とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

五徳の汚れに化学の深淵を見た

五徳を洗いました。
油汚れでベトベトの五徳を洗うのは、温度の高い夏がお勧めだという番組を見たので、やってみました。
涼しくなってしまわないうちに。

残念ながら、ビフォアアフターを撮影しそびれました。
洗う方につい夢中になってしまって、忘れてました。

大きなステンレスのたらいにお湯を張り、五徳を入れる。
さらにお湯で溶かした重曹を入れ、冷めないように保温しつつ、しばらく放置。
お湯が真っ黒になり、漬けておいた五徳の油汚れが、まっくろくろすけの塊みたいになってポロポロ落ちるのが楽しい。
ヘラでゴイゴイこそげおとします。

ところでどうして落ちるのでしょう。

ネットで調べると、酸性の油汚れをアルカリ性重曹が溶かすのだとか。
ええとええとと、昔の化学の授業で習った記憶を一生懸命掘り起こす。
酸性とアルカリ性が反応すると塩になるんだよね。
例えば、
HCL+NaOH→NaCL+H2O
みたいに。
ところで塩って水に溶けるんでしたっけ?
そうするとこのベトベトした黒い塊はなんだろう。
水には溶けないし。
(*水に溶けない塩もあるのでした)

そもそも、この反応は温度が高い方が良いのだろうか?
それとも常温でも良いのだろうか?

ふと気になって、さらに検索してみました。
すると、こんなサイトを発見。


「重曹でお掃除」の化学(その2) | Chem-Station (ケムステ)

こんな親切なサイトがあるのですね。
本当に便利な世の中になりました。

これによると、油汚れを落とすのは重曹が、油汚れの一部と反応して石鹸になり(その反応をけん化といいます。そう言えば、そういうの習ったなぁ)、その石鹸が残りの油汚れを包み込んで、落とすのだそうです。

だから、普通の石鹸でも落ちるんじゃないだろうか。
むしろ石鹸の方がよく落ちると思われる。
とブログの著者は書いています。

なんだー
そうだったんだ。

なんだか、重曹を使うとより良いような気がしていました。
それって、ただの気のせい?

ところで、重曹を乾煎りしたり、溶かした溶液をさらに煮詰めて強アルカリにすると、より汚れが落ちるそうです。

なんで?

アルカリ性にすると油汚れを分解するのでしょうか?
それともよりけん化が起こりやすくなり、石鹸に変化しやすいのでしょうか?

知れば知るほど謎が深まります。
化学って奥が深い。

無い物ねだりの


小さい頃から癖っ毛で、細い上に髪の量が少なく、アジアンビューティーの代表名詞的な「緑の黒髪」とは縁遠い髪質。

若い頃は大枚をはたいて、癖毛を矯正するためのアイロン工程に4時間くらいかかるストレートパーマを、定期的にかけに行ったりもしていましたが、最近はもう己を受け入れて、ショートカット一筋です。

そしてアラフィフとなった今、欲しいのは白髪。
ちらほら混じるのはあるのですが、もう少ししっかり欲しいのです。
出来たら半分くらいは白髪で、白いところがメッシュになるくらいが良いな。
本当は全部真っ白が理想なのです。
そしたら、西洋人が着るような鮮やかな色合いも映えそうじゃないですか。
パステルカラーも楽しめそう。

と言うような事を、飲み仲間のAちゃんに言ったら、
「あんた、そのうち暗闇で刺されるよ」
と言われてしまいました。

Aちゃんは若い頃、色白でさらさらロングの黒髪の持ち主で、森見登美彦の小説に出てくるような美人でした。
その後もその美貌は劣化することなく、立派な美魔女となっております。

今は栗色から茶色系の髪を、相変わらず肩より下に伸ばしています。

そういえば、最近知ったのですが、白髪染めって時間が経つと、色が褪せて茶色くなるのだそうですね。
時々、街で見かける黒から茶色そして付け根が白のグラデーションになっている人、あれはどういうおしゃれ染めなのだろうと不思議に思っていのですが、実は白髪染めが褪せてきた状態だったとのこと。
なんてことを、Aちゃんに話したら、本気で殴られそうだったので、黙ってました。

