とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

昭和元禄落語心中


出典:https://www.nhk.or.jp/drama10/rakugo/


先週金曜日からインフルエンザで、週末家に引きこもっておりました。
いえね、いつも週末は引きこもってるんですけど、今回は、お当番も何もなしの職場公認引きこもり。
大手を振って、家でごろごろしておりました。

熱の方は、タミフルのおかげで翌日には落ち着きました(タミフルすごい!)が、動くとフラフラするし、咳ごほごほの鼻水だらだら状態。
ご飯食べなきゃと思っても、食欲もない。
インフルエンザの何が怖いかって言うと、この体力の奪われさ加減が半端ないこと、かな。
元に戻るまで、まだしばらくかかりそうです。

フラフラと掃除と洗濯をこなしたら、もう動く気がしないので、ちょうど良いから仕方がないから、撮りためたドラマを観て過ごしてました。

こちらNHK昭和元禄落語心中
www.nhk.or.jp

去年の10月に放送されてたものですね。
題材が落語で面白そうだったのと、主役の俳優さん、以前リーガルハイ・シーズン2で観て以来、ファンだったので録画しておいたのでした。

それを、第一話からちまちま観よう、と思って観はじめたら、さあ、やめられない止まらない。
一気に見ちゃった挙句、その感動が冷めやらず、今度はAmazonで原作の漫画を、 Kindle One Clickしちゃいました。
おかげで週末、辛い時期を難なく過ごせて良かったよかった。

というわけで、以下、ネタバレ全開の感想。





原作は全10巻、ドラマも全10回。
ドラマは、原作をほぼ忠実に再現している。
ドラマを観て、なんかすごいなぁ、と思ったのは、主役の俳優さん、押しも押されぬイケメン枠の俳優さんで間違い無い、と思うのですが、ほぼ半分くらい晩年の年取った状態で出てくる。
しかも、またNHKのいわゆる『クソリアリズム』っていうんですか、やけにリアルな特殊メイクで主役俳優さんの美貌を、容赦なく老醜丸出しの老人にしてます。
おかげで若き日の主人公の美しさが際立って、そこは良い演出だな、と思ったのですけど。
さすがは、NHKです。


お話は、刑務所を出る一人の若者から始まります。
刑務所出るところから始まる話、と言うとオーシャンズ11とか、ブルースブラザーズが浮かびますが、残念ながら彼にお迎えはいない。
元ヤクザの彼は模範囚でしたが、身元引き受け人がいないため仮釈放がもらえず、満期まで刑期を務めて出所したのでした。
先行き暗そうな状況ですが、元気いっぱいな若者。
ウキウキと向かった先は、なぜか寄席。
そこで、車の手入れをしていた運転手・松田さんに話しかけ、雇い主である、落語家八雲に弟子入りしようとします。
実は刑務所にいるときに八雲の落語を聞いて、『一番偉い人の下につく』と言う自分の信念を全うするため、やってきたのでした。
しかし、八雲は弟子を取らないことで有名。
『八雲は、弟子を取りません』
と諭す松田さんを脅しつけ、もとい、懇願し、説得し、いつの間にかダチかぶってる若者。
かなり強引。
やがて仕事を終えて出てきた八雲(これが老いさらばえた岡田将生)にも、けんもほろろに断られるも、強引に抱きついて、いつの間にか弟子入りする展開に。
その上、与太郎、と言う名前までもらってます。
この与太郎のキャラが、実はかつて八雲の親友でありライバルでもあった助六を思わせていたのだと、後半になってわかってきます。
さて、無事(?)弟子入りを果たした与太郎くんですが、なかなか落語を教えてもらえません。

その上、八雲の家には小夏という養女がいて、彼女は八雲の親友で今は亡き助六の忘れ形見であり、両親の死後、八雲に引き取られていたのでしたが、この小夏さん、なにやら屈折するものを抱えているらしく、すぐ与太郎に突っかかるし、八雲を親の仇呼ばわりするしで、なんかしんどそう。

