とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

愛用のMacBook Airがついに寿命を迎えそう

私が使っているノートパソコンは、2011年購入のMacBook Airです。

最初のMac購入は、かれこれ10年ほど前のこと。
きっかけはiphoneでした。
それまでは、安いし軽くて持ち運びに便利だからと、通話しかできないPHSだったのですが、ふと写真が撮れる携帯が欲しくなり、ついでに色々出来そう、と当時評判だったiphone3Gを購入。
そのとき、iphoneの設定やら何やらでパソコンが必要となって、じゃあついでに、と買ったのがMacBookでした。

それまでは、相方のおじさんのパソコン借りてやりくりしてまして、それでなんとかなっていたのですね。

その後、そのMacBookを子虫にお下がりに出して、今のMacBook Airに変更。
すでに数年前にはバッテリーが弱ってきたようで、常にコンセントに繋いでおかないとすぐにバッテリー切れになってしまうようになりました。
なので、右側の真田虫みたいな延長コードに繋ぎっぱなしにして、家の中をあちこち持ち歩いて使っています。
多分、MacBook Airとしての特徴が全然生かされていない使い方だと思う。

かつてのスティーブ・ジョブズさんは、MacBook Airを茶封筒から取り出してみせる、というプレゼンで一世を風靡したそうで、「あれを見て、もう胸を撃ち抜かれてしまって」購入したと、うちの上司も申しております。
そんな彼らから見たら、私の使い方は邪道もいいところだと思うのですが、まあ、これはこれで使えていたのですよ。
ちゃんと。
最近までは。

ただ、この数日、どうもMacBookくんの様子がおかしい。
勝手に、電源が落ちてるんですね。
その度に、電源を入れ直し、とりあえずは立ち上がるのですが、時々はパスワードを読み込まず、最初の画面から動かないでいることもある。

まるで、寝ぼけたお年寄り状態。
ぼんやりと「私は誰?」みたいな感じで佇んでいる。
まさにそんな感じ。

やっぱり寿命、かなぁ。
もう購入して丸々6年が経ってますものね。
前のMacBookの時は、電源が入らなくなって修理に持って行ったら、「部品の在庫が確保できるのは製造中止から三年までなので、もう修理は無理です」と言われたのでした。
私のMacBook Airくんも、もう昨年で製造中止したらしいから、まだ大丈夫だろうけど、何か言われそうだな。
「修理費の方が高くつきます」とかなんとか言われそうです。

そろそろ買い替えの時期なのでしょう。
6年使ったから、もう元は取れているかしら。

我ながら冷たいもので、いざ買い替えとなると、ちょっと浮き浮きしてしまう。
新しいMacBookは色もローズピンクがあったりで、なんだかオシャレ。
重さも1Kgを切るという軽量です。
あちこち持ち運び出来そう。

ネットの情報記事を読むと、MacBook Proを推す記事が多い。
メーカーとしては、Proに一番力を入れているのかしら?
パソコンは、一番新しいものを買うべし、という記事を読んだこともある。
日進月歩でどんどん新しいものが出てくるから、どうせ二、三年で型遅れになる。その時にはもっと優れた性能のものが出てるのだけれど、あえて買い換えるほどではないし、という状況になるのが目に見えているから、なるべく買う時点で、一番新しいものにしておくのが良いのだそうです。

うーん。

そうなると、Proかなぁ。

価格も、最初にAirを買った頃のお値段から考えたら、随分お安くなっています。
とはいえ、同じMacBook Airならさらにお安く、半額以下で購入できる。

子虫に、ちょっと訊いてみました。
すると「MacBook Airでいいんじゃ無いの」というお返事。
値段も安いし、今のおかんの使い方なら、別にProにしなくてもいいよ、だそうです。
さらに、11月か12月あたりに新しいのが出るから、その辺で決めたら、とのこと。

そうなの?

