とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

八月の反省

八月の反省です。
今回は、大いに反省点があります。

ふてくされて仰向け寝、している場合ではありません。

食費      32,812 円
日用品     46,748 円
娯楽・贅沢費  88,265 円
合計      167,825 円
      (ー57,825

ちゃんと予算をクリアできたのは、食費だけでした(汗)。
しかも、これにはからくりが。

今までスーパーで買うお惣菜やベーカリー専門店のパンは、食費に組み込んでいたのですが、それも贅沢費に入れることにしたのです。
さらに、今月はお盆休みがあって、旅行に行かない代わりに、ちょっとリッチに家でのんびり家飲みしよう、ということでお刺身とかお寿司とか買ってしまった。
加えて、漫画と本を大人買い
あとは、花火大会でしょ。
子虫が一匹帰ってきたから、ちょっと夕飯の食材も張り込んじゃったし。

思ったよりオーバーしているので、まずいな、とは思っています。
予算比52%のオーバーです。
贅沢費予算だけで見ると96%増。なんと2ヶ月分を使ってます。
まずいです、まじで。
九月からはしっかりしなくては。
今月から、収入も減りそうだし。


ところで、今回の贅沢費、ほとんどお盆休み中と、子虫の帰省中の出費でした。

使った時のことを、思い返すと「せっかく休みなんだし」と、「せっかく帰って来るんだし」で、財布の紐が緩んでました。

でもこれは、ある程度は仕方ないと思うのです。
何でもかんでも、切り詰めだと心も貧しくなりそう。
少しは楽しみもないと。
時期限定の出費として、別に積み立てなどで対応しても良いかな、と思うのです。
名付けて「せっかく〇〇なので」予算です。


日用品は、洗剤やトイレットペーパーと言った消耗品をまとめ買いしました。
こちらは、確信犯です。
当分は保つと思うので、三ヶ月分くらいをまとめて買ったのです。


お仕事の方は、どうなるかまだわからないのですが、せっかくなので、今月はのんびりしようかな、と思います。

細く長く働いていきたいので、時々は自分メインテナンス、しないとね。

防災頭巾と防災の日

小学校は東京の下町でした。

毎年九月始めには、防災訓練がありました。
関東大震災の教訓ですね。

私の通った小学校のあった町は、下町で住居が建て込んでいたにもかかわらず、奇跡的に焼け残ったと言われていました。当時の駐在さんが、地震の直後に町中を回って、火を消すように言って回り、町の人たちにも消火を優先させたので、大火に巻き込まれずに済んだのだそうです。

という訓話を毎年、防災訓練の後の校庭で、聞かされました。
そのときは、防災頭巾というのを全員被っていないといけない。

これは綿入れの頭巾で、いざという時に、被って頭を保護するもの。
普段は、座布団として椅子に敷いて使います。
冬などはお尻が暖かくて、なかなかの優れものでした。

でもね、夏はちょっと。
特に、九月はまだ夏の名残で、今ほどではないにせよ、暑い。
頭巾の中で、汗びっしょりになって、暑さでクラクラしながら、早く終わらないかなぁ、と思っていたものです。

この風習は、東京の学校だけのようですね。
こちらでは、聞いたことがありません。
あ、以前、ちびまる子ちゃんの漫画でも見た覚えがあるから、関東・東海地方の習慣だったのかも。

防災頭巾は、手作りでした。
学校から作り方のプリントが来て、その通りに作らないといけない。
当時は、他にも習字の道具入れだとか、体操服入れだとか、家で母親が作らないといけないものがたくさんありました。

母は仕事をしていたので、それが大変だと、いつもこぼしていたから、防災頭巾も面倒臭がるんじゃないかと思ったのに、
「あら~、私たちの頃は防空頭巾って言ってたのよ。懐かしいわ~」
「あの頃は、ものがなくて、地味なのしか作ってもらえなくてね~。花柄の可愛いのが欲しかったのよね」
「まあ、戦争中だから、そんな目立つのもの、作ってもらえるわけがなかったけどね」
とか、なんとか言いながら、結構、楽しんで作ってました。

