とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

飼い猫の旅立ち

昨日、家で飼っていた猫がとうとうあの世へ旅立ちました。

ご飯を食べなくなって一週間。
温めた猫缶に鰹節をかけてやっても、『なんじゃこれ?』と恨みがましい顔で眺めているだけで、ちょっと舐めたら『もう要らない』とばかりに自分の寝床に戻ってしまう、と言う状態が続いていました。

温めた牛乳に鰹節をかけたの、なんてのも試してみて、いっときはよく飲んだから『じいちゃんのエンシュアリキッド(病院で出されてる栄養補助食品)と一緒だね〜』などと言っていたのですが、その牛乳もやがては眺めるだけになってました。

昨日は朝から、ふらふらしていて、やっぱり猫缶も牛乳も、『食べられんもん』と言わんばかりに匂いだけ嗅いで放置。
目やにがひどいので、拭いてやったけど、身繕いができてないせいか、ちょっと臭う。

おぼつかない足取りで、いつも外を見てた掃き出し窓のところへ行ったり、ストーブの前に転がったり。
普段はご飯を眺めた後は、さっさとお気に入りの籐籠の中で丸くなって寝てるんだけど、珍しくあっちこっち移動してる。

もうやせ細って足許もおぼつかなくて、時々、足が滑って転んだり、そのままそこでうとうとしてたり。

何もしてやれることもないので、そのまま放っておきました。

しばらくしたらソファの後ろに入り込んで、そこに横たわってる。やっぱり、本能的に人目につかないところに行きたかったのかな。

時々のぞいて呼吸の様子とか見てたんだけど、お昼過ぎぐらいに、なんだかより一層小さく縮んだように見えたので、そぉっと触って見たら、もう息を引き取ってました。

人の魂の重さは21g。

そんな映画があったっけ。

猫の魂は何グラムぐらいなんだろう。

こう言う時って、そんなどうでもいいことを考えてしまうものですね。

外出中だった相方のおじさんが帰ってくるまで、お気に入りだった籐籠の中に入れてやりました。
元々は小物入れだったのですが、奴がいつもそこに入り込んでて、結局は我が物にしてしまったのでした。

ペット用の葬祭場もあるらしいけど、今更な気がしたので猫の額サイズの我が家の庭に埋葬。
近くの山から狸がやってくる土地柄ゆえ、掘り返されないように、レンガで墓石も作ってやりました。

思えば14年。
一緒に子虫達の成長を見守って(?)くれた老猫でした。

猫用のトイレを片付けながら、14年も毎日このトイレを掃除したんだなぁ、と思うと感慨深いものがありました。

同居のもう一匹は、庭でトイレを済ませる質なので、このトイレも処分です。もう随分年季が入っております。

おじさんが『爺さんとこに、見舞いに行かないと』と言い出して、病院へお見舞いへ。
おじさん的には、猫が舅を連れて行くんじゃないか、と不安になったらしい。

でも病院に行ったら、今までになく元気な舅が。
テレビでパラリンピック見ながら、エンシュアリキッドをごくごく飲んでました。
姑の話では、それでも数日前から、親戚が見舞いに来ても誰が誰だかわからないようだ、とのこと。
なのに、お気に入りの看護師さんはわかるらしく、エンシュアリキッドをよく飲むのは、そのお気に入りの看護師さんからだけなんだそう。
好きじゃない看護師さんの時は、すぐ飲まなくなるそうです。

さりげなく看護師さんにセクハラすることもあるらしい。そんなことをしているうちは元気なんでしょう。

そういえば昔、病院に勤めていた頃、ある経験豊富な内科の先生が『〇〇さんも今度の入院が最後になりそうだな〜』と言ってた事がありましたっけ。
カルテ見たけど、確かに入退院を繰り返しているお年寄りではあったけど、検査結果も前の時とそんなに変わりなくて、どこがどう違うのか分からなくて。それで、”きっとこれは名医ならではの観るところがあるに違いない”、と思って『どうしてですか?』って質問したら、『だって、今回は看護師からの苦情がこないもん。あの爺さん、”お触り”がひどくて、毎回看護師から苦情がきてたの。それが、今回は入院してまだ苦情がこないんだよ。いよいよだと思うよ』と。
ある意味、名医ならではの観点ではあったのですけどね。

そんなことを思い出したりして。

猫の旅立ちと舅の容体とは関係ない事がわかって、安堵したらしい相方のおじさん。
だからね、うちの猫をそんなに可愛がってたわけじゃないし、猫もなついてたわけじゃない、って言ってたじゃん。