でもね、中にはグラデーションにならない人もいるじゃないですか。
例えば、いつも通勤途中ですれ違うおばさん。
真っ黒な髪なのですが、頂点の分け目の生え際だけ真っ白で、スカンクの背中みたいになっている。
ときどき、全部黒くなるから、
「ああ、染めているのだなぁ」
とわかるのですが、そのおばさんはグラデーションにはなってません。何か、染め剤の違いとかあるのでしょうか?
などということをAちゃんに尋ねたら、蹴りを入れられそうだったので、黙ってました。

それにしても、知らなかったのですが、Aちゃんはずいぶん前から白髪染めを続けているそう。
でも、他人の髪の生え際なんてじっくり見たりしないから、ちっとも気がつきませんでしたよ。
染めないとどのくらいの割合が白いのか、聞いたら絶交されそうだったので、黙ってました。

でもな、良いな羨ましいな。
たっぷり白い髪あるんやな。
染めちゃうなんてもったいないな。

もし私がAちゃんみたいにさらさら髪で、白髪たっぷりだったら、ボブカットにして白を強調するのに。
ふわふわウェーブも可愛いかもしれません。
マダム風にシニョンも良いかも。
そして、ラズベリーピンクのルージュをキリッと塗って、明るい色合いの服を楽しむのに。

まあ美人には、やっぱり美人なりの考えがあるのでしょうね。

まったくもって、無い物ねだりのなんとやら、なのでした。

依存症 脳科学が探る治療法〜を読んで

ちょっと気になるタイトルだったので、読んでみました。

念のため、断っておきますが、別にアルコール依存とか、そういうのはないのですよ。
もちろん、仕事中毒でもないし。

さて依存症とは何か。
その定義も変わってきているそうです。
30年前の教科書では「依存症とは、使用するうちに徐々に耐性がつくため、効果を感じるにはどんどん使用量を増やさねばならず、使用を中止すると堪え難い離脱症状(禁断症状)が起きる部室への依存」であったそうです。
でも、それでは、アルコールなどの限られた薬物にしか当てはまらず、また「依存症のもっとも厄介な側面ともいうべき「再発」を説明できない」ためだそうです。
かといって、まだ新しい定義というべきものはなさそうです。

そして、依存症は道徳心の欠如や、本人の自覚や努力が足りないわけではなくて、病気、なのだそうです。

さて、その依存症ですが、
「依存症の特徴は生活破壊を招いてまで、特定の行為を繰り返す強い症状」にあります。

だから、アルコールや薬物のように身体に直接作用するものだけでなく、ギャンブルや、買い物、ゲームなどの現代人を取り巻く誘惑も依存症を引き起こすと考えられます。
「こうした誘惑は、人間の脳の回路「報酬系」に強い影響を及ぼすから」です。

そして「依存症者の脳内では、要求、習慣の形成、快楽、学習、感情の制御、認知に関わる神経ネットワークとその働きが妨げられている」のだそう。
その結果「依存症に陥ると、神経回路が変わって、薬物やアルコールを最優先するようになってしまう」のです。

怖いことに、「依存症のなると、意識に上らない刺激でも報酬系のスイッチが入る」のだそう。
依存症患者は、何がきっかけかわからないうちに、報酬系のスイッチが入ってしまって、再発してしまうのです。

ところで、依存症の一つとして、行動嗜癖、という概念があるそうです。

ギャンブル依存やスマートフォン、ゲーム依存、仕事中毒などがここに入るそう。
実は前から気になっていたのですが、活字中毒も行動嗜癖の一種なんじゃないかと思うのです。

でも、活字中毒は、ギャンブルや買い物中毒のように他の行動嗜癖と比べて、あまり困った行動には結びつかない。
むしろ、情報を手に入れやすい、知識を身につけやすい、という利点の方が多いから、治療すべき依存症とはならない。
本に夢中になって生活に支障が出るとか、恋人や友人との関係がうまく行かない、となるとまた話は別なのでしょうけど。

例えば活字中毒のように、どちらかというと有益な行動嗜癖もあると思うのですが、そういう有益な行動嗜癖については、書かれてませんでした。
あくまでも、治療についての特集だったので、対象となるのは困った方の行動嗜癖です。

今回の特集では、「人間の脳の前頭前皮質にある行動の抑制に関わる領域を刺激すれば、薬物を求める激しい衝動を抑えられる」可能性を利用して開発された治療法について述べられていました。
その治療法なら、間違った脳の報酬回路を修正できるそうです。