しかし、持ち前の素直さと人好きする性格のおかげで、寄席で働くスタッフから好かれて、親切にしてもらえる与太郎くん。
やっぱりコミュ力って大事よね。
『あの八雲師匠に弟子入りしたなんて』と、先輩落語家に嫉妬されつつも、コツコツと仕事を覚え、厳しい小夏に落語を教わり、やっと前座にしてもらいます。
と、そこで八雲の高座の最中に居眠り&大いびき、という大失態をしてしまい、危うく破門の危機に。
そこをなんとか詫びを入れて、許してもらおうとすると、なぜか、八雲は三つの条件を出してきて、その約束を守れるなら、と言います。
そして、その条件を出してきたその理由が語られ始める。

場面変わって、昭和初期。
10歳くらいの少年が、世話役と思しき女性と歩いている場面から始まります。
少年は杖をついています。
老年期の八雲が杖をついているのは、どうやらこの頃から、らしい。
少年はある踊りの家元の息子でしたが、妾腹の出で正妻に疎まれ、足を怪我して踊れなくなったことで、家を出されて落語家7代目八雲の家に、無理やり弟子入りさせられたのでした。
(原作では、女系が幅を利かせる家に生まれた、とありましたけど、ここはドラマの方がわかりやすくて親切)
師匠となる家の門をくぐろうとした直前、横から割って入った同じ年頃の少年に先を越されます。
『これで、俺が兄弟子だい』
と笑う少年。
彼が、のちの助六でした。
助六は孤児で、落語好きな飯場の親父に拾われて落語を覚え、親父が死んだ時の遺言だ、と言って勝手に弟子入りしてきたのです。
最初は断った7代目八雲でしたが、少年の持っていた扇子の文字を見て気を変えます。
原作では扇子のシーンがなかったので、ドラマで付け加えたのでしょうが、後半になって7代目八雲が、どこの馬の骨とも知れない助六を弟子にすることにした理由が、ちゃんと伏線になっていてわかりやすい。
そして、ここですでに下男として働いている、若き日の松田さん。
その後、笑点の山田くん並みにずっと出てきます。

全体像がはっきりしてからドラマ化したせいか、ドラマの方が、漫画ではちょっとわかりにくかったところなんかを、うまく解説してくれている気がします。
この回だけでなく、原作ではさらっと流されていた7代目の葛藤や、由緒ある名を継ぐ重圧、噺家が老いていく恐怖心、など、ドラマの方がしっかり語られていて、より話に厚みが出ていた気がする。
ドラマ化や映画化って、所詮は原作を超えられずに、表面撫でただけで終わってしまうことが多いのですが、今回のドラマ化は、役者さん達がぴったりはまっていたのもあるけど、脚本や演出が、原作の良さをさらに引き出していた、と思います。

こうして奇しくも同期となった少年二人。
足の悪い子が菊比古、のちの八雲。
調子の良い元気な方が、初太郎、のちに助六となります。
真面目だけど、不器用な菊比古。
いい加減だけど、落語は天才的な助六
対照的な二人は、しかし仲良く弟子時代を過ごします。
戦争が始まって離れ離れになり、落語ができない時期もありましたが、また平和になって、落語界を代表する噺家へと成長していく二人。

生真面目すぎて落語に面白みがなく、伸び悩む菊比古は、遊んでばかりいるくせに、常に人を惹きつけ人気のある助六を羨みながらも、尊敬しています。
なんかわかるわぁ。
そんな菊比古を、何かと構う助六
助六助六で、出自もよくて師匠に気に入られている菊比古が妬ましかったりもしてた。
そこに、みよ吉という芸妓が現れ、怪しい雲行きになってきます。
みよ吉は最初、芸の肥やしにと7代目八雲自らが、菊比古に紹介したのですが(原作では7代目の元お妾さんという設定でしたっけ)、やがて菊比古の出世の邪魔になるからと、別れることになります。
この時代、こういう風に踏み台というか、文字通り肥料、扱いされる女性って、どのくらいいたのかしらね。
別れたその直後に、師匠と喧嘩して破門された助六と当てつけのように一緒になった彼女は身ごもり、助六とともに姿を消してしまいます。