いつもは実用一点張りの、素っ気ないのを作るのに、自分が欲しかったせいか、可愛いアップリケなんかもつけて作ってくれましたっけ。

他のお母さんたちも、同じ思いだったみたいですね。
訓練の日には、華やかな柄の可愛らしい防災頭巾がたくさん並んでました。

うちは男の子ばっかりだから、地味なのしか作れない。
なんて、言ってたお母さんもいたっけ。

きっと、当時作っていた母親たちはみな、平和のありがたさを噛み締めていたんだ、と今頃になって思います。

北朝鮮がミサイルを発射して、Jアラートとか避難とか、なんだか落ち着かない今日この頃。

その度に集団的自衛権とか、憲法九条の改正とか、話題になります。
もう既に戦後ではなく、戦前の日本に、私達は生きているのだ、と思ってしまう防災の日でもあるのでした。

蝉の歌を聴ける国

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今日は、お仕事が昼前からでした。

滅多に無いことなので、空いた時間を有効活用しようと思い、更年期障害のお薬メノエイドコンビパッチを処方してもらいに、婦人科へ行って来ました。

 

ここの先生は、子虫の出産の時にお世話になった先生。

当時は病院勤務医でしたが、その後実家の産婦人科を姉妹で継がれたので、私も追っかけで、こちらに受診してます。

 

最初は前の主治医の妹先生でしたが、最近は姉先生。

元々外科医をされていて、実家を継ぐために婦人科に転科されたそうで、さばさばした口調の男前な先生です。

年が近いせいか、子虫の愚痴とか聞いてもらってます。

先生も話好きだし、クリニックが暇だと話が弾んでしまうので、ちょっと早めに行くことにしました。

日が高くなると、外は暑いし。

 

薬を出してもらい、クリニックを出ると微妙な時間。

クリニックからバイト先には、歩いて20分ほどなので、このまま直接行くと早く着きすぎてしまいます。

 

何処かで時間でも潰すかなぁ、と思いつつふらふらと、クリニックの近くの川端を歩く。

鹿児島市流れる甲突川は、最後に海に注ぐので、クリニックの近く辺りになると潮の香りがほのかに漂います。

足元も白い砂地で、海が近いのを感じます。

川に沿って桜や楠木の並木道と公園があって、歩くと気持ちが良い。

 陽射しは強いのですが、楠の木陰は爽やかな風が抜けて、思ったよりもずっと涼しい。

所々にベンチがあるので、腰掛けてぼんやりしてみました。

 

通り過ぎる人を眺めたり、流れる水の流れや雲の動きを見上げたりしていると、気持ちが良い。

蝉の声も、いつもは暑さを盛りあげるみたいに忙しないのに、今日はさらさらと風のリズムに乗って流れてきます。

ジャズのセッションみたい。

 

そう言えば、ヨーロッパの蝉は鳴かないそうですね。

昔読んだ、上野動物園の元園長さんの書いた本の中に、こんな話がありました。

 

ある夏のこと、動物園に来た珍しい動物の世話を指導するために、ドイツから二人の飼育係が来日したそうです。

 彼らは夏中、裏に小さな山のある作業所で、他の飼育員に餌の作り方などの指導を、熱心にしてくれたそうです。

帰国するときに、そのお礼も兼ねてお土産に欲しいものを尋ねたら、作業所の裏山にある雑木の苗木を所望されたそう。

不思議に思って

「ドイツにはその木は無いのですか?」

と聞くと

「同じ種類の木はあるのだけれど、鳴かないのです」

と答えたそう。彼らが言うには、

「あの裏山の木は、夏中、とても良い音で、我々を楽しませてくれたので、ぜひ故郷に植えて、故郷の人にも聞いてもらいたいのだ」

と。

 

裏山の木々で鳴いていたのは、もちろん蝉でした。でも、蝉が鳴くことを知らないドイツ人達は、木が鳴いている(あるいは、音を奏でている)と思っていたのでした。

 音を奏でる不思議な木を、持って帰ることが出来なくて、そのドイツ人達はさぞがっかりしたことでしょう。

 

そんなことを考えて、ちょっとほっこりしたりして。

 