依存症になりやすい人の、困ったことへの依存を修正できて、利点となる行動への依存は消さない治療法であれば理想的な治療法と言えそうです。

この治療法は、まだ、治療後の経過や副作用について追試が必要な開発段階の治療法ですが、将来に期待できそうな治療法だと思いました。

今回の特集では、治療法の話以外に、出産前にお母さんのお腹の中で薬物中毒にされてしまった子供達の治療について書かれていました。
生まれながらに薬物中毒になっている赤ちゃんたち。
アメリカには年間300人も治療されているそうです。
怖い話です。

芸人式新聞の読み方〜を読んで

これも新聞の書評を読んで、面白そうだったので図書館で予約して借りました。
そうでなければ、まず借りなかったかも。

このタイトルじゃ。

だって芸人式って言われてもね。
芸人さんを目指す人は、こんなふうに新聞を読みなさいとか、大喜利ネタの探し方、とかそういう内容かな、と思ってしまいますもの。

もともと、新聞や雑誌の読み比べをネタに、ラジオ番組をされている人みたいです。
それで、こんなタイトルなんですかね。

主にスポーツ新聞と週刊誌の話でした。
スポーツ新聞って、電車の中でサラリーマンのおじさんが読みふけっているのを見たことしかない。
なんか、すごく親父センスのタイトルが派手めの色で書かれてますね。
私は、野球とか相撲を含め、スポーツ全般にあまり興味がないので、そもそもスポーツ新聞は読まないし。
なので、ちょっとついて行けない部分もあったな。
スポーツ選手のネタはわからないし、芸能人の不倫ネタもわからないし。

ですが、朝日、読売、日経、毎日、東京新聞それぞれの個性の差が書かれている章は面白かったです。

後半の方、ネットと新聞記事の温度差についての章も面白かった。
ネットでニュースを読む人は多いけど、例えばYahooのニュースは、色々な新聞の記事を載せているのだけれど、いちいちどこの新聞社の記事かどうかを、確かめている人はいない、という話。

また、新聞記事はそれぞれ個性があって、いつも読んでいる人には通じる、冗談や文章表現が、ネットの一過性の読者(一見さんの読者ですね)には通じなくて、炎上してしまうこと。

私もよくネットで、ニュースを読むので気をつけよう、と思いました。

特に最近は、検索アルゴリズムのおかげで、あるニュースを検索すると、それ以降は、同じ内容や系統のニュースばかりが配信されるようになって、情報に偏りができる。
ということは、他のエッセイでも読んだことがあり、なるべく紙ベースのニュースも読むように心がけないといけないな、と思っていたところでもありますし。

それから、極端な美談は極端なヘイトと、相通じるものがあるというくだり。
トランプ大統領は、みんなが忖度して言葉にできなかったことを、ずばずば言うという手段で大統領になった。
という彼の説には、私も賛成です。
個人の自由やその意見を大切にすると同時に、差別的表現にも敏感なアメリカという国で、トランプさんのような人が出てきたのは、象徴的なことだと思います。

今後も、そういう人が出てこないと良い、と思います。

私はアメリカという国は、現実的でおおらかな国だと思うのですが、一方で禁酒法だったり、キリスト原理主義だったりと、妙に理詰めでことを進めがちなところがあるので、怖いときがあります。

ネットの記事は、連続性がなくて一過性に読むせいか、ちょっとした言葉遣いに、引っかかって炎上しやすい、という話、よくわかります。

それで、書いた人を同定して、住所や職業を晒したり、退学やうつ病に追い込んだりと、その人個人を追い詰めるような過激なことをする集団もあると聞くと、怖い。

でも最近は、あえて炎上させるようなことを書いて注目を集める方法もあるそうですね。

迅速さが要求されるネットのニュースでは、裏付けを取らずに配信してしまうので、ネットで配信されている記事の内容が、全て事実とは限らない、ことも。

素早い情報取集は大切なことだけれど、一刻1秒を争うような情報が必要なことは、ごく普通の生活をする上ではあまりない、と思うと、きになるニュースはすぐに鵜呑みにしないほうが良さそうです。