月日はめぐり、師匠である7代目八雲を看取った菊比古は、助六を探す決心をします。
7代目は亡くなる直前、助六に弟子入りを許した本当の理由を打ち明けていたのでした。
実は、若き日の7代目にも天才的なライバルがいて、その名がなんと助六
八雲の家名を継ぎたくて7代目が、己の嫡子という立場を利用したせいで、助六は家を出てしまい、そのまま行方知れずに。
のちに助六となる少年を、飯場で拾って育てたのが、おそらくその助六
二人の助六への罪の意識と家名への執着心の板挟みで葛藤したのが、7代目の後半生だったのです。
落語の家名って、そんなに大きいのね。
適当につけているように、思ってたのでしたけど。

ともあれ、助六を見つけてまた二人で落語界を引っ張っていこう、新しい落語界を作ろう、と菊比古はみよ吉の故郷、四国へ渡り、ある温泉町でついに助六と娘の小夏を見つけます。
この道中、あえてサイズの合わないスーツを着て、菊比古の華奢さを強調する芸の細かさ。

助六は、みよ吉と一緒になったものの、落語への未練が捨てられなかったのか、そもそも他の仕事には向かない性分だったのか、仕事もせずにふらふらしていて、そんな助六に愛想をつかして、大げんかしては時々出て行ってしまうみよ吉。
一人娘の小夏は、お父さん大好きっ子で、落語が大好き。
子供ながらに、近所のうどん屋で落語を演ってはおこずかいを稼ぐ、しっかり者でした。

ぐうたらしていた助六に喝を入れ、上京を促す菊比古。
助六の再起を促す為に、旅館の座敷を借りて二人会を催します。
出番を待つ助六に、
『八雲と助六の名前には、よほどの因縁がある。助六のお前が八雲を継いで、二人を弔ってやってくれ』
と八雲の羽織を着せるシーンは、ドラマの実写化の方がグッとくる。
やっぱり生きてる人間が、動いて話すと違いますね。

その座敷の客の中には、二人の演芸会開催を知って帰ってきたみよ吉がいました。
原作では、高座に上がった助六がみよ吉に気づいた、という場面はないのですが、ドラマでは、高座に上がって枕を述べた後の助六に、ちょっと間が空きます。
そこで、みよ吉に気づいたんですね。
そして、演ったのが”芝浜”。

小さい頃、聞いたことあるけど(じじばばっ子だったもので)『そんなに好きなお酒だったら、やっぱり飲んじゃいそうだけどな』と思ったものでしたっけ。
父が大酒飲みでしたのでね、酒飲みが酒やめるのって、そうそうないって、子供ゴゴロに知ってたんですな。
でもこのドラマ観たら、また別の噺に思えてきました。
落語ってすごい。

大盛況に終わった二人会の後、一人呼び出された菊比古。
待っていたのは、案の定、みよ吉。
みんなで一緒に東京へ行ってやり直そう、と言う菊比古に、
『いや、あたし、菊さんと二人が良い』
『一緒に逃げてよ』
と言い放つみよ吉。
亭主や子供いたって、恋に生きるのあたし、ってやつですね。
昔は『こう言う女っているよねぇ。あたしは無理だな』くらいの冷たい目線でしたけど、『こう言う生き方しかできないのも辛いよな』、とか、『それだけ周り見ないで突っ走れるのもある意味すごい』、と妙に上目線になってしまっているのは、加齢のなせる故なのでしょう。