確かに実際問題として、今現在、使っていて何かものすごく不具合があるか?と言われれば、特には無いのです。
ただ、電源がいつ入らなくなるかがわからないだけ。
あと、あちこち持ち歩けないですけどね。

いきなり、お亡くなりになった場合、一番困りそうなのはこのブログの更新くらい。
でも、こちらはいざとなればiphoneでも更新できるように、なりましたしね。

そうこうしていたら、なんだかまた持ち直したようです。
「まだまだやれますっ、私大丈夫ですっ」って感じで、ちょっと健気な気もしてきました。

もう少し粘ってみようかな。

九月の反省


いつのまにか、10月になっていました。
もう今年も残すところ3ヶ月です。

ところで九月の反省です。

食費      39,881円
日用品     6,069円
娯楽・贅沢費  43,175円
合計      89,125円
      (+20,875円)

無事、予算内に収められました。
食費は目標の3万5千円は達成できませんでしたけど、まあ良いか。
全体でプラス2万円の黒字は初めてかも。
( ̄ー ̄)ニヤリッ

ただ、今回、奈良旅行の出費は旅費として別に計算。
おじさんの懐から出してもらいました。
なので、その分が贅沢費に入っていません。
そういうわけなので、まだまだ、気を引き締めていかなくては。

贅沢費といえば、先月からスーパーのお買い物でも、お惣菜とかお寿司とかビールなんかは全部、贅沢費、として計上することにしています。
ついでに、おじさんのおやつも。
前から自分用のおやつは、お小遣いから別計算しているので、おじさんが家で食べるおやつも、おじさんの懐から出してもらおうかな。
今のところは、こっちで出してあげてますけどね。

というのも、以前読んだブログ記事で「一番怖いのはプチ贅沢、という消費行動である」という話を読んで、でもプチ贅沢って何を指すのだろう、といまいちよくわからず。
身分相応、不相応も人によって基準が違いそう。

gendai.ismedia.jp

とりあえず、自分で「これってプチ贅沢?」と思うものを個別に分けて見ることにしたのです。
今までは食費として、まとめて合計金額だけアプリに入力していたのを、レシートを見て一つ一つピックアップ。
面倒といえば面倒なので、全然お勧めできる方法ではないのですが、他に思い浮かばないし、最近は家計簿をつけるのも慣れてきたので、ちょっと手間ですが、やってます。

そうすることで「これは贅沢だから、心して味わうことにしよう」とより贅沢感を実感できるかな、とも思います。
全然、贅沢しないで切り詰めてばかりの生活では、さすがに潤いってものがないし、つまらないし、何より続かない、と思ったので。
かといって全部「これくらいは良いよね〜」で済ませていたのでは、先行きが暗いのは、上の記事からも予想できます。
急に「ああ、もうお金がないから出来ない」となるのは惨めです。

贅沢は贅沢なりに”贅沢なんだぞっ”と言い聞かせながらしよう、と思いました。

例えば、おやつの飲み物にしても、コンビニの自社ブランドのカフェラテにすれば、143円ですが、ゴディバのミルクチョコにしたら231円。これは贅沢、と自分に言い聞かせる。
でも、今週はよく頑張った、だから許してあげるよ♡。
そんな感じ。

先月、先々月とやって見て良いようなので、これは続けようかな。
スーパーマーケットで買い物をするときも、これはプチ贅沢分類になるから、買わないでおこう、とか考えるようになりました。どうせなら、もっと満足感のある贅沢出費に回そう、という気持ちですね。

堅実な金銭感覚って、実はこうやって身につくのかな、などと思ったりして。
今頃になって、という気もしなくはないのですが、何事も遅きに逸するということはない、と信じて続けて見ます。

来月の勤務表が予想の斜め上だった件

昨日で9月の勤務が終わり、来月からの勤務表をもらいました。

今までは、毎週水、木、金の週3日勤務で、時々、金曜日が仕事がなくてお休み。
という状態だったのですが、新しく人が入ったため、来月からはこんな感じで変則的になるそうです。
「週に3日、最低でも2日働けると、家計的にすごく助かるのですが」
と言ったらこうなりました(・_・)。

「昼寝さんの希望の”週3日から2日”を叶えるために、いろいろ苦労しましたわ〜」
とちょいドヤ顔の上司。
彼がいつも人が足りない中、関係各所に交渉を重ねては、業務の量とバイト人員数との調整に日々苦労しているのを、知っているだけに、何も言えない。


