とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

ボンボヤージュを観て来ました

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今日見た映画はフランス映画。


特に、フランス映画が好きというわけでもないのです。フランス語は一言だってわかりません。
が、鹿児島に来ている映画でこれといって観たいものが見つからず、でもせっかく相方のおじさんがお休みで、家にいるけど間が持てないし、映画でも観ますか、ということで。

期待値が低い分、面白かった。
お約束のコメディなので、この辺が笑いのポイントよね、というのがわかりやすい。
こういう展開になるだろうな、という場面で思ったような展開になる。

さて、ここからはネタバレ全開です。

ところで鹿児島の映画館では、ほとんど貸切状態で、私たち以外には三人ほど。
ネットでもそれほど話題になっていないし、わざわざ観に行くほどの映画ではない、気もしますが、念のため。

優柔不断で、ちょっと倫理的に怪しいところもあるけど、お金はしっかり稼いでいる美容整形外科医の主人公と、精神科医の妻。
子供は二人、グレもせず、普通にお利口さん達ですが、ちょっと反抗期?
三人目が妻のお腹にいる。
夏休みになり、新車を買ったばかりの主人公、早速避暑地へ家族で車で出かけます。
そこに、鼻つまみ者の放蕩者の主人公の父親が混じって、さらにその父親が途中のガソリンスタンドで拾った、ちょっと頭の足りなそうな小娘一人。

高速道路で、なんと新車がまさかのシステムエラーを起こして、ブレーキも効かず、時速160キロで暴走する羽目に。
さて、どうなるのでしょう。
というシチュエーションコメディ。

絶体絶命の状態で、言いたい放題いあう家族達。
真面目でエリートの息子に、放蕩者の父親、というパターンはヨーロッパではお約束なんでしょうか。
父親が色々とやらかしてくれます。
息子は息子で優柔不断で、誰にでもいい顔するせいで、二進も三進もいかなくなってしまう。
そして妻は妻で、どうやらお腹の子供は不倫の子らしい。
でも、妻の不倫の原因は主人公の浮気や、本来の仕事への情熱を失ってお金にばかり走っていることにあるらしい。
というありがちな展開です。

子供に聞かせたくない話になると、英語で話し始めるとか、なんかヨーロッパのエリートの家庭ってそうなんだ、と思ったり。
そのくせ、会話に子供がちゃっかり入り込んでて(親より英語が達者)親がうまく言い表せないときに助け舟だしてたり(全然、外国語で会話する意味なし!)というあたりが笑いのツボ?

暴走する車をなんとかしようと、現場のパトロール警官が指示を仰ぐ高速警察署の隊長が、卓球に夢中で、全然仕事のできないボンクラ。というのもお約束なのですが、その隊長役を女性がやっている、というところがフランス映画、かな。
威張り散らすだけで、仕事のできない無能な役柄を女性にやらせて、問題とならないのはさすがフランス、という気がします。
日本やハリウッドではまだ無理、でしょうね。

そして、絶体絶命の主人公達をなんとか助け出すために考えられた作戦というのも、なんというか、もう、馬鹿なの?フランス人って、みんな馬鹿なの?
と言いたくなるようなことを、真面目くさってやっている。
そこがコメディ、なのかな?
話の始まりあたりで、暴走する主人公達の車にドアを壊されて、切れて追いかけてくる変なおじさんが乗っているのがBMWだというのも、お約束なんでしょうかね。
どんだけひどい目にあっても、ちゃんと追いかけて来る、まるでターミネーターみたいなBMWですが、最後は、やっぱりコテンパンにされてしまいます。
ドイツ車をリスペクトしつつも、乗っている奴の未来は所詮こうだぞ、という暗黙のメッセージでしょうか。

確か、”タクシー”シリーズでも最後間抜けにも捕まる盗賊一味の乗っているのは、ドイツ車でしたっけ。

クライマックスで、主人公達が助かるシーンは、マジでマンガチック。
フランス人って、宮崎駿ルパン三世とか大好きなんだろうな、きっと。
という感じ。

最後は、ドイツ車に乗っていたサイコ野郎以外は幸せになって、めでたしめでたし。
わざわざ映画館で見るほどでもないけど、アマゾンプライムでやっていたら、もう一度見たいかも、という映画でした。