街中なのに、時々しか人も通らなくて、本当に静か。

こんな日は、やっぱり私はここが好きだなーとしみじみ思う。

人生で、一番長く住んでしまいました。多分、ここ以上に長く住む所はないでしょう。

来たばかりの頃は、ここまで長くなるとは思いもしませんでした。

人生わからないものです。

 

こうしてのんびりしてると、アーリーリタイアさん達の気持ちもわからんでも無い。

ですが、このまま何時間もぼんやり座っていられるか?と言うと、無理かも。

家に居れば、本を読んだり、ネットを見たり、あとはついでに家事をしたりと、やる事はあるのですが、何もしないでぼんやりするのは、やっぱり落ち着かなくなりそうです。

根が貧乏性なのでしょう。 

 

さてでは、よっこらしょと立ち上がって仕事に行かなきゃ。

 

川辺から一歩出て、通りに出るとアスファルトの道路や、コンクリートの建物からの輻射熱で、一気に暑くなる。

もう半端ない暑さです。

舗装された道路は、雨が降っても泥だらけにならないし、凸凹もなくて良いけれど、世の中が年々暑くなっているのに、絶対関係あるよね、と思った瞬間でした。

 

 

 

 

 

 

地元で就職した子供が勝ち組という話

あれは多分、お盆休みの話をしてた時のこと。
三十代男性職員さん。
若いけど、勤続年数は長くて仕事では上司も頼りにする大ベテラン。
子供は小学生を頭に三人の男の子。
別の職場ですが、奥さんも働いている共働き世帯です。

おしゃれにヒゲを生やしてて、髪は金色に近い茶髪。
いわゆる地元ヤンキーと呼ばれるタイプの人だと思います。

夏休みは子供を連れて実家に帰り、海に行ったり、キャンプに行ったり、充実した時間を過ごすそう。

実家といっても、鹿児島市内から一時間ほどの郊外です。
おじいちゃん、おばあちゃんもまだ60代なので、元気。
子供の世話もしてくれる。
近くだから頼みやすい。
将来は、親の土地に家を建てるか、二世帯にするのでその分の貯金はしなくて良い、だからそのお金で、家族で楽しむことにしているそうです。
ユニバーサルスタジオには何度か行ったけど、ディズニーランドは、まだ。
もう少し子供達が大きくなったら、家族旅行で行く予定だそう。

ちょっと意地悪して
「でも、子供さんが大学行くようになったら?結構お金かかるよ〜」
と言ってみました。

すると、
「何言ってるんすか?高卒で就職すっよ。当たり前でしょ。うちは公立の職業系の高校行かせますから。そんなに金はかけない予定です」
と即答されてしまった。

そうなんですね、もう学歴なんてそれほど大切、って思われてないのです。

せめて、大学は出て欲しい。
と、私たちの頃の男子なら言われた、と思うのです。
都会の良い大学に行って、都会で就職するのが勝ち組、だったと思う。
地元の大学を出ても、やっぱり卒業後は東京や大阪、福岡に出て行ったものです。

でも、今はせっかく大学出ても、
就職できなかったら?
倒産したら?
リストラされたら?
と、リスクがある。
地方には、半端に高学歴だとかえって仕事がない、という問題もある。

義姉のところの甥っ子達は、頑張って修士を取得し、一流企業に就職しました。
確かに収入なんか、すでに相方のおじさんよりも多くて、いわゆるエリートサラリーマンです。
でも今の会社にいる限り、鹿児島で暮らすことは、まずない。

そんなあれこれを考えると、学費や仕送りで無理して、親世代が老後になって経済的に困窮するよりも、むしろ割り切って手に職をつけさせるのは、現実的な教育方針かもしれません。

地元で堅実な仕事についてくれて、そんなに収入がなくても、近くに住んで、家族仲良く暮らせたほうが良い。
子供世代にとっても、子育てだって、親が近くに居てくれたらぐっと楽。
孫世代にとっても、両親以外にも家族がいるほうが、色々な意味で、豊かな人間関係や経験が体験できるでしょう。


