とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

天才感染症 上・下巻

SFです。
現代が舞台です。
主人公はNSAの期待の新人です。
しかし残念ながら、007シリーズのような華やかな話ではなくて、エンディングも地味に『なんだかな』な感が拭えない。
何しろの話なんですもの。

でも、この黴(というか本の中では”真菌”とか”茸”とか呼ばれてますが)、感染した宿主の脳に寄生して宿主の脳の機能を驚異的に高めてくれる。
つまり、この菌に感染すると天才になれちゃう。

なんか、ちょっとおもしろそうでしょ。

話は、アマゾンのジャングルから帰ってこようとするポールから始まります。
ポールは菌類学者で、採取