確かに10月の労働日は9日間で、計算上は週2日以上になります。
人が増えたのだから、減るのは覚悟の上ではありました。
ちなみに、火曜日が空いているのは別のところでバイトしているから。
だから、実労働日は週4日。
月16日働く計算です。
それで、土、日、月の週3日の連続したお休みを確保して、それなりにいいペースでやっていたのです。

こんなお気楽な日雇いですから、正職員が増えれば、仕事の日が減るのは仕方ない。
そこは分かっておりました。
なのでちゃんと先月くらいから、別にもう一つバイトを増やせないか、就活も始めていたのです。
もちろん、今のバイト先にもそのことは伝えてありました。

でもね、ここまで変則的だとさすがに厳しい、と思いませんか?

案の定、もう一つのバイト先候補へこの勤務表を持って行って見せたら、
「来れる日ないやん」
と言われてしまいました。

ですよねー。

せっかく今回のことで、間に入ってくれた方にも、雇ってもいいよ、と言ってくれた方にも申し訳ない。
そうなるともうあとは、なんとか死守したかった土曜日を差し出すしかないか。

相方のおじさんの職場は、大変なブラック職場ではありますが、一応、名目上は土日が休み。
たまには、本当に土曜日休みだったりするので、映画を観に行ったり、先日は奈良にちょい旅行に行ったり、としていたのです。
しかしながらそれは、私も土曜休みという自由度があったからこそ。

土曜日もお仕事を入れるとなると、ちょっとなぁ。

でも、今後もこんな風に仕事に空きが出るのは、すごく痛い。
おすねかじり虫が二匹もいて、のうのうと親の細い脛をかじり吸っておるのですから。

幸い新しい職場は、
「うちは年中無休みたいなもんだから、土曜日くる?」
と言ってくれました。
考えてみれば、こんな50過ぎのなんの取り柄もないおばさんを雇ってくれよう、と言ってくれるだけでも、ありがたい話です。
それに実は、3月にリストラされかけた時、相談した相手でもあります。
3月の時は、就職予定の人がドタキャンして、立ち消えになったのでしたが、またお願いしたあげく「やっぱり行きません」とは言えないです。

ゆっくりしたくてバイト生活を選んだ(ま、今さら、正職にもなれないんですけど)のに、何故かどんどん忙しくなっている。

早く、ガツガツ稼がなくても良い身分になりたいものです。

なぜ、残業はなくならないのか〜を読んで

肩書きは”働き方評論家”だそうです。
実際にサラリーマンを経験されたのち、大学院に戻って研究活動に専念しているとのこと。
最近よく耳にする「働き方改革」についての厳しいご意見や、独自の提言などが伺えるか、と期待して読んでみました。

さて、なぜ残業はなくならないか?
答え:残業した方が、労使ともに合理的だから。
おしまい。

ある業務が増えた時に、人を増やすとその分人件費がかかるけど、残業代を払うことで済ませられれば、コストがかからずに済みます。
うっかり増やしてしまった職員は、すぐには首にできないので、あとで業績が悪化したら、困るというリスクも生じない。
一方で、労働者からすれば、仕事は増えるけど、収入も増えるので嬉しい。
なので、双方win-winの関係でもある。

さらにそこに日本独特の働き方とか、同調圧力とかも加わっての残業大国日本、という結論なのでした。

でも、それでは短期的には良いとしても、やがては残業して長時間労働ができる労働者しか働けないことになり、子育てや介護で一旦離職した労働者は戻ってこないし、過労で脱落した労働者も戻ってこないし、で労働者人口は減ってしまう。
子育てがリスクになるから、子供を持とうという若者も減って人口は減少するし、そうしてだんだん社会も活力を失ってしまう、という話でもあります。

それでは、国としてもよくないから、なんとかしよう。
ということでの、働き方改革。
だけれども、言葉だけが一人歩きして、方法が目的化して、何が何だかわからなくなっていませんか?
耳には聞こえの良い「改革」はしたけど、実際は、サービス残業が増えただけどか、労働時間の隠蔽とか、ちっとも労働環境はよくなってないんじゃないですか?