以前、ネットで、

いまどきの勝ち組は、中途半端に勉強できて都会の大学行って帰ってこなくなる子供より、高卒で地元就職して、孫を抱かせてくれて介護してくれる子供がいる親。

という言葉を見たことがあります。
最近、本当にそうだよな、としみじみ思う。

先日読んだ、「下流老人」と「我らがパラダイス」の二冊。
どちらも、子供は老後のリスクの一つになってました。

曰く、引きこもりやニートになって、せっかく貯めてきた老後のための資金を食いつぶす。

曰く、年寄りを大切にするという風潮が廃れてしまって、面倒を見ようという子供に育ってくれない。

曰く、もし、いずれ親の介護をしたいという子供に育ってくれたとしても、親が介護が必要な年頃には、子供世代も忙しいか生活に追われていて、介護出来ない。

なんだか身も蓋もないような気もしましたが、実際、周りを見ると、そういう例を多々見ます。

我が家も、子虫達にはあまり期待できないし、しないほうが良いよな、と思ってる。

もちろん地元に住んでいるからと言って、子供世帯の生活が楽とは限らないけれど、少なくとも近くにいれば、何かあったらすぐに会えるし、状態も見に来れます。
他の家族、例えば孫の手を借りたりもできる。
小さい頃から、ちゃんと関わっていれば、孫だってなついてくれて、いざという時、祖父母の面倒も見てくれようというものです。

人生を始める、最初の頃で方向性を間違えてしまったかしら。
人生、なかなかうまくは行かないものです。

我らがパラダイス〜を読んで

図書館で予約していたのがやっと順番が回って来ました。
予約を入れたのはずいぶん前だったので、ほとんど忘れていました。
図書館だと、人気のある本はよくこういうことが起こるんです。
ただ今回は、丁度「下流老人」を読んだ後だったので、ほんとタイムリーでした。

予約を入れた時は、著者が自分のお母さんを介護施設に預けるに当たって、色々と調査をした、という部分だけ、書評で読んで予約したので、てっきり、その介護についての体験エッセイ、だと思っていたのですが、違いました。

ちょっと残念、そういうのを期待してたんですけど。
私は、彼女の作品は少々苦手で、どちらかというとエッセイの方が好きなのです。

でも、せっかく借りて来たのだし、読んでみました。
予約を入れている人も多いので、早く返さないといけないし。

三人の同年代の中年女性が主人公となって、三つの話がそれぞれに語られていきます。
三人はそれぞれに介護の必要な親がいて、それぞれに事情がある。

そして、介護の問題で苦労し、やがて追い詰められていきます。

一方で、格差社会を象徴するような超高級老人ホームが出て来ます。
そこが三人の職場でもある。

実際の介護の大変さとか、介護する人の苦労や辛さ、苦悩がよく描かれています。

特に、気が弱くて事なかれ主義な兄(弟)と気が強くてしっかり者の女性主人公がやりあう場面とか、嫁と姑、小姑との間にたちこめる、なんとも言えない苛立ちとか、そういう場面を描くと、いつもながら、この人は上手だなぁと思う。

介護の現実、大変さ、行き場のなさも。
他人事では済ませられない、切迫感、現実感もさすが直木賞作家です。
しかもすごく勉強されてます。

小説では、それぞれ置かれた状況はどんどん悪くなり、介護で追い詰められた主人公たちは、突拍子もない行動に出ます。
そして、あることをきっかけに一気に破綻を迎え。

とストーリー展開もスピード感があって、どんどん進む。

主人公の一人が、職場である超高級老人ホームに、自分の親を住まわせる、という暴挙に出る時点で、おいおい、どうするんだこの結末?と思いましたが、最後もなんだか小説ならではの終わり方。

面白いけど、あんまり現実的な問題解決にはなっていないような気がする。

問題提起、という点では下流老人よりは、切迫感があってよりわかりやすくはあると思う。
数字の羅列や、グラフ、表といったものを見ると、拒否反応が出てしまう人には、こちらの方がとっつきやすそう。

読んでいくと、人生について考えさせるような文章が、ふっと出て来て、胸を突かれます。

個人的には、
「子育てももしかすると復讐される、ということかもしれない。ちゃんと育てることができなかった過去の自分に、未来の自分が復讐されるのだ」
という部分に、どきっとしました。