相方のおじさん家に寿案件

今朝はひどい二日酔いで目が覚めました。
久しぶりです。

昨夜は、甥っ子二人が鹿児島に戻って来て、相方のおじさんとみんなで日付が変わるまで飲んでいたのです。
なぜかというと、甥っ子のお兄ちゃんが、この度、婚約者を連れて挨拶に帰って来たから。

相方のおじさんには、八つ離れたお姉さんがいる。
そのお義姉さんとこには、二人の男の子がいて、どっちもなかなかに優秀で、今や一流企業のエリートサラリーマン。
ただし、二人とも三十路をすぎてまだ独身。
弟君の方は、中学の頃から「バレンタインデーにはチョコレートの処分に困るんだ」というモテ男くんなのだけれど、えてして世の中そうであるように、お兄ちゃんの方は奥手で、ずっと女っ気なしの人生でありました。
そしてお兄ちゃんに遠慮して、結婚を伸ばしているうちに、待ちくたびれた彼女に逃げられてしまう、ということを繰り返している弟君。

五月の連休に一族で集まって先祖のお墓詣りに行った時、お義姉さんからは
「もう、鹿児島出身とかこだわらないから、早く嫁をもらってくれ」と、
弟君からは
「もうさすがに俺も、兄ちゃんが決めるのを待つのはやめたから」と、
と言われてしまった、お兄ちゃん。

今まで何回もお見合いもしたけど、一向にうまくいかなかったったお兄ちゃん。
一度などは、写真と履歴書段階でドタキャンされてしまったお兄ちゃん。
彼女いない歴=実年齢だったお兄ちゃん。
そのお兄ちゃんに、ついに春が来たのです。

これを祝わずにはいられましょうか。
というわけで、義姉夫婦と家族一同の挨拶を兼ねた会食の後、今度は私たちと合流して祝い酒、ということになったのでした。

彼女さんは6歳年下の28歳。
なんと平成生まれでした。
もうすぐ終わってしまう平成。
そうなると昭和なんて今の明治と同じ扱い、なんだろうな。
昭和は64年も続いた、稀に見る長期元号ですから、昭和一桁のじいちゃんなんて、もう感覚的には江戸時代、かも?

小学校の先生をしているという彼女さんとは、紹介所を通して知り合ったそう。
昨今は、仕事をしているとなかなか出会いがないのはどこの職場でも同じ事情みたいです。

いきなり知らない土地にやって来て、めちゃくちゃアウエイな状態で、将来の義理の両親と食事をしたりと、疲れているだろうに、頑張って”かごんまのぼっけもん”達に付き合ってくれました。

そして、結構お酒も強かった。
合流してあっという間に、ワインが三本空きました。
私たちはその前からすでに、かなり飲んでいたので、ほとんど彼らが開けたようなものです。
これなら、鹿児島でもしっかりやっていけることでしょう。
と、言いつつ、実は三人姉妹の長女さんとのこと。
ご両親は将来は同居希望で、家の隣に土地ももう用意してあるとか。
マスオさん確定のお兄ちゃん。
鹿児島にはもう帰ってこないんだろうな。
でも古来から、夫が妻の家にお世話になる形式の方が、日本では幸せになれるらしいよ。
実は逆玉婚かもよ。

九州新幹線も通ったから、鹿児島だってそんなに遠くないしね。

とりあえず、おめでとう。
末長く、お幸せに。

定年後の仕事選び

読んでみようと思って、発売日の9月25日に鹿児島市内ではかなり大きい部類の書店に行ったのですが、売ってなかった。

その書店は、マックスバリューや食べ物屋さんなんかも入っていて、アップルストアもある大型商業施設にあって、時々は朗読会なども開催しているような書店で、広い売り場に蔵書検索用の末端が6台も置いてある。
でも、先週号しかない。
ま、鹿児島だから仕方ないのかなぁ、きっと今頃まだトラックに積まれて集配所から向かっているのね。
と思って帰った。

翌日、ウクレレ教室のついでに鹿児島中央駅の駅ビルに入っている紀伊国屋書店に行ってみた。
ここは、鹿児島最大規模と自ら謳っている。
なのに、無い。

大丈夫か?鹿児島?

