞いたところ、癌の末期、と言う診断。

ただの風邪か食あたりか、と思ったらねー。

お年寄りはゆっくり症状が進むので、わかんなかったらしい。
お正月の家族会で会ったときは、かつての毒舌は影を潜めていたけど、それ以外は以前とそう変わりなく元気そうだったのだけど。
出されたお料理も『美味しい美味しい』とステーキも含めて完食してたもの。
途中、くたびれて居眠りしてたけど。

もう90歳前のおじいさんだから、今更手術とか可哀想かも、と思ったら、もう手術と抗がん剤も出来ないくらい進行してたのだそうな。

考えようによっては幸せかも知れない、と、ほぼ他人の立場ゆえ思う。
手術して、その後またリハビリだとかなんだとかで大変な思いして、手術の後の傷が痛いとか、再発が心配だとか、あれこれ不定愁訴でいっぱいで(舅は過去に何度か手術をしていて、その度に姑が大変だったので)残りの人生を過ごすより、見つかるまで元気で普通に過ごせたって方が、良いような気がします。

問題は、この先どこで療養するかってこと。

色々あって自宅は問題外。

施設に入る前のこと、膝を悪くしていた舅は腰にも痛みが出るようになり、介護がないとトイレも不自由な状態になった。
リハビリを勧められたが、痛みに甘えてちっとも努力しなかった(と息子である相方のおじさんは言う)。
前から舅は口が悪くて、いつも不平を言っているような人だったのは確か。
家の人間以外には、ごく普通なのだけれど、周りが身内だけだと、とにかく常に何かしら不平を言っていて、義姉や姑、相方のおじさんとは大違いだったので、嫁にきたばかりの頃はびっくりしたものだ。
家族は『もうお父さんは、そう言う人だから』と慣れたもので、聞き流していた。
私の勝手な考えだが、姑が大人しくて我慢強い性格なのと、ひと昔の世代ゆえ、多少の不快があっても、たしなめたり言い返したりという事をしなかったせいで、長年の間に、どんどんその毒舌がひどくなってしまった面もあると思う。

舅は動けなくなって、ますます文句が多くなり、やがて姑に対する暴言が眼に余るようになった。
見かねた子供達は、舅が心不全で入院したのを機に、あちこち掛け合って施設になんとか入れ込み、今に至る。

もともと外面の良い世代及び性格なので、施設では大切にしてもらっているようだ。

施設はいわゆる特老と呼ばれるところで、最近は看取りもしてくれる。
私は、本人が希望するところで最期を迎えるのが一番良いと思うけど、義姉は夜中になんかあったらどうするの??と、入院を希望。
”何か”って、その”何か”があった時、それがお別れの時ってことだから、じたばたしても仕方ないのではないか、と思うのは、私がほぼ他人だからかもしれない。

自分の親だったら?
病院にいても出来ることがないなら、もう自宅で看取りたい、と思います。
今は在宅でも、細かく対応してもらえるからね。

この辺りはネットや本でお勉強して来ましたし。
いざとなったら、覚悟はあるつもり。

でも舅となると、嫁の立場では発言権はないも同然。
そもそも今までも、関東育ちの気の利かない使えない嫁、という評価をいいことに、いろいろな面倒を義姉に押し付けて来た手前、何も言えんとですよ。

それでも、義姉は『私は入院の方が安心だけど、本人の希望を第一に考えてね』という。
本当いい人なんです。

舅に相方のおじさんが『どこで過ごしたいか』と聞いたら、
『家に帰りたかけど、(姑が)帰ってくんな、っち言うやろが』とふてくされたように答えた。
全く、素直じゃないんだから。

姑は、舅が帰って来て自宅で療養になるかも、となったら、急に『最近、トイレで水漏れがする』とか『私も膝が痛くて動くのが大変。めまいがひどくて最近は立っていられないのよ』などと言い出した。
そのちょっと前までは、週に一度は友達とお弁当を持って遊びに行くとか、ちょっと離れたスーパーまで、頑張って歩いて行くようにしてる、とか言ってたのに。

”私たちも協力するから、家族で頑張ろう”という空気には、残念ながら全然なりませんでした。

でも家族は皆、姑の気持ちもわからなくはないのだ。
おじさん共々、療養先に自宅は無い、と見切りをつける。

姑は入院中の舅を見舞うのには、やぶさかでは無いらしいし、ホームへもまめに面会には行っていたらしい。
ある程度距離が保てれば、お互い穏やかにやっていけるようだ。

とはいえ緩和ケア病棟はどこもいっぱいで、空き待ちの状態だと言う。
今入院している病院は救急病院なので、治療法がない、となったらなるべく早く退院してほしいそうだ。
結局、駄目元でお世話になっていた施設に聞いてみた。

すると、なんとなんと『大丈夫だと思います』とのお返事。

ありがたいものものです。

舅は、今後の緩和ケア治療のために点滴用のポートを入れてもらうのと、痛み止めの薬を始めるために、もうしばらく入院して、その後ホームに帰る。
おそらくホームで看取ってもらうことになるだろう。

私はいろいろあったにせよ、子供も二人作って60年近く一緒だったのだし、最期にいい思い出が作れる最後のチャンスなんじゃないか、と思ったのだけど、全く考えが甘かったです。
夫婦って本当に難しいものですね。