それにニュースを読むときは、色々なことを考えながら読むのも大切だということが、よくわかりました。
もちろん、新聞を読むときも。

スポーツ新聞は、私のような者が読むことはなさそうですが、機会があったら読んでみよう、かな。

服を着るならこんなふうに〜を読んで

帰省してきた子虫が、買ってくれろとうるさいので、アマゾンでレビューを見てみたら、なかなかに評判が良く、つい大人買いしてしまいました。

相方のおじさんに読ませよう、と思って。

8月は他にも本を何冊か買っていて、娯楽費がかなりオーバーしていたんですけど。
面白そうな本は、つい買ってしまう。

おしゃれについての本です。
男性向け、ですね。
自分の彼氏や相方さんが、どうやったらもう少しまともな服を選んでくれるのだろう、と考えている女子向け、とも言えそうです。

我が家の相方のおじさんも、おしゃれに興味がないわけじゃないみたいなのですが、如何せん、センスも経験もないので、やっぱり、
「なにゆえ、そのセレクション??」
(~_~;)
と言いたくなるような、コーディネートをしてくることがある。

無難にスーツを着るときは、まあ、間違えないのですけど。
ちょっとカジュアル寄りになると、途端に危なくなる。

きっと、日本人男性は皆そうではないかと思います。
そもそも、洋服の着方、なんて教わってない。

このシリーズは、ちゃんと理論から教えてくれます。
漫画仕立てなので、おじさんにもとっつきやすそう。

それに、女子には常識だけど、男性の皆さんは本当に知らない洗濯物の知識。
これは、是非読んでおいて欲しい。

子虫は、とっとと読んでしまったようなので、おじさんの目につくよう、トイレの本棚にでも置いておきます。

とは言え、私だって今はSOUSOU一筋で、コーディネートはあまり困りませんが、昔々、いわゆるファッション・ヴィクティムだった頃は、様々な本を読み漁ったものです。

衣装道楽ではあるけれど、センスがいいとか、おしゃれであるとはでは決してない。
お金をかけずに、センス良く装いたい。
それはいつも思ってます。

元祖衣装道楽、おしゃれ番長の祖母のように、いつでもきちんとした姿のお婆ちゃんでいたいです。

でも、窮屈な服は着たくない。
身体に楽で、センスが良くて、まあまあ自分でも素敵って思える格好がしたいのです。

姫子虫は年取ったら、草間彌生みたいな格好をする、と宣言しています。
そのくらい突き抜けたら、誰も何も言わないだろう、と思うけど、そこまでセンスに自信があるわけでもなく、つい周りの同調圧力に負けてしまう気の弱い親虫には、草間彌生はちとハードルが高い。

全然40にして迷わずではありませぬ。
未だに、迷ってばかりのアラフィフであります。
30代は押田比呂美本とか、大草直子本に頼り、最近まで、石田純子本は本当にタイトル通りバイブルでした。

でも、一番参考になったのは横森美奈子と、米澤ようこ。
どちらも写真がなくて、イラストがメインだけど、逆に著者の伝えたいことがよくわかった気がします。

何冊も読んでいくと、だいたい、皆さん同じことを繰り返しておっしゃってる。
全体のシルエットを考える、ってことと、細かいトレンド(今年はベルトは細い方がいいとか、大振りなアクセサリーはもうイケてない、とかいうことですね)を外さない、ってこと。

でもね、全体のシルエットって言っても、他人のを見たらなんとなくわかるんだけど、自分のは主観が入るから意外と難しいのですよ。
年取ってくると、体型も変わるし。
誰か見る目のある人に、客観的に厳しく、でも立ち直れなくならない程度に優しく、評価してもらいたい。

そしてね、細かいトレンドの部分は、それこそ日々、ファッションに携わっている、センスのある著者様たちだからこそわかる部分であって、やっぱり、一般ピープルにすぎない私にはハードルが高すぎ、なんですね。

で、最近はSOUSOUの服。
着ていて楽。
シルエットが決まっているので、間違いがない。
毎シーズン新しい柄が出るけど、基本のデザインが変わらないので、流行り廃りがない。
似合うアイテムはいつまでも(多分)確実に似合う。