最近はあまり雑誌類を買ってなかったから意識していなかったけれど、もともと週刊誌や月刊誌の発売が著しく遅い鹿児島。
10年くらい前までは、発売日の二日遅れ三日遅れは当たり前でしたっけ。
それにしても、相変わらずとは。
もう少し販売努力をしてもらいたいものです。
ほんとしっかりしてよ、とブツブツ言いながら、結局、その週は書店に足を運べる日はもうなかったので、仕方なくネットで注文したのでした。

本はほとんどネットで購入している今日この頃、雑誌くらいは発売日に地元で買おうかと思ったのに、やっぱりネットなのでした。
これだから、地元の書店はどんどん廃れていくのだな。
普段も買ってないくせに、勝手な言い草ですけど。

さて、そんなこんなでやっと手に入れた当雑誌。
最初の方は、広告記事とあまり変わらず。
でもデータなどで、もう少し詳しく書かれています。
グラフを見ると、記事に書かれていないことも読み取れるので、面白い。

記事には、定年を過ぎても働きがいのような金銭以外の価値を求めて働く人が5割近い、ということを強調していましたが、グラフを見ると、年金だけでは生活水準が保てないからとか、まだ年金がもらえないからと言った金銭面からの理由で働いている人が圧倒的。
複数回答可のアンケートなので、ついでに働きがいも選んでおかないとプライドもあるしと、○した人も結構いるのでは?と思いました。
家に居場所がないから、という答えの人も5%だけどいる。

そして働いている人たちは6割弱がフルタイム勤務で、定年前の会社で、収入は下がった状態で働いている。

子供の頃、親が買ってくれた童謡集のレコードにあった”船頭さん”で歌われていた船頭さんは、今年60歳のおじいさんで、なのに元気で働いている、という設定でした。
あの頃は60歳過ぎて現役なのは珍しいことだったのかな、と思うと、今の60歳は元気なんですよね。

私は普通の”会社”に勤めたことがないので、知らなかったのですが、世の会社には『役職定年』というものがあるそうですね。
私は、役職定年って「定年になる頃には役職についてた方が退職金がたくさんもらえるから、定年直前に形だけでも役職につけてあげるよ」ということだと、勝手に思っていたのですが、そうではなくて、ある年齢になったら、また平社員に戻って、給料も役職手当がなくなって、部下だった人の下で働く、という大貧民ゲームみたいな話だった。

定年延長、ということはその役職定年後の会社員生活が長く続くってことで、仕事のない窓際社員よりある意味過酷?
仕事をやる気が、著しくなくなりそうです。
世の会社員のお父さんは大変なんだな。

相方のおじさんは、ずっと現場の仕事ばっかりで、出世とは縁のない職業人生だから、逆にそういう役職定年みたいな目には合わないで済んで良かったね。

後半の人事部長覆面座談会が面白かった。
タイトルにもありましたけど、定年は処遇見直しのチャンスなので、企業としては、そこで一旦、リセットしたいみたい。
そりゃ、景気の良い時代の成功体験だけを引きずってるような、能力もない上に仕事も出来ない人に、無駄に高い給料を払っていつまでも居続けてもらったら困るもんね、というのが本音なんでしょう。
わからんでもないけど、今までの自分のどこが悪いのか、自己評価も反省もできないままに、切られてしまうのも、どうかと思うし、どうせそうやって切り捨てられちゃうなら、提供する労働力を減らして(なるべく働かないで)給料だけもらおう、という気持ちになるのも仕方がない気もします。
そういう会社ってどうなんでしょう。
働いていても楽しくなさそうだし、先行きも明るくなさそう。

定年延長で、今まで培った経験を生かして後任を育てながら生き生きと働く証券マンや、全体の賃金制度を見直して年収を維持したまま働き続けられる会社など、色々、うまくいっている例もあげられていますが、これは読者の不安を過剰に煽らないためにバランスを取るために、取材してきたような気がする。
現実はかなり厳しいのではないかという気がします。

シルバー人材センターの理想と現実。最低賃金割れの現実、という話もなかなかに厳しい。

60歳で定年になっても、年金をもらうまであと10年くらいは働かなくては、暮らしていけない世界になるのは避けられそうもない、となると今のうちに、定年で仕事を一旦辞めた後、それなりのお金を稼げるような技術なり知識を身につけておかないと、先行き不安だよ。
そのためには、今以上に社畜になっているだけでは、切り捨てられるだけだよ。
というかなり厳しい内容の話でした。

