とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

GRIT やり抜く力


やりたい、と思ったことの大半をやり抜くことが出来なかった苦い経験だらけの人生。
サブタイトルの”人生のあらゆる成功を決める『究極の能力』を身につける”に惹かれて、借りてみました。

著者はハーバード大学の神経生理学を優秀な成績で卒業して、あのマッキンゼーに勤務したあと、大学に戻って研究生活に入り今はペンシルヴァニア大学の教授になっている、と言うスーパーキャリアウーマン。
そう言う著者が、何かの偉業を達成する人は才能ではなくて、やり抜く力が優れている人だ、と様々な研究成果から結論づけた本、です。

努力が大事、と言う話はほとんどの自己啓発本で強調されてきてますし「そんなの知ってるよ」と思います。
知りたいのは、どうやったらその努力を続けられるか?ってことなんだけど。

人生もう終盤戦に入って、思うことは、やりたいことはいっぱいあったけど、ちゃんと成果が出せたことはほとんどなかったな、と言うこと。
てか、まだ終わってないので、やり抜けるかどうかもわからないのですが、少なくとも子供の頃から続けていることなんてないし、社会に出てからも、別に何も達成してないし。

本の中ほどに、やり抜く力があるかどうかをチェックする質問票があります。
それをやってみた私は、グリットスケール2.5。
平均的アメリカ人のグリットスケールに及びもつきません。
ちなみにグリッドスケールが4.1以上あれば、やり抜く力が強いそうです。
アメリカ人よりやり抜く根性が無いんや、私。
いや、アメリカ人が根性なしという訳では全然ありません。むしろ、何もない荒野を開拓してきたり、身一つで異国に渡ってちゃんと社会生活をしてきているのですがら、まさに根性の塊&その子孫たちです。

こんな根性なしの私には、もう、やり抜くことなんか到底できそうもないから、無理してやり抜こうとしてストレスを溜めるような人生は、送らない方がいいのかもしれません。
まだやりたいことは、沢山あるんだけどな。

やり抜く力、つまり日本語で言うところの根性、ですね。これが、身につくには子供の頃のマインドセットが大切とか。
そこで根性のある子どもに育てるための、言葉の掛け方、と言う章があります。
根性を育てる言葉と、育てるつもりで逆効果になる言葉の表が載っている。
でも、日本語に翻訳しているせいでしょうか、あまり違いが良くわからない。
それに、どっちの言葉も割と日常的に言われてきたし、言ってたな。

自分の子ども時代を省みると、親や祖父母からは、むしろやり抜く力を伸ばす言葉を、かけてもらってたような気もする。
でもその結果、『やれば出来るはず』と楽天的な気持ちだけで取りかかったものの、結局、達成も成果も出せずに終わったお稽古ごととか、勉強とか、仕事とかの屍たちが、私の人生を振り返ると、その道中にごろごろと転がっている。

やれやれ、結局のところやり抜く力だって、他の才能と一緒で、ある程度生来備わっているものなんじゃないでしょうか。
だって、「俺何にもしてないよ、と言う奴に限って、影ですごい努力している」と言うフレーズ自体、努力できる奴ってすごいよね、と言う意味も含まれていると思うのです。

かの東大を首席で卒業されたという女性弁護士さんも、日本で有数の進学学校を卒業されていますが、「自分は周りと比べて特別勉強ができ話のではなくて、努力を人一倍したから」結果が出せた、と本に書かれていますが、その努力の内容が、そもそも常人にはとても真似できそうも無い。

努力は才能。

才能は生来備わっているものなので、逆立ちしても無い人間には無い。
と言う、身もふたもない結論になってしまったのでした。

とはいえ、「努力している過程は、どれだけ努力が好きな人にとっても辛くて退屈で面白く無いのだ」と言うことがわかったのは、多少は今後の助けになるかな?

どんなにやり抜く力を持った達人でも、その修行の過程では辛いし辞めたくなるし、その修行自体が正しいかどうか迷うそうです。
だからこそ、正しいフィードバックを得ながら、続けていくことが必要、なのだとか。
褒めてもらうことより、どこをどう修正したら良いのかを教えてもらう方が伸びるのだそう。

これは、今後のお稽古ごととか、仕事を覚えていく過程で、今からでも役に立ちそうです。
失敗したり注意を受けたりした時、すぐ凹まずに、

どこに問題がありましたか?とか、
どこを直せばいいですか?

と聞くだけで、やり抜く力が付いて来るのかもしれません。