先生が決めてください
介護の過程で、患者さんが急変する。
そうでなくても状態が進んで、さらなる治療をどうすれば良いのか決めなくてはいけなくなる。
そういう事は家族である以上、避けては通れません。
例えば、胃瘻にする。
例えば、透析を始める。
例えば、入院させる。
例えば、詳しい検査を受けるために専門医に連れて行く。
本人がはっきり希望すればまだしも、認知が進んでいたり寝たきりでほとんど意思疎通が取れなくなっていたりした時、どうするか。
事前に話し合っておきましょう。
メディアを始め、色々なところでそんな風に言われます。
だけど、そう言われて『じゃあ、早速』と話し合ったなんて家族、ほとんど知らない。
だってちゃんと話し合っていた家族は、そもそも、決定の場で揉めませんもの。
困るのが、決められないご家族。
そして、言い放つ上記のセリフ。
『もう、どうして良いかわかりません。先生が決めてください』
ひと昔だったらね、父権的温情主義の権化みたいなお医者さんが、一言、きっぱり言って決めてくれてたんでしょうけどね。
民主主義ですよ、世の中は。
自己決定権を尊重するのです。
そうなるために、様々な世代の様々な立場の人たちが苦労して勝ち取ったのです。
その上言いたくないけど今や、訴訟社会。
後出しジャンケン、出したが勝ちの世の中。
でございます。
だいたい、自分の親なんですから、他人に決めてもらってどうするの?
なんて事は、口裂けても言いませんけど。
本人が何を望んでいるか、口に出しては言わなくても、普段の生活でしっかり関わっていたら、多少なりとも推測できないのかな、と思う。
例えば、『胃瘻は嫌』とはっきり言ってなくても、”口にご飯を入れると本当に嬉しそうにしていた”とか、”注射が嫌いで、病院に行くのが本当に嫌いだった”とか、そんな事でも良い、と思うのです。
その人の生きてきた姿を、今生きている人間の中で一番知ってるはず、思い出もあるはず。
『(本人が何を望んでいたか)私にはわからないので』
とおっしゃいますけど、そんなの本人じゃないんですから、誰にもわかるわけがないんです。
だから、人に押し付ける言い訳にしないでほしい。
思い出も共感もない赤の他人に、決定させて、そう言う人ほど、後から『そんな風には聞かされていない』と後出しジャンケンするもの。
だから、私たちにできる答えは申し訳ないけど。
『ご家族で決めてください』
しかないのです。