定年後も充実して働くためには50歳から準備をしておくべきなんだそう。
わ、もうその歳じゃないですか。
ま、私はねバイト掛け持ち業ですから、ある意味、関係ないのです。

でも相方のおじさんには、心して読んでほしい特集なのでした。
目につくように、トイレにでも置いておこう。

イマドキの男子服事情

2011年以来、死守してきた土曜日休日を返上しないといけなくなりそうで、「働きたくないよ〜」とごねる自分を懐柔するために、お仕事着を買いました。

今のメインのバイト先は、仕事中は制服というか作業服があるので、通勤は好きな服で良かった。
なので、SOUSOUみたいなかなり個性的な服でも大丈夫だったのです。
でも、今度のバイト先は着替えなし。
スーツを着ないといけないほどではないけど、さすがにSOU服は浮いてしまいそう。

それで久しぶりに、普通の服を買うことにしたのです。
とりあえずの希望はポケットがあること、動きやすいこと。
そこそこきちんとして見えること。

まずは先週、ユニクロに行ってみました。
早速良さそうなパンツを発見。
その名もハイライズシガレットジーンズ。
色は黒。
試着した時は、程よいフィット感でまあまあ良いかな、と思ったのです。
ストレッチが入っていて動きやすいし、その割にはお尻や太ももにかけての気になるあたりの余分なお肉も拾わず、スッキリ見えます。
お値段も3,990円とお手頃価格。

なかなか良い買い物だったわい、と思ったのですが、その後で家で履いていたら、どうも腰のあたりが変。
太ももはちょうどなのですが、ウエストからお尻にかけてがゆるいのです。
この先、寒くなったら下に駱駝下着も履いちゃうし、と思ったので少し緩めのを選んだのですが、それがいけなかったようです。
生地のストレッチが、履いているうちに伸びてゆるゆるになってきたみたい。
鏡で見るぶんには、着ていておかしい、というほどではないのですが、なんとなく気持ち悪い。
気がつくと、ずるずると持ち上げている。
仕事中や通勤中に、立ち止まってはズボンをずり上げてるようでは困ります。
久しぶりにやっちまったな
。。m(_ _"m)。

で、もう仕方がないので手持ちの服で頑張るか、と思っていたのです。

そして今日、たまたま文具を買おうと近くのショッピングモールへ。
そこには、大型スポーツ店も入っています。
ふと、そういえば最近のスポーツウエアは割とおしゃれになってて、日常着としても着られる、ってどこかで読んだよな、と思い出しました。

幸い平日なので、お客もまばらで空いています。
ちょっとのぞいてみることにしました。
スポーツ店に来るのは、子虫達が家を出て以来で久しぶりです。
最初は”通勤着にもなります”という謳い文句のパンツを見つけて試着。
スポーツウエアが元だけに、伸びもよくてはき心地はなかなか。
シルエットも一応美脚。
でも、私にはちょっと。
若い人向きすぎるような気が。
生地のテカテカ感も気になるし。
いっそ、Theジャージ、みたいなのでも良いかもしれない、だってどうせウォーキングも兼ねて歩いて行くんだし。
という気にもなって来て、今度はアディダスとかPUMAとかも試着。
今の流行りはスリムでぴったりシルエットなんですかね、もう少しお尻と太もものあたりに余裕が欲しい。

そうこうするうちに、le coq sportifのコーナーに。
あ、これ知ってる!
SOUSOUともコラボしてるメーカーだ。
鶏のマークに見覚えがあります。
確かフランスのメーカーだったよね。
フランスならおしゃれ、なはず。

良さそうなジャージの下をピックアップして試着室へ。
あら?良いんじゃない?
これにしようかしら?
せっかくだから、他のサイズも見てみようかな、スポーツウエアだから大丈夫だとは思うけど、ユニクロの二の舞は避けたいし。
と、うろうろしていたら、なんども試着室を往復していたせいか、それまで検品作業をしていたお店の人が一人やって来ました。

「違うサイズをお持ちしましょうか?」
と言いつつ、私の履いているジャージを見て
「これ、男性用ですけど、いいですか?」
と一言。
ええっ?そうだったの!?