おしゃれになりたいけど、センスがあるわけでもなく、いろいろ考えすぎて、いまいちおしゃれになれないおばさんには、格好のブランドだと、自分では思っております。

と、なんだか読書感想のはずが、最後はSOUSOUの宣伝になってしまいました。

学校の怪談

先日、小学校での思い出を書いたら、旅芸人さんからコメントをいただき、それがきっかけで昔聞いた学校の怪談話を思い出しました。

旅芸人さんありがとうございます。
おかげさまで良いお題をいただきました。

私の通った学校にも、登りと下りとで段数の違う階段とか、ずっと視線がついてくる歴代校長の写真とか言った、定番のお話しもありましたが、特に怖かった話二つ。

以下、私の小学校時代に聞いた怪談話です。

学校の怪談その1〜踊り場の鏡
学校の階段の踊り場には、大きな鏡がありましたよね。
私が通っていた小学校にもありました。
特に北側の薄暗い階段の踊り場にあった鏡は、すごく大きくて壁をほとんど覆うくらいでした。
そこは四時半すぎて通ってはいけない、と言われていました。
もし、どうしても通らなくてはいけない時には、絶対に鏡を見てはいけない、とも。

昔、一人の子供が帰りが遅くなり、鏡の前を通りがかったそうです。
見てはいけない、と言われるとつい見てしまう。
その子供も、見てはいけないと思いつつ視線が鏡の方へ。
すると、そこには自分ともう一人子供が映っていたのだそうです。
あれっ?
と思って、隣を見ても誰もいない。
おかしいな、と思っていると、鏡に映った子供が鏡に映った自分の腕を握り、引っ張って鏡の奥へ連れていってしまったのだそう。

その夜、子供が帰ってこないので大人たちが探しに来ると、ぼんやりと空を見つめて立っている子供の姿が。
呼びかけても返事もせず、視線も合わず。
鏡に魂を連れて行かれてしまったのでした。
その子は、結局、精神病院に連れて行かれ、今でも、時々自分の魂を探して鏡の中を覗き込みながら、ふらふらとさまよい歩いているそうです。

学校の怪談その2〜地下の防空壕
その小学校には、地下に防空壕がありました。
うっかり人が入ってしまわないように、重い金属の扉で締め切られていました。
ある年の入学式の日、一人の子供が式の後で教室に戻るとき、ちゃんと先生の後について行かなくてはいけないのに、勝手に列から抜け出してしまいました。
そして地下の防空壕を見つけ、入り込んでしまったのでした。その子が入った後、扉が自然と閉まってしまい、一旦閉まると、重い扉は子供の力では開けることができません。
間の悪いことにその子は新入生で、先生も同級生も誰もその子がいなくなったことに気が付きませんでした。
そして何ヶ月か立った頃、防空壕から鼠が何匹も出て来るのを不思議に思ったある先生が、扉を開けて中を見ると、そこには、鼠にかじられて骨ばかりになった子供の骸があったのでした。

終わり。

今思うと、突っ込みどころが結構ある話ではありますが、当時は、それはそれは怖かった。

でも、長ずるに及んで純真さを喪った大人の目から見直すと、この怪談話、なんとなく教育的指導が入っていたような気もする。

例えばその1。
当時、近所の空き地が少なくなって遊び場が減ってきたために、学校の校庭は放課後、四時半までは子供たちに解放されていました。
四時半には、下校を促す放送がかかったものです。
でも当時だって「帰れ」と言われて、すぐに遊びをやめて帰るほど、子供の聞き分けがよかったわけがありません。
四時半を過ぎても、ぐずぐずと残っている子供がいないように、という配慮があったのかなぁ、と思ったりして。

そして、その2。
この話は、隣の校区の小学校に語り継がれる怪談話でした。
それも毎年入学式が近づくと、新しく入学する予定の子供が、兄姉や、近所の年かさの子供から聞かされる話でした。
私は、同じアパートの隣の部屋に住んでいたフミオ君から教えてもらいました。
だから母の仕事の関係で、そこの学校に通うことはなくなってホッとした覚えがある。
今になってみれば、小学校に行くようになったら先生の指導をちゃんと守り、勝手な行動をしないように、という戒めだったのかなぁと、思ったりするのです。
だってね、いくら入学式の日だって、子供が一人いなくなれば誰だってすぐ気が付きますよね。
親だっているんだし。

なんてことを、思いつくわけもなく、当時は素直に震え上がっていたのでした。


ちなみに、相方のおじさんの通った小学校は、本当に元墓地だったところだそうです。そして、昔はトイレが屋外に設けられていたそうなのですが、そのトイレの踏み石にはなんと、古い墓石がそのまま再利用されていたとか。
でも、それにまつわる怪談話は「無かったなぁ」とのこと。
あまりにも生々し過ぎて、怪談話にできなかったのかもしれません。

一生太らない歩き方〜その後 一ヶ月目

八月の西日本から九州は、暑さでふらふらの毎日でしたね。
鹿児島も、暑かった!!