というのが、この本の言いたいことみたいです。

でも人のアイディアにケチつけるのって割と簡単だと思うのです。
「ここが問題だから、こういう風に変えたらいいと思う」という意見が知りたくて読んだんですけど、なんだか肩透かし感あり。
それに「ここが問題」というところも、ちょっとよくわかりませんでした。

全体的に、「データの解釈には注意が必要」とか、「という可能性がある」とか言った表現が多くて、曖昧な感じがすごくする。
トヨタ方式が良いらしいけど、たまたま著者が体験したからおすすめです、という食レポみたいな話。

電通の高橋まつりさんの過労自死問題も取り上げられていますが、「で、結局、どうしたらいいの?」で終わり。

そういうケチをつけている、お前自身の意見はないのか?
と言われれば、そうなんですけど。
でも、自分の意見を持ちたい、と思って読んだ本なのに、なんか得るものが、あまりなかったな。

私はすでに非正規雇用者の一人なので、この本で論じられている労働者ですらないから、いまいちピンと来なかったのかもしれません。

途中、著者が経験したサラリーマン生活のこととか、自分で工夫している時短テクニックとかが載ってましたが、そういうのって、普通にライフハック系のブログ読めばいっぱい書いてある。
ちょっと、気持ちが上滑りしちゃったのかな?
というのが感想です。

とりあえず、残業って、それがそれなりに利得の得られるものであるうちは、なくならない。
でも、残業し放題させ放題の社会は、結局、立ち行かなくなるから、なんとかしなくちゃね、ということはわかりました。

他の著作も読んでみようかな、とは思います。

定年後も稼げる人と稼げない人の決定的な差 「生涯現役」で働くなら50代の過ごし方が肝だ〜を読んで

週間東洋経済の今週号についての広告記事でした。

www.msn.com

もうすでに、定年すぎても働き続けることが当たり前になりつつある今日この頃、50代から準備をしておかないといけないよ、という話です。

国の音頭取りやら何やらのおかげで、定年後もそのまま企業が雇用してくれるようになったけれど、実際のところ収入は半分くらいで、業務も補助的な内容になることがほとんど、だそうです。
それでも、良い、と割り切れるか、やっぱりそれじゃあモチベーションが保てないから、違うところで、と思うかは人それぞれ。

でも他のところで「頑張ろう」と思うなら、当然ですが定年前にしっかりと、そういう環境を自分で整えておかなくてはいけません。
一方で、このまま同じ職場で雇用してもらいたいけど「収入や待遇はそれなりに欲しいな」と思うなら、それも当然ですが、50代のうちから、希望する処遇が受けられる人材になっておかないと。
どこぞの天下り官僚とは、住む世界が違います。
サラリーマンの人生に「ここから先は、何も考えなくても大丈夫さぁ〜(ノ´∀`*)エヘヘ」などというものは存在しないのです。

私はとっくの昔からバイト掛け持ちパートおばさん、なのでよくわからんのですが、相方のおじさんは一応、正職員だし、今後も年金やら退職金やらが期待できない以上、定年後もしっかり働いてもらわねばならないので、この辺りのことはちゃんと肝に命じて考えておいて欲しいと思う。

なので、早速特集号を買ってこようと思います。
別に、今から転職して60代に備えよ、と言いたいわけではないのですけど。

ル・コルビュジエの家

ヤフーの無料配信映画でやっていたので、観てしまいました。
写真の椅子は、昔、すごく欲しくて、レプリカが出た時に絶対に買おう、と思って貯金してたけど、結局、買わなかったな。

gyao.yahoo.co.jp


一応、ブラック・コメディーらしいのだけれど、ラテン文化のせいか、笑いのツボがいまいちわからない。
ただ、主人公とその妻がすごくスノッブで、格好ばかりの人物だってことはなんとなくわかる。

そして、最初は変な人に見えてた隣のおじさんが、実は素朴でいいやつだった、ってことも。

主人公はハンサムで、成功していてお金持ちで、友達もたくさんいて、センスも良くて有名なデザイナーです。
話が進むにつれて、ちょっと、どうなのよ、と言いたくなるような、ヤな奴でもあるのだけれど、まあ、この程度の人はいるよね、というくらいのヤな奴ぶり。