「このブランドは男性物も細身で作られているんですよ〜」
とさりげなくフォローしてくれるお店の人。
「女性用もお持ちしましょうか?」
せっかくなので、お願いしました。

しかし、男性用って。
今時の男子はどれだけ華奢なんだい。
ま、私の下半身がそれだけガッチリしているのかもしれませんけどね。
でも、身長156センチの私が履いても丈も普通だよ。
ひょっとして、くるぶし丈で履くデザイン?

やがて持って来てくれた女性用。
11号サイズでしたが、ウエストは良いけどお尻と太ももにやっぱりゆとりが、欲しい、、、。

一方で男性用は、Mサイズでちょうど良い。
色もデザインも、いかにもスポーツ用です、という感じではなく普通にカットソーを合わせれば街着として通用しそうです。
ちょっと迷いましたが、自分が気に入ったサイズとデザインが自分用なのだと割り切って、男性用Mサイズを購入。

それにしても、最近はユニセックスの服も増えていて、カップルで共有したりするとは聞いていたけどねぇ。
うちの虫太郎は、クラスでもそれほど大きい方ではなくて同級生の子達と一緒だと、ちっさ、と思うくらい細っこかったけど、さすがに高校生くらいからは、おかんとジャージの共有は出来んかったよな。

あ、でも子虫たち同士で服の交換は、時々しているみたいです。特に最近はボーイフレンドシャツとかビッグシルエットが流行っているとかで、いとこのお兄さんからの服を、姉が弟から取り上げて着てたりするし。

それに時々、どっち?と言いたくなるくらい女の子っぽい男子や、背が高くて体格もいい女の子もよく見かけるから、男女の外見上の差が小さくなっているのは、確かな気がします。
栄養状態が良いと、そうなるのかしら?

何れにしても、気に入ったパンツが手に入ったので、私としては満足なのでした。
さて、予定外の出費もしてしまったし、頑張って働かなくちゃ。

忘れられた巨人

テレビを見ていたら、イギリス人作家カズオ・イシグロノーベル文学賞を取った、というニュースが流れていました。

えええっ!?
びっくりです。
実はカズオ・イシグロは前から好きな作者なのです。

日の名残り』は、20代の頃に母が「面白いよー」と言って勧めてくれたのですが、当時の私には、ちょっとトーンが合わなくて、読みこなせず。
40代に入ってふと読んで以来、すっかりファンになり、以来新しい本が出たら必ず買ってます。
どの作品も大好きです。
と言っても、翻訳本ですけど。
一度、原語に挑戦したけど、この人の英語って難しいの。なんでここに名詞?動詞?置いていいの?というようなところに名詞とか動詞があったりして、自由自在な感じ。
ネイティブでもない私には、かなり荷が重かった。

それにしても贔屓の作家さんが評価されると(って、もともと有名な作家さんだし、あの村上春樹もファンらしいので、私ごときが贔屓にしていても、たいしたことはないのですが)なんだか嬉しい。

「あたしねぇ、この人、知ってるんだよ〜」というようなちょっと自慢したい気分、ですかね。

『忘れられた巨人は』彼の最近の作品。
アマゾンでのレビューでは、翻訳が酷評されていたけど、普通に面白く読めます。
今までのカズオ・イシグロ作品に比べたら、逆に話が前後したり、あちこち飛ばないし、ストーリーもシンプルで読みやすいかもしれないです。

ストーリーは、騎士や魔法使いが住んでいた頃(という設定の)イギリスの世界。隣村に住む(はずの)息子に会うために旅に出た主人公夫婦は、旅の途中で出会った戦士や曰く付きの少年と道連れとなり、龍を探して倒すための冒険の旅をすることになっていく。
というクエストものです。

でも、その主人公が年中、物忘れに悩んでいる認知症(?)の老夫婦だったり、勇者も関節痛もちの老人だったり。
主人公たちが住んでいるところも、なんだかホビットの家みたい。
そのせいか、あまり殺伐とした手に汗握るような戦闘シーンはなく、どことなくほのぼのと話は進みます、、、というように見せかけて、実は全然違う。
あまりに日常的に繰り返される暴力と悲劇が、ベースギターのような低音で流れる中、主旋律であるストーリーが語られる、そんな感じ。
もともと、ミュージシャンだったという作者には、ギター奏者が主人公の短編小説もありますが、この作品も読んでいる間中、静かな音楽が流れているような印象があります。