実際、子供がいても、介護をあてに出来るとは限らない。

「親の介護などというものは、みんなこんなものであろう。雑誌の特集でやるように、
『将来を見通して』
などということが出来る人が何人いるのだろうか。次から次へと災難が降ってかかる。いや人生の順番そのものがうまくいかないようになっているのだ」

「心の優しいものが逃げ遅れて介護をやる羽目になる。そして、優しい分、逃げた他の家族を責めることもできずに、独りで背負ってしまう」

そんな文章が身につまされます。

介護って、始めるときはなんとかなりそうでも、実際やって見るとすごく大変。
実際、義理の両親は、それでうまく行かなくなったようなものです。

読み終わって、結局、なんとも言えない気分になりました。
私たちも今現在、まだ未完の小説の中にいて、先の見えない結末に向かって進んでいくしかない、という気分です。

うまく、ハッピーエンドに持っていけるように、それぞれが努力するしかないのかなぁ。

下流老人〜を読んで

前から気になっていたので、図書館で借りてみました。
一読しての感想。

うーん。

色々な実例が挙げられています。
ちょっと、極端な気もする例もある。
著者は、もともと、支援目的のNGOを主催している方なので、やっぱり問題提起をしなくちゃ、という志もあって書かれているからなんでしょう。


中には、あまりにも知らなさすぎないか?
と私でも言いたくなるようなことで、貧困に陥っている人もいたりして。
でも、そういうことに興味を持ったり危機感をもったりしていなければ、やっぱり知らないままに、過ごしてしまっていざという時に、困ってしまうのでしょう。


もちろん、これは予測もつかないし、大変だな。
と心から同情してしまうケースもあります。

子供が鬱になったり、引きこもりになったりで、生活力がなく、いつまで養わなくてはいけないか、先が見えない。
なんて、話は身につまされる。
他人事で、流せそうもありません。

でもな、だからと言って全部が全部、親の責任というわけでもないと、思うのです。

昔、子虫が学校を辞めてふらふらしてた頃、妹に愚痴ったら、
「いつまで面倒を見るのかは、はっきり決めておいたほうがいいよ。本人のためにも」
と言われました。

妹は教育関係の仕事をしているので、私よりもその辺のややこしい事例を、沢山、見て来ているのでしょう。
その時は、
「冷たいな〜、愚痴ってただけなのに(泣)」
と思ったけど、今はそうだな、と思っています。

自分たちでなんとかしよう、よそ様にしれたら恥ずかしい、なんとかなるよ(多分)なんて、ずるずると問題を放置していたら、みんなで共倒れ。
余計に大変なことになるってことも、あるのですから。

我が家はその後、子虫は周りのアドバイスもあって、地方の新設大学になんとか潜り込み、今はとりあえず楽しく勉強しています。
就職は、あるのかどうかはわかりませんが、本人は「ちゃんと考えている」と言ってはいる。
在学中は援助するけど、あとは自分で食ってくれ、と言ってあります。

子供さんが、ブラック企業に勤めていて生活ができないから、就職後も仕送りしている、という親御さんも知り合いにいますが、そこまではしないつもりです。
でも、子供可愛さにしちゃうのかなぁ。

この本だけでなく、「下流老人」で検索すると、いくらでも出てくるネットの記事では、思いもよらない自体で貧困に陥ってしまうケースが、ぞろぞろ出て来ます。


gendai.ismedia.jp

中流に位置するくらいの収入がある人が、一番危ないそうです。
「これくらいは贅沢じゃない」「別に贅沢しているつもりはない」「頑張って来たのだから、これくらいは」と使っているお金が、実は身分不相応なのだとか。
そして、支出が抑えられないままに、いつのまにか収支が合わなくなって貧困に落ちてしまう。

