とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

終わった人〜を読んで

内舘牧子という人の作品は、これまで読んだことがなくて、朝ドラの『ひらり』の脚本を書いた人で、チリチリパーマのおばさまで、よく女性雑誌やテレビで、威勢の良い発言をしていて、確か相撲にすごく詳しい人、というのが、彼女のついて知っていることの全部でした。

今回、”会社を退職した人のその後の生活”に関係して、あれこれ本を読んだ中で、言及されていたので、読みやすそうだし、と借りてきました。

会社という、一つの村社会のようなところでぬくぬくと過ごして、結局、自分の価値をきちんと客観視できないままに終わった、ある残念な人の、残念な老後をコメディタッチで描いている作品、だと私は読みました。

主人公は、東大法学部を現役卒業して、東京のメガバンクにいてずっとエリート街道を歩いてきたけど、最後の役員になれるかなれないか、というところで、ドロップアウト
最後は子会社の専務取締役(ってことは社長のちょっと手前の役員ってことかな?)で定年を迎えます。

本人も自覚していますが、プライドが高いため、定年後も普通のおじさんになりきれずに、悶々とします。
そもそも、人生を勝ち負けでしか判断したことのない人物。
家族が定年を祝ってくれても、素直に喜ぶどころか、ちょっとした気遣いをかえって皮肉に感じてしまうような人間です。
素直に、再就職のための努力もできず、ひたすら妻に愚痴を言いつづけ、最後は持て余されてしまいます。

妻は妻で、お嬢様育ちで、エリートサラリーマンの専業主婦だったのが、子育てが終わった頃から、美容師の免許を取り、サロンで生き生きと働いている。

それにひきかえ、何かと言えば『負けた』『終わった』と情けない主人公。

仕方なくジムに通ってみたり、大学院試験を受けてみようとカルチャーセンターに通ってみたり、とあがいてます。

会社文化に浸たりきって人生を過ごすと、こういう風になってしまうものなんでしょうかね。

先日読んだ”定年後”でも、似たようなおじさんが実例として挙げられてましたっけ。
この本の作者も、還暦を迎え、友人知人が次々と定年を迎える中、この作品の構想が湧いたと、あとがきに書かれています。

タイトルにもあるように、この主人公、事あるごとに『終わった人』という言葉を出してきます。
そのくせ、まだ『終わり』たくないというあがきが、いかにも生々しく、格好悪くて滑稽です。

ともあれこの主人公、あれこれ足掻いているうちに、ひょんなことから、ベンチャー企業の顧問に誘われます。
彼の学歴と職歴が、会社に有利に働くからです。
そう言われて、まんざらでもない主人公。

その上、再就職した先の会社の社長が、40代の若さで急死してしまい、その会社を受け継いで、社長にまでなってしまいます。

傍から見れば、サラリーマンとして成功したようであっても、俺自身は「やり切った。会社人生に思い残すことはない」という感覚ももてない。
 成仏していないのだ。だからいつまでも、迷える魂が彷徨っている。

と、反対する妻を押し切り、社長になるのです。


そういうものなのかな。
会社に勤めるとか、辞めるとかって。

ともあれ、幸運にも会社の社長になれて”生き生き”過ごせると浮き浮きの主人公。
自信がついて、周りにも寛容になれて、女性にもモテててと、良い事づくめのようですが、ここで話は急展開。

会社が潰れます。

負債を自分がかぶることになり、老後のために貯めてきた資産が劇減りしてしまう主人公。
案の定、妻からは愛想をつかされます。
老後資金をちゃんとやりくりして貯めたのは、奥さんだったと思うし。

結局、この主人公は、”何かやりたいことがあって、そのやりたいことをするために会社社長になった”のではなくて、単に”会社社長”になりたかったから、ほいほい、美味しい話に乗っただけの人間だったのですね。

だから、会社が大きな損失を出した途端に、

鈴木、俺は成仏するまで全力でお前の会社を守るからな

と誓ったはずの会社を、

ああ、俺が若かったなら、俺がせめて40代だったなら、ここにいる全社員を基礎に会社を起こすのに。
俺はもう六十五なのだ。

と、投げ出してしまいます。

もう終わってない、ってうざいぐらいにあがいてたくせに、厳しい局面になると、歳のせいにして逃げちゃうなんて。

駄目じゃん。

と思うけど、歳をとるってこういうことなのかな、とも思ったりして。

どうでもいいけど、ここで、彼の個人資産が1億3000万ほどあったこととか、これからも年額500万の年金はある、ということがさらりと書かれている。
そんなにもらえるのかいっ。
さすがメガバンク
65歳からの支給だとしても、死ぬまでの年月の間、ずぅ〜っともらえるのですよ。
何もしなくても、年額500万収入があれば、怖いものないんじゃないのーと思うのは、わたしだけ?
おまけに、高級マンションは妻の親からの贈与で、ローンもない。

会社の負債だって、個人資産で帳消しにできてるじゃん。
そりゃあ、セレブ暮らしに慣れた奥さんは、許してくれないだろうけど、そもそも、旦那を持て余して、というか、旦那の扶養になりたくなくて就業したくらいの妻なんだから、今更、豪華温泉旅行やら、海外旅行ができなくなっても気にしないのでは?

ま、ここはお話の中でのことですから、置いておいて。

ラストで、妻との間も冷え冷えとしてしまい、行き場のさらに無くなった主人公は、故郷に戻る決心をします。

家で、妻の代わりに主夫をしているときの、惨めさアピールが半端ない主人公。
本当に情けない。
こういう情けないおっさんを描くのが、この作者さんは上手いな〜。

結局、都会育ちの妻は都会に残し、自分だけ故郷に戻り、母親の介護をしながら、同じように戻ってきた旧友たちのNPOを手伝って、暮らしていくことにするのです。
ま、田舎ならお金もあまりかからないしね。

年金が年額500万(ついこだわってしまう)で、奥さんも働いていて自分の食べる分は稼いでくれてるなら、むしろ余裕ある方なんじゃないの?

痛い目にあって、少しは成長できていると、いいですね。
彼のその後はわからないので、読者がそれぞれ好きに描いていい。


読み終わってのまとめ。

人って、自分を評価するのが一番難しいのかな、と思います。

世間が、”己の思うほどには、己を評価して扱ってくれない”と感じている人は、どれだけ経済的に恵まれていても、どれだけ思いやりのある家族に囲まれていても、常に『不満』や『不公平感』を持ってしまうのでしょう。

自分が人生でしてきたこと、達成したことに、それなりに評価を下せて、ちゃんと自分はその評価に値する扱いを受けている、と思うことができる人は、きっと自分の恵まれている部分にも気がつけて、幸せに過ごせるのだと思いました。