冒険の末に、ついに見つけた龍の思いがけない姿、実は人々に害を及ぼしていると思われていた龍の隠された役目、主人公たちの真実の姿。
明らかになる残酷な真実。
そして不思議なラスト。

私は、繰り返されるテロと、異民族に対する差別や偏見を、未だに解決できない現代に対する一つの提言、と受け取りました。

発表された時には、賛否両論を巻き起こしたそうです。
前の『私を離さないで』も色々、言われていましたっけ。
穏やかなトーンで、穏やかならざることを語る作者。
というのが感想です。

ちょっと独特な文章の流れが特徴の作者なので、初めて読むなら『忘れられた巨人』が、舞台設定がよくあるクエストものファンタジーみたいなので、話の展開にもついて行きやすくていいかもしれません。

秋の夜長の読書に、いかがでしょう?
私もまた読み返してみよう、と思います。

専業主婦になりたい!?を読んで

書評で、この方の著書『御社の働き方改革、ここが間違ってます!』が載っていて興味を持ったのですが、図書館には蔵書がなくて、こっちをとりあえず読んでみました。

著者はジャーナリストで、ご自身も子供を産み育てながら働き続けて、そうした暮らしの中で気になったことをテーマに仕事をしている人です。

最近の専業主婦のタイプをいくつかに分けて紹介しています。
私は専業主婦に憧れつつも、一度も経験したことがないので、ちょっと新鮮。
ある意味、もしかしたらこんな人生もあったのかもしれない、と思いながら楽しく読みました。

まずは三世代同居の渡鬼主婦。
これはないな、私は無理。
それから、親の援助で夫の夢を支える期間限定”ゲゲゲの女房”主婦。
これも無理だな。
うちの親も相方のおじさんのところも子供の面倒を見てくれるほどの資産はございませんでしたもの。
年収800万円台のプチセレブ主婦。
林真理子の小説によく出てきそうな主婦生活です。
うーん、やってみたかったかも。
飾らない年収400万円台主婦。
地に足系主婦。

それぞれの生活の楽しさを取材しつつも、リスクについてもチクリと言及しているあたり、ちょっと意地悪おばさん的で、私は楽しい。

加えて、女子が考える専業主婦になれる年収ライン600万円台の年収がある20代男性に『イマドキ男子の「理想の妻」』についても取材していますが、これがかなり辛口。

結局、専業主婦になるには色々と見えないリスクや、覚悟すべき苦労があって、それを受け入れる、あるいは見て見ぬ振りをして、無事に一生を全うできる運を期待するか、どちらかみたいです。
そうなんだ、専業主婦って気楽で良いな、ってずっと思ってきたけど、やっぱり楽な人生なんてない、わけですね。

この本を読んで、一番考えさせられたのは、
「今の20代から30代前半女子たちの母親世代は結婚せずに働くか、働かずに結婚して家庭に入るかその選択肢が多少は出てきていた。その上で後者を選んできた世代。だから、彼女たちの母親は皆「専業主婦で幸せだったわ」と言うし、娘たちの目にもそう映った」
と言う一節。
なるほどね、その母親世代に入るであろう自分を省みると確かに、周りの女性でも仕事が忙しくて、結婚しなかったのは結構いる。
結婚か仕事か、二者択一でしかなかった時代があったのですね。両方を選べなかった人もいたのです。

そういえば以前、オウム真理教に入ってしまったある芸能人女性のお父さんが、インタビューで娘さんのことを「仕事も、結婚も、子供も欲しいなんてそんな欲張りなことを考えるから、バチがあったったんだ」と評していたのをテレビで見て、それってバチが当たるほどに欲張りなことなんだろうか?と疑問に思ったことがあるけど、ちょっと前までは仕事をするなら結婚はしないもの、だったのですね。

