とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか〜を読んで

一読しての感想。

なんか、いろいろしんどそうな人だな。
世の中には、こういう生きづらさを抱えつつ、生きていかないといけない人っているのね。

「思考が心に決定されては困るのだ。理性と感情との境界線があやふやになっては困るのだ。」
と考えるような人で、

「しかし僕には「他人のために何かをする」ということをとても恥ずかしいことだと認識する傾向があった」り、

「僕が恐れていたのは、親に寂しい思いをさせたくない、孫を抱かせてやりたいというような、最も原始的な欲望」はちゃんとあって、でも「この欲望を刺激され、それによって家族と心が繋がり、自分のかこに引き摺り込まれてしまうことを最も恐れていた」りするような人ですから。

なんで、そんなことにこだわるの?
と思ってしまうけど、本人にとってはそこ、譲れないんでしょうね。
ああ、しんど。

単純に、朝起きるのがいやだから、とか、満員電車が嫌だから、という身体的な欲求を優先して、人並みの社会人生活を送ることをやめたという、pha氏とか大原扁理氏より、理屈が先行している分、この人の方が面倒臭そうです。

私は、pha氏や大原氏の方がまだ共感できた。

でも、一部にはすごく支持されているらしいです。
それでブログの収入とか、本の執筆で暮らしているみたい。
他にも、山での生活を綴った本など、何冊か出版しています。

本書では、畑を作って農作物を作ることすら、結局は「土地に束縛されること」だから、嫌だ。と書いてましたが、今は、どこかのシェアハウスに住んで、畑を借りて野菜を作ったりしているみたいです。

とりあえず、人間の生活をしてるんだ、良かった。
と、勝手に母親目線で考えてしまう。
本を読むと、いろいろ難しそうだけど、案外と話をしたらごく普通の好青年なのかもしれないし。コミュニケーション能力も、本人が言うほどのものじゃなくて、ちゃんとしてるのかもしれないし。

作家さんって、書いている作品の内容そのままの人物ではないこと、多いですものね。

実際、彼の本に書かれているような生活は、ファンタジーに過ぎないとか、本に書いているような生活を、著者は実践していたわけではないとか、いろいろ批判もあるみたいです。

でも、彼のように考える人がいて、読んで共感する人が、少なからぬ人数いるのは確かみたい。
そして、なんだかな、と思いつつも、読んでいる私みたいな人間もいるわけで。


私は、美味しいものを食べたいとか、寒いとか暑いとかは嫌だとか、あまりにも即物的で、生理的欲求を優先してしまう人間なので、この本の著者にはほとんど共感はできなかったけど、こういう生き方に憧れる人もいるのだろうな、とは思いました。

ただ、本当にこういう生活が実現可能か、という点については、実は、いろいろ怪しい点もあるらしく、実行する前にはやっぱりちゃんと準備と調査はしておいた方がいいみたいです。

個人的には、トイレや生活排水はどうしていたんだろう?
と気になりました。
飲み水は、小屋から下ったところにある川から汲んでいたみたいだけど、汚物が流れ込まないように、衛生面とかちゃんとしてたのかな、と心配。

山小屋などでも、排泄物の問題は大きいらしいですね。
一時的に滞在するのではなく、ずっと住むのであれば、排泄物の管理は大切。

なんだか、現実的すぎて夢が壊れそうだけど。