話は、そんな主人公が住む家の隣のおじさんが、自分の家の壁に主人公の家に向かって窓を作るところから始まります。

主人公の住む家はかのル・コルビュジエの建てた南アメリカ唯一の建物。
モダンで、おしゃれでアートです。
おしゃれだけど窓がいっぱいで、どこもかしこもすぐ見えてしまう。
特に隣のおじさんが開けた窓からは、一家の浴室が見えてしまうので、主人公たちは抵抗します。
さっさと、法律に訴えて解決すれば良いのに、なぜか煮え切らない主人公。
下手に穏便に済ませよう、そのくせ、家族には格好つけよう、としてかえって隣のおじさんに、交渉の余地あり、と思われてしまう主人公。
この辺が笑いのツボ、なのかな?

それでも、あれこれあって、隣のおじさんは窓を小さくすることに。
このおじさん、肝心な場面で表情があまり変わらないから、何考えてるかわからない。
けっこういい奴なのか?それとも、どんでん返しがあるのか?と思わせます。

自家製のイノシシの漬物(あっちじゃどのくらいの珍味なんだろう?)をくれたり、自作のオブジェをプレゼントしてくれたり、親とうまく行ってなさそうなその家の娘といつのまにか、窓越しに仲良くなっていたり。
ちょっと、空気読まないけど、やっぱりいい人?

とかなんとか言っているうちに、主人公の家が不良少年に侵入されてしまいます。
コロンビアって物騒ですものね。
しかも、この建築物、窓が多いだけじゃなくてめちゃくちゃオープンで誰でも簡単に入れちゃう。
見た目はおしゃれだけど、ものすごく無防備です。
多分、日本にあっても、空き巣くらい簡単に入られてしまいそうです。

それに気がついたおじさんが、助けに来てくれ、少年たちに返り討ちにあってしまい、結局、このいい人だったのね、とわかるまで、いい人?それともサイコパス?と引っ張るのは俳優さんの演技力のおかげでしょう。

最後に主人公のとった行動の下衆っぷりは最低で、本当に嫌な奴なのはこっちだったのね、とわかるけど、後味はあまり良くありません。

とはいえ、子虫の言っていた通り、優れた建築家の作品はどの角度から写しても絵になる、のは確かだなぁと思った作品でした。
おしゃれなインテリアや建物が好きなら、楽しめると思う。
オープニングとエンディングの対比もおしゃれ。

でも、おしゃれであることと、安全で住み心地が良いこととは、なかなか一致しない、ということもわかりました。
ありきたりなお家が一番住みやすい、ってことかな。

ウクレレ教室 4回目

さて、前回はウクレレの持ち方と、弦の弾き方を習いました。
今回は、いよいよコードというものを弾くことになります。
このコード、聞いてて心地よく感じる音の集合、というものらしい。
で、ちゃんと経験的なだけじゃなく、理論的にもこの音とこの音とで組み合わせると良いのよ、というのが決まっているのだそうな。
ふむふむ。

ただね、そこまでは良いのですが、なんかすごく覚えにくいんですけど。
ディーセヴンストか、ジィマイナーとか。

何か法則みたいなものはないのでしょうか。
覚えやすい法則が欲しい。


それから、まだ慣れていないせいか、フレットを抑えていると、だんだん指がつってくる。
変なところ抑えると、神経を刺激するのか指にピキッ〜て痛みが走るし。
気がつくと、小指がぴこ〜んって伸びちゃうし。
指を曲げて、これとこれとを抑えて、、とやっていると、自分がものすごく不器用に思えてくる(泣)。
これぞ、修行、ですな。

昔、フレンズというアメリカで流行ったテレビドラマに出てきたキャラでフィービーって子がいて、彼女はエステティシャンをしながら、ギターを弾き語りするミュージシャンでもあるのだけれど、ドラマの中で、友達にギターを教えるときに、コードをFとかGmとかではなくて、鷲の手とか、猿の手って教えてて、でもあんがい、その方がわかりやすいのでは?
などと、ふと思い出したりして。
そんなこんなで、早くも時間切れとなり、これで終わり。

ウクレレの道は果てしなく遠いのでした。