世界が土曜の夜の夢なら〜を読んで
本はこれ以上増やしたくないので、なるべく図書館で借りて読むように心がけています。
普段は新聞やネットの書評をみて、面白そうなタイトルの本があったら、図書館のHPへ行って検索→予約という流れ。
もちろん図書館で、ぶらぶらしていて出会いがあったりも。
さて、こちらの本は予約した本の中に入っていたもの。
予約本って、人気があるのはすぐには手に入らないし、タイミングもあって、予約したのも忘れている頃に、届いたりすることがある。
この本も持ち帰ったものの、予約した当時の私に訊ねたい本でした。
なぜ、このようなタイトルの本を読みたいと?
最近のテーマにしている老活関係の本でも、ワークシェアリングの本ではないし。
とはいえ、せっかく借りてきたのですから読んでみることに。
意外と、と言ったら失礼ですけど、面白かった。
日本の文化的土壌にヤンキー性というものが、存在していて、それは古事記にまで遡れる、と著者は言います。
つまり日本人の心の原風景みたいなもの、なのでしょう。
芸能人で人気のある人は、ほぼこのヤンキー性を有している。
それは、そうなんでしょうね、だって人気商売ですもの。人に好かれるということは、好かれるための素地がないと。
日本ではそれがヤンキー性、ということなんですね。
ヤンキーとギャル、オタク文化についても論じられています。
地味な生徒のまま学校を卒業し、さらに地味な社会人になった私には、別の世界の話みたいで面白い。
逮捕されるほどではないけど、そこそこワルで、喧嘩上等、気合いと勢いを大切に、一方で異性にはモテてて、若いうちに結婚して子供は沢山。
家族が大切で、特に母親は特別。
意外と関係性を重視していて、それゆえ女性的な面がある。
昔はやんちゃだったけど、どこかで「禊」体験をして、今は保守的で社会性を大切に暮らしている。
そういう人が、日本人は好きらしい。
あ、でも、わかるわかる。
映画やドラマのストーリーには、よくそういうのありますものね。
今は地味なおじさんやおばさんだったりするけど、実は昔はこの界隈では、、、みたいなの。
ところで、そのヤンキー性というもの。
本質も実体もないのがヤンキー性だとか。ん??
著者曰く、これがヤンキー性と語れるものはなく、その周辺を語ることでしか語れないのが特徴だそう。
それを換喩性というそうです。直接表現するのではなく、これがヤンキー、と思うファッションや行動を語ることでしか、ヤンキーを語れない。
例えば、リーゼントもヤンキーだけど、最近はラーメン屋の作務衣もヤンキーなのだとか。萌え系デコトラも今やヤンキー。
つまり、私が学生時代に街で見かけたダボダボした学生服のお兄さんとか、ドレスみたいに長いスカートのお姉さんだけが、ヤンキーと言うわけではない、のだそう。
特に、ちょっと前にアメリカで流行ったスタイルを様式化しているのが、ヤンキーの原初のファッション。そこには戦後のアメリカへの憧憬があるそうです。
米軍基地の米兵のファッションを、真似て始まったのがヤンキー。
最初から完コピではなくて、パロディ化しているのが、ヤンキーたる所以だそう。
その目的は目立つことで、その取り入れ方には様式がある。
様式美にこだわるところが、日本の独自性。
さらに、ヤンキーは常に「今」が連綿として続く時間性を持っているそうです。それは、古事記にも見られるような日本人独自の時間感覚だそう。
ともあれ、その時間感覚がゆえに常に現実的で実利主義。
そして、ヤンキーの行動原理は保守的。
お互いの関係性を重視し、強い母親信仰がある。
著者は、伊勢神宮の式年遷宮や天皇制の万世一系を例にあげます。
つまり、コピーができた時点ですでにそれがオリジナルとなり、常にコピーを繰り返す。
なんだかこんがらかってきます。
でも、なんとなくわかるような気がしてしまうのは、私の中のヤンキー遺伝子の成せる技なのでしょうか。
本の終わりの方で、斎藤氏は言います。
わが国では、思春期に芽生えかけた反社会性のほとんどは、ヤンキー文化に吸収される。
そして、一定の様式化を経て、絆と仲間と「伝統」を大切にする保守として成熟していくのだそう。
つまりちょっとばかり、学歴社会からはみ出したからと言って、ヤンキーになることで、常習的犯罪者とか、おかしな方向に進んでしまわないで、健全な大人になってくれるわけです。
”われわれは、全く無自覚なうちに、かくも巧妙な治安システムを手に入れていたのである”
というのは、ちょっと持ち上げすぎ、な気もしますけど。
これが日本文化、なのですね。