そして、仕事が面白かったりして仕事の方を選んでしまった女子には当然、娘も息子もいないわけなので、結局、今いる若い人たちはほとんどが、「幸せな」専業主婦を選択した母親の子供達。
そりゃあ、専業主婦の方が幸せ、と思ってしまって当然ですね。

もちろん、仕事をしつつ主婦もしてた母親もいるけど、そう言う母親を幸せな人生、と評価できる子供がどの位いるのか。
何割かは「お母さんは仕事をしていていつも疲れていて、ストレス溜めて大変そうだった」なんて思っているかもしれない。

そうして、社会には専業主婦になりたい人の子供しか生まれてこなくて、だけど、専業主婦になるのは大変だし、かと言って共働きで子供を育てたら大変すぎて子供を持つのは無理。
そうやって、子供が減ってきているのだな、と思ったのでした。

なるほど残業大国日本

今日も残業してしまった。
昨日に続き二日目です。

8時間労働って何?
9時5時勤務って何?
それってどこの国の話?
パラレルワールド
と、日々思っておられるに違いない、働く日本人の皆さんからは、何を寝言を言っておるか、とお叱りを受けそうですが、そもそも、長時間働くのが嫌で夕方5時半までのバイト生活を始めた私。

なのに、先月も先々月も、気がつくと帰りが大幅に遅くなっている。

今日は、たまたまお昼近くに入った案件が、昔私がやっていた仕事関係のことだったのですが、今の職場に慣れている人がいなくて「お願いできませんか?」と頼まれてしまい、受けたものの、久しぶりなので思ったより時間がかかってしまったのでした。
でも週一のバイト故、途中でやめて「続きは明日〜」と言って帰るわけにもいかず、一通り済ませて残りを引き継いだりなんだりで、帰る頃にはすっかり世の中は夜の世界。

鹿児島は南の端っこですからね、日暮れになるのは本州よりは遅い。
おまけに気温はまだ夏、なのですごく夜更け感があります。

昨日は昨日で、別のバイト先でしたが、急に大きな仕事が入ってしまい、上司達はそっちに掛り切りとなって、もう”許容量いっぱいいっぱい”という顔で頑張っているものだから、
私一人「いや〜あたし5時半までの契約なんでお先に帰らせてくださ〜い」とは言いにくく、
「昼寝さん、まだ大丈夫ですか?」とすがるように聞かれてしまうと、
つい「あ、大丈夫です」と言ってしまって、その直後に
「あ”〜、もうなに良い子ぶってんだ?あたし。馬鹿馬鹿、、、」と己を責めてたりして。

ま、そこには、ここでちょっと恩を売っておけば「使える人だから」という評価がもらえるかな?などというさもしい計算もあったりもするのです。

とは言いつつも、やっぱり周りの人が大変な思いをしている時に、自分だけ知らんぷりはちょっとしにくい。
それって、日本人だからかな?
マイペースなアメリカ人やオーストラリア人あたりだと平気で「他人は他人、自分は自分」と割り切れるのかしら。

先日読んだ、『なぜ、残業はなくらないのか』という本にも、とにかく働かせる方も働く方も、「なるべく働かない」とはっきり意識しない限り、長時間労働は無くならない、と書いてあったわけが、しみじみわかったりして。

ついつい、大した時間じゃないし、自分がやれば評価が上がりそうだし、と仕事をしてしまい、それでかえって全構成員の働く時間が、長くなってしまうのかもしれません。
私一人が断ったことで、社会全体の残業が減るわけでも長時間労働がなくなるわけでもないけど、そうやってみんなが頑張ってしまえば「なんだ、この人数でできるんじゃない」ということになって、いつまでたっても長時間労働はなくならない。
それはわかってはいるのです。

こういう時に、「いや〜、自分の仕事は終わったんでもう帰ります」と割り切って帰れるからこそのバイトだったのに、いつの間にか、頼まれもしないのに勝手に組織の一員ぶっている自分。
そのくせ疲れて帰ってきて、「あーあ、もう働くの嫌だー」と愚痴たれているけれど、そもそも自分の働き方のせいで、そういう目にあっているのだよ、とちょっと言い聞かせてみたりして。
言い聞かせたところでこの”良い子ぶりっ子の自分”は、ちょっと気を緩めると、つい周りの良い評価が欲しくて無駄な働きをしてしまうのでした。