そんな八月も終わり、体重はなんと1kg減。
(*´∇`*)ヤッター

でも、これって本当にウォーキングの成果と言えるのか?
微妙なところなのです。

だいたい、ちょっと気をぬくと週明けなんかはまた増えてるし。
帰宅直後は、汗だくで脱水状態なので、その時の体重は見かけの体重なのかもしれない。

まだまだ気は抜けません。

そもそも、前回見つけたブログ記事

ourage.jp

を参考に歩こうと思ったのですが、ヘタレなことに一日で挫折してしまいました。

だってですね、重心をかかとに残して姿勢を良くして、足をしっかり広げて歩く、とです。
どうもかかとを、地面にガツンガツンぶつけてしまうのです。

あの北朝鮮軍の行進シーンありますよね。
足をまっすぐに90度くらいに上げて、がんがん歩いていく歩き方です。
あれって、膝を痛めるらしいですね。
私もあんな感じになっていたみたいです。

それでかえって、膝が痛くなってしまったのでした。
多分、歩き方がインストラクターさんの言うようには、なってないのでしょう。

歩くのってよく考えたら、ちゃんと教わること、ってないですよね。
生まれた時から、身に備わっている本能です。
人間はほとんどのことを学習から学ぶけれど、歩くことは誰にも教わらずに出来ます。
(一説によると、泳ぐこともできるそうですが)

生まれたばかりの時は、親に置かれた状態のままふにゃふにゃ寝ていた赤ん坊も、月齢が進むと自然と寝返りをうち、這い這いを始め、その内つかまり立ち、それから一歩を踏み出す。
その経過で、なんども転んだり失敗したりするけれど、自分で身体のバランスや力の加減を覚えます。
だけど、あまりに自然すぎて、逆に言葉で説明されても、身体の動きにスムーズに変換できないのです。
言葉で説明されて、理解したこととは違って、身体の信号を本能で感じ取ってフィードバックしているせいです。

だから、ブログの記事の説明やイラストを見ても、すんなりと出来るわけではなかったのです。

とりあえず、姿勢を良くすること、大股で歩くこと。
それだけ気をつけることにしました。

今回参考にしたのは、こちら。


gooday.nikkei.co.jp


「プラス10cm歩幅を広げる」
をキーワードに、あとは姿勢を良くすることに、集中することにしました。


それだって、結構、難しいです。
大股で歩こうとすると、腰がいつのまにか後ろに反ってきます。
腰が後ろに反ると腰が痛くなるから、下腹に力を入れて骨盤を立てます。

歩く道中、商店街があるので、ガラスに映る我が身を参考に、姿勢を正します。
あんまりじろじろ見るのもなんなので、あくまでチラ見しながらですけど。

すると、今度は肩に力が入っている。
力を抜かなきゃ。

あ、また姿勢が悪くなっちゃった。
姿勢、直さなきゃ。

ずっとこの繰り返しです。

そのうち、気が散ってくる。
気がついたら、ふらふら他のことを考え始めたりして。

それに朝はまだ、涼しいのでなんとかなるのですが、夕方は日中にしっかり暖められた道路や建物の輻射熱が、半端なくて。
八月は、サービス残業もしちゃって、もう疲れて歩く気も起きなくて、電車使ったりもしてたので、カロリー消費は、先月とそう変わってないと思うのです。

体重が減ったその他の要因として、思いつくのは、忙しすぎてバイト先でおやつを食べる回数が減った事。
職員用の休憩室は、いつもおやつが豊富に用意されているのです。
私は、揚げえびせんに一時期はまってしまって、止まらなくなっていたこともあるのですが、八月は忙しくて、おやつを食べる暇がなかったのでした。
考えれば考えるほど、やっぱりそっちの要因の方が大きい気がします。

やっぱり、入る方をコントロールする方がダイエット的には効果が出やすい、と言うのは正しいのでした。