ここで、思わず菊比古がペロンとみよ吉の顔を舐めるんですけど、原作ではみよ吉の涙を舐めとって、その勢いで男女の情のもつれとかドロドロしたものが、わぁ〜っと湧いて出てきちゃって、という状況なんだけど、映像にするとなんか唐突で、変な感じ。
(あくまで私見です)
これって、映画『イングリッシュペイシェント』でも、不倫中の二人が別れ話でこじれた際に、ヒロインが立ち上がった拍子に鉄柵に頭ゴンってぶつけるシーンがあって、原作だとものすごく情緒豊かな感情的なシーンなんだけど、映像にするとただの粗忽な女優さん、にしか見えなくて(私は一瞬NGシーンかと思った)ピンとこなかったのと同じ感覚。
何でもかんでも映像化すると良い、と言うものでもないのですね。

さて、盛り上がったみよ吉が菊比古に
『ね、いっそ二人で死んじゃおうか』
と囁いているところに、助六がやってきます。
亭主の勘、ってやつ。
そして、みよ吉と小夏との生活を選んで、菊比古と上京して落語を再開する道を断念する、と言い出します。
それが、みよ吉に気づいた助六が演目を芝浜に変えた理由、だったのですね。

話の成り行きに、なんか行き場を失って逆上したみよ吉がそこで包丁を振り回し、助六に怪我を負わせてしまいます。
原作では、この程度の痴話喧嘩は日常茶飯事で、普段はうまく収まるところを、うっかりつまづいたみよ吉が本当に助六を刺してしまったのだ、と助六が菊比古に、死後の世界で解説してましたけど、そんなことは現世の誰も知ったこっちゃないので、大騒ぎになります。
そして、魔の悪いことに今度は小夏と松田さんが登場。
『母ちゃんが父ちゃんを刺したんだ』と逆上した小夏がみよ吉に飛びかかり、勢い余って手摺ごと落ちそうになります。
それを見た助六がとっさに助けに飛び出して、それを見た菊比古がとっさに助けに飛び出して、それを見た松田さんがとっさに助けに飛び出して、、、、
ってなんか三馬鹿トリオみたいな展開になってしまってます。
さすがにNHKさん、それはないと思うよ。
だいたい、力学ってものを無視してます。
アイアンマンや筋肉番付じゃあるまいし。
ケチつけたいのは、ほんとそこだけ、なんだけど。

まあとにかく、親娘三人を菊比古が助六の浴衣の襟首だけ掴んで支えるという、現実と物理をガン無視した中でやりとりがあって、
『あたしはどうなっても良いから、この子だけは助けて』
とみよ吉が言い、
『一人で三人は支えきれねぇ、小夏を頼んだ。俺がこいつと地獄に落ちてやる』
助六が言って、
小夏は引き上げられ、助六とみよ吉は落ちて亡くなります。
小夏は、一連の騒ぎの最中、気を失っていたので記憶が欠落していて、それでも、血まみれの父親と包丁を見た記憶だけ残っていて、菊比古が父と母を殺した、と誤解していました。
原作では、真相は松田さんから与太郎にだけ告げられるのですが、ドラマでは自身の出産を契機に、少しずつ思い出していきます。
やっぱり、本人の心の傷の修復と再生のためにも、ドラマの方が良いような気がする。

親友でもあり戦友でもあった助六を失い、落語に失望したまま帰京した菊比古は、小夏を引き取り、8代目八雲を襲名。
名人と言われながらも、その芸を次世代に伝えることはせず、テレビなどのメディアも相手にせず、時代の流れに落語が消えていくなら、自分の代で消してしまうのだと嘯く、頑なな老人になっていきます。

そうして月日が流れたある日、助六の生まれ変わりのようなキャラの与太郎が現れて、菊比古は昔、助六と交わした約束を果たそう、と思い直したのでした。

と、助六とみよ吉の謎の死とその後の八雲の言動という一連の謎を、回を追って解きつつ、間に小夏の妊娠とか、与太郎との結婚とか、菊比古の心筋梗塞といった家族の事件と、日本のバブル崩壊と落語の再生復興が語られていきます。
実際のところ、落語は、菊比古のような爺さん一人で終わるようなものではなく、今でも東京だけで噺家さんは600人からいるそうですし、女性の真打もたくさんいるらしい。

