スターウォーズ エピソード7:フォースの覚醒
スターウォーズのエピソード6を見直したら、思っていたよりもしょぼかったので、エピソード7も見たくなってしまいました。
ええ、ちゃんとDVD、持ってますのよ。
もちろん。
コメンタリーはついてませんが、トリビアルな知識は今やネットで調べれば、いくらでも出てくるので、もういいかな。
さて、エピソード7は、新しい三部作の第1章となります。
そのため、どうしてもそもそもの始まりである、エピソード4と比べて見てしまう。
まず、今回のヒロインは、お姫様ではなくて辺境でゴミあさりをして生活している女の子。
SWの世界でも、かなり下に見られている階層出身です。
まあ、捨て子だったという過去もあるので、実はやんごとなき出身かもしれない。(ルークみたいに)
さらに、幼い頃から独りぼっちで生き抜いてきたタフな人物。
襲ってきた無法者と戦って、簡単に倒してしまえるほどの武術の持ち主で、その上、ハン・ソロやチューバッカを唸らせる技術者でありパイロットでもある。
砂漠の辺境の星で、親もなく育った割には、すごいスキルの持ち主だな。
確かにレイア姫も、お姫様ながらに銃を撃ったり、ジャバ・ザ・ハットを鎖で絞め殺したりと活躍してますが、比べてみるまでもなく、身体能力が違います。
1970年代、我が家に親が知り合いからいただいた絵本がありました。
アメリカの小学校低学年か、就学前年齢の子供向けの絵本で、イラストと一緒に、イラストを説明する単語が書かれていました。
綴りを覚えるための教育絵本ですね。
その中に、家が火事になっているシーン(The house is on fire!)で、
”勇敢な消防士子豚くん(Brave Fireman )”に救い出される”可愛いミス.子豚ちゃん(Pritty Ms. Piggy)”というキャプション付きのイラストがありました。
今だったら、「何、これ?」ですね。
他にも、医者は男性で、看護師は女性とか、性差がそのまま社会での職業や役割分担を表しているイラストが多くて、現代なら日本でだって、炎上しそう。
アメリカといえば、ウーマン・リブの発祥の地でもあり、女性の地位も高くて、性差別撲滅についても、より進んでいるイメージですが、当時はやっぱりこんなもの。
そんな時代だと思えば、確かにレイア姫は健闘してました。
けど、やっぱりルークが助けに来るまでは、独房でしどけなく寝転んでるだけだし、着ているのはネグリジェみたいな裾も袖もひらひらドレスだし。
髪の毛だって、おさげをかっちり編み込みしてます。
髪の毛はひっつめで、忍者の忍び服みたいな姿の、レイとは大違い。
今や将軍となったレイア姫は実用一点張りのパンツスタイル。
相変わらずのおさげの編み込みはノスタルジーでしょうか。
30年で、こんなに変わったのだなぁ。
30年といえば、ルークもハン・ソロも伝説の人となっていました。
そんなに早く伝説化するものなのかしら。
文献や記録がなくて、言い伝えだけしか情報がなかったら、そういうものなのでしょうか。
それにしても、レイはどこでどうやって武術や、宇宙船の操作技術を覚えたのだろう。
アナキンくんみたいに天才だったから、という設定なのでしょうか。
でも、アナキンだってお母さんと一緒だったし街中の工場にいて周りに色々教えてくれる大人が、たくさんいたっぽい。
もっとも、レイはエピソード8では、名もなき人たちの子供で、捨て子だと言われていましたが、それも、本当かどうか。
捏造された記憶かもしれないし。
私はルークの娘(ライトセーバーに選ばれてるし)かと思ったけど、違ったみたいです。
スノークがやたらこだわるから、スノークの孫(年齢的に)かとも思ったけど、違うし。
ネットでは、スノークの正体はメイス・ウィンドウで、レイはパルパティーンの孫、カイロ・レンはアナキンの孫という説が載ってました。
なかなか、説得力があります。
他にも諸説あるみたい。
みんな、楽しんでますね。
エピソード9で明らかになるのでしょうか。
ファースト・オーダーの演説シーンは、圧巻だなぁ。
迫力満点、整然とした美しさ。
ナチスドイツの戦意高揚映画を思い出す人は多そう。
最初に出て来るトルゥーパーたちも、なんか雰囲気が違う。
エピソード4では帝国軍側の俳優さんには、わざとイギリス英語を喋らせて、帝国感と雰囲気を演出したそうですが、今回は、そんな小技を使わなくても映像で十分、雰囲気&迫力があります。
てか、イギリス英語に『偉そう感』がなくなってきているだけなのかもしれませんけど。
クリーチャーたちも、全然しょぼくない。
ワンカット、ワンカット、楽しめます。
やっぱりクリーチャーが色々、出てきてこそのSWだと思いました。