とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

超孤独死社会〜特殊清掃の現場をたどる

タイトル通り、孤独死した人のその後の現実を書いている本です。
死因は不明、が多いらしくてそれは単純に死因が特定できる状態で発見されないから、というあたりに壮絶さを感じます。

誰にも知られずに亡くなると、結果として腐敗が生じます。
人里離れた家だったら、多少の匂いは誰も気にしないだろうし、街中であっても、冬場だったりすればゆっくり腐敗の進むので気づかれないままに骨やミイラ状態になることもあるのでしょうが、狭いアパートだったりして、それが夏場のましてやゴミ屋敷でだったりすると、強い臭気が立ち上り、腐敗の過程で流れ出た体液につく蛆や蝿が、隣近所に侵入して苦情が発生し、そこでやっと気がつかれる、という事態が生じます。

お隣の部屋とか同じフロアの部屋に住む、ひどく疲れた顔の人。
なんとなく『変だな』と思うけど、はっきりおかしいわけじゃない。
ものすごく不潔だったり、悪臭がするわけじゃない。
『最近、見かけないな』なんて思っていたら、ある日、アパートの扉から変な匂いのする液体が染み出てきたとか、隣との壁の下あたりに黒い染みが浮き出て、蛆がやたら落ちてくる。
なんて、ホラー以外の何物でもない。

そうなると、必要となってくるのが特殊清掃という仕事。
死体のあった跡を消毒し、染み付いた臭いを除去し、清掃する。
夏場の40度を越すような室内で、近所迷惑にならないようあえて換気もせず締め切った中で、防護服とガスマスクを装着して作業を進める孤独な仕事。
そういう状況の人は、電気求められていたりするので、自前のランタンの灯りを頼りに作業することもあるそうです。

人が住空間という人工的な環境で死体のまま置かれると、どんな凄いことになってしまうか、というあたりが淡々と書かれていて、逆に凄惨でもある。

具体的な清掃の実態や、金額の事も書いてあります。
そもそもが特殊な状況なので、相場というものがなく、おまけに依頼者は急いでいることがほとんどなので、ほぼ業者の言い値の状態、だそうです。
なので、100万円単位で請求されることも、よくあるそう。
中には良心的な値段設定をしてくれるところもあって、著書にはそんな業者さんも取り上げられていますが、普通の人がやりたがらない仕事請け負ってくれるわけですから、精神的な負担も考えると、やはり十万単位の出費は仕方がないのかな、と思ったりもする。
それに自分がお願いしたい街に、そんな業者さんがいるとは限らないし。

ただ、そうは言っても、相談出来る自治体サービスもないわけではないらしく、ダメもとで相談してみるのも必要です。
お世話になりたくはないけど、将来、関わることになったら参考になりそうです。

なんども繰り返されているのは、”臭い”と”染み付いた体液”とそこに湧く”蛆虫などの害虫”の存在。
ことに臭いは、床などに体液が染み付くと取れなくて大変らしい。

ガスマスクと防護服を装着しないと、入ることすら出来ないような、感染症健康被害の心配をしないといけないような、家ばっかりらしい。
少なくとも私が行くお家は、生きた人が住んでますもんね。

私たちが行く家は、ケアマネージャーさんや行政が入っていることがほとんどなので(たまに個人的に相談が来ることもありますが)、医療機関に依頼が来る時点で、ある程度は他人が面倒を見てくれている。
『これは酷い!!』と言うような所でも、この本に出てくる現場よりはマシなんだな、としみじみ思う。
まだまだ人生、知らないことがたくさんありました。

ゴミ屋敷や孤独死の、そうした猟奇的な悲惨な側面を強調するだけでなく、本著では、どうして人はそんな環境で暮らしたり、孤独死をすることになるのか、という事も真面目に考察しています。
というより、本書が本気で読者に伝えたいのはこっちだと思う。

それは、セルフネグレクト

人として最低限の清潔で健康的な生活を、いつの間にか放棄してしまうこと。
それは単に、その人が自堕落だからだとか、知的能力に劣るからとか、そういうことではなく、自分から社会とつながることに絶望してしまうから、と著者は言います。

各章で取り上げられている孤独死した人々は、決して最初から社会生活不適応者ではない。
著者ほどではなくとも、彼らの人生や生き方に共感できたり、もしかしたら自分にも起こり得ることかもしれない、そんな気持ちになります。

孤独死なんて、他所の話。
なんて思っていると、ある日突然、名前しか知らない親族の特殊清掃の費用を請求されることだって、ないわけじゃないです。

またセルフネグレクトも、わかりやすい人とそうでない人といる。
孤独死の直前まで、それなりにちゃんとして見えている人も多いそうです。
セルフネグレクトの挙句、孤独死する人はほとんどが心筋梗塞脳梗塞、肺炎。
なので、死ぬ数時間前までは、なんとか動けていることが多い。

仕事で忙しいから、とか、出張でいないから、と何年もあってなかった兄弟や姉妹が、実はゴミ屋敷で変わり果てた生活をしていた。
そんな実例も本には載ってます。
どんなに仲が良い兄弟姉妹でも、社会に出てしまうとお互いに自分の人生が忙しくて、ついメールや電話で済ませてしまいがち。
例えば、兄は一流会社に就職したエリートサラリーマン。
なまじ連絡は取れているから、と安心していたら、実は、リストラされていて、貯金を取り崩しつつ暮らしており、普段の会話では取り繕っていただけだった、なんて衝撃的な例もあります。
やっと現実を把握し、再出発をしようとした矢先に孤独死された妹さんの悲しみは、他人事にしてはいけない気がする。

今や、ほんの近所や、お隣で、発生しているかもしれない孤独死
よく知っているはずの肉親や、親しかったはずの友人にも起きているかもしれないゴミ屋敷と、そこに続いて生じる孤独死
思っているより、身近な問題かもしれませんよ。
と著者は問いかけています。

ところでゴミ屋敷になってしまう第一歩は、ゴミの分別だそうな。
確かに、このゴミってなんのゴミの日に出すんだっけ?
と迷うことあります。
缶やペットボトルのゴミの回収は、我が家のある地域では隔週なので、うっかりすると出しそびれて溜まってしまう事もある。
ゴミ捨て担当はうちのおじさんなので、おじさんがサボるとてきめんゴミが溜まります。
実際、ただいまビニール袋二袋分、出しそびれて玄関の片隅に転がっております。

いかん、いかんΣ( ̄ロ ̄lll) 。

『あ、しまった。次の時に出そう』なんて思っていたらどんどん溜まって、だんだん『ゴミすら満足に出せない私』と自己評価がずるずると下がってしまって、そのうち『もうどうでもいいや』と投げやりになってしまって、ここに体調不良なんかが重なると、と坂を転げ落ちるように自己否定、セルフネグレクトの泥沼にはまってしまうのかな。
と、思ったりして。

高齢化が進めば、独居老人が増えてくるだろうし、他人事じゃない将来が待っているであろうことは、想像がつく。

でも、具体的に何をするか、と言われると此れと言って具体案は浮かばず、やっぱり日々の瑣末ごとに追われて過ごしてしまうのだったりして。