それはそれとして、置いておいても、一人の落語に人生をかけた男の愛と憎しみと努力とその果て、をじっくり味わえて良い作品でした。

何より、主役の岡田将生が良かった。
劇中で、みよ吉が
『落語が好きなんじゃないの、菊さんが話している姿が綺麗だから、それを見ているのが好き』
と言うのですが、『うん、うん、そうだよね』と違和感なく頷けてしまう、あの美貌。
孤独で愛情表現が不器用な美青年が、やがて嫌味たっぷりな老醜をさらけ出す老人に成り果てていくところなんかも、上手すぎ。
菊比古は少年時代から、足が悪い設定なのですが、若い頃の足の引きずり方と、年老いて筋力が落ちからの足の引きずり方なんかも微妙に違っていて、そこも上手だな、と思いました。
他のキャストも良かったですね。
みよ吉役の大政絢も、当て描きしたのかと思うくらいヴィジュアルがみよ吉。
原作では、菊比古にとってのみよ吉が、もう少ししんみり語られていましたが、ドラマでは、どちらかというと振り回し系に特化されてましたっけ。
菊比古もそれほど、みよ吉に執着している感じがなかった。
それもあったし、何しろリーガル・ハイ2での、小美門研介に密かな想いを寄せる羽生晴樹のイメージが強すぎたせいか、菊比古の助六への態度に、原作にはない別の解釈が、できてしまったのでした。


ドラマだけの設定といえば、菊比古に、彼の後の代表作となる”死神”をこっそり伝授する役として、志ん生が出てきます。
お酒で高座をしくじって、協会を除名になった元落語家、という設定です。
ドラマの放送が去年の10月ですから、これってひょっとして今年の大河ドラマ韋駄天の番宣も兼ねての設定?

ついでなので、志ん生についてウィキってみました。
お酒で高座をしくじったのは確かだけど、別に除名になったりはしてないようです。
ただ、師匠にもらった羽織を質に出して、顔出しできなくなったとか、破門も何度かされたとか、助六とかぶるところがありました。
高座で居眠りしてた、って言うエピソードもあったそうですね。
最期は子宝にも、弟子にも恵まれて85才で亡くなったそうなので、幸せに、そこそこ天寿を全うした方のようです。



ところで、原作でもドラマでも、小夏の最初の子供の父親は菊比古では、という謎かけがされていますが、私はむしろ、小夏の父親が菊比古なんじゃないか、という気がします。
小夏の、禁じられてもコツコツと落語を独学する粘り強さ、なんだかんだ言って、与太郎の面倒を見てしまうツンデレさ加減、どう見ても、菊比古の性格でしょ。
それに小夏はグレてたとはいえ、筋の通ったヤンキー娘で、真っ当に育ったと周りからも言われてますし、菊比古も菊比古で、私のささやかな隠れゲイ説は置いておいても、そういう人倫にもとるような事は思いもしない人間だった、と思うのです。
むしろ、もしかしたらひょっとして自分の娘かもって、思ってたかもしれない。
お互いの絡み方が、親娘ぽいもの。
似た者同志というか。
一方、助六の生まれ変わりのような扱いの与太郎は、小夏の妊娠を知りつつ、小夏と結婚しようとします。
その辺り、みよ吉の心が菊比古にあるのを知りながら、あえて所帯を持った助六にかぶります。
お互い、己の思うところを、思わず落語のネタに語らせてしまうあたりもそっくり。
だと、思うんですけどね。

さて、原作の漫画の方はドラマの筋以外に、番外編として色々落語関連の解説が載っています。
作者の落語への愛が伝わってくるページです。
寄席の行き方とか、楽しみ方とか。
読んだら、ますます寄席に行ってみたくなりました。

こういう時は、やっぱり東京は良いなぁ、と思ってしまうのでした。


ドラマも三月にはDVD化されるそうですね。

でもってアニメ化もされてたらしいです。