でも、この身分不相応なのか、相応なのかの判断って、難しくないですか。

そりゃね、毎年豪華な海外ツアー旅行をしようとは思いませんけど、年に一回の温泉旅行は、贅沢なのか?
出そうと思えば、出せる金額なのではあります。

だから、難しい。
分相応な楽しみだと思って良いのか?
それとも、実は身分不相応なのか?
本来は、貯金に回すべきなのか?
わかりやすい、指標ってないですかね。

他にも、介護離職とか、子供の問題とかちょっと不安を煽りすぎでは?
と言いたくなるようなのも、ある。
でも多くは「自分たちは年収もあるし、大丈夫」と言っているうちに、二進も三進もいかなくなるようです。

この辺りは、心せねば。

今は、二人で働いているけど、いつ、どちらかが倒れるかはわからないし。
特に私はバイトの掛け持ち。
収入が不安定でリスク大。

倒れるのだって、病気とは限りません。
ご主人がひき逃げされて、意識不明の重体になり、ICUで何日も療養してたって話を、以前、聞いたことがある。
事故の被害者なので、加害者が補償するまでは、全額自己負担だそう。
でも、ひき逃げで犯人が捕まらないから、補償してもらえない。
一日の医療費が、何十万単位だとか、聞くとめまいがしそうな話です。
もう、あんまり考えると、先行き暗くなりそう。

でもな、じゃあ、そういう事態にも対応できるように高額の保険に入って、その支払いで生活が圧迫される、ってのもなんだか本末転倒な気もするし。

結局、ある程度は、なんとかなるさ〜と楽天的に暮らしつつ、いざという時は適切な情報や助言が得られるように、あちこちにこまめにアンテナを張り巡らしておく。
それしかない、のでしょう。

私のネット中毒にも、良い言い訳が出来たので、これからもせっせと、ネット検索して過ごそうっと。

孤独なバッタが群れるとき〜を読んで

「バッタを倒しにアフリカへ」の前作となる本です。
こちらは図書館にあったので、早速借り出して読んでみました。

「バッタを倒しに〜」はどちらかというと、アフリカでの苦労話を面白おかしく書いている感が強く、現地での人とのふれあいや、研究環境の(特にお金の面での)厳しさがメインでしたが、こちらは、実際の研究内容も盛り込まれています。

小学校高学年から中学生くらいの科学が好きな子に読ませたら、夢中になりそう。
ブログで鍛えただけあって、平易でわかりやすい文章。
小学校高学年なら、十分理解できそうです。

研究三昧の日々を送る、かなり真面目な内容なのですが、少年ジャンプの引用があったりと、それほど深刻な感じがない。
どことなく、ロールプレイングゲームをしているような感じもある。

実際の研究者って、きっとこんな感じなんだろうな。

大学院まで行って一向に就職の気配もないし、一体何してるんだろ、うちのプー太郎は。
なんて思っている親御さんが、読んでも良いかもしれません。

研究の内容が、また面白い。
バッタを飼育箱に入れて、餌を与えて、卵を集め、数を数えて、観察してと、実に地味。
なのに、面白い。
仮説を立てて、飼育条件を変えて、その結果に一喜一憂する。
その繰り返しなんだけど、それが知的興味を刺激してくれます。

著者の話を読むと、中学校の理科クラブあたりでも、出来そうな気がしてくるから不思議。
これを読んで、実際にやってみたくなる子、きっといるだろうな。

もちろん現実は、もっと緻密で難しいのでしょうけど。
なんだかすぐに出来そうな気がしてくるのは、著者の語り口が熱いからかもしれない。

前作「バッタを〜」でも触れられていましたが、こういう地味な研究は志す人も少ないし、研究のためのお金もなかなか出してくれるところがないらしい。

著者も、終わりの方で「半年後の収入のあてはない、でも、なんとかなると信じて研究を続けている」と書いています。

先週、お盆休みの頃にせっせと読んだ早期リタイア人の、妙に冷めた人生観や、快適さに重点を置いた生活と比べると、真逆の世界。
でも、好きなことが見つかったからと、これくらい突っ走れるのは、ある意味羨ましい。
文章には綴られていない、苦労や葛藤や悩みもきっとあるのだろうけど、そこは出さず、弱音も吐かず。

やっぱり、この人ちょっと中二病(いい意味で)。
ずっと少年、みたいな人なんだろうな、と思いました。

幾つになっても、胸躍らせる目標が欲しい、そんな人の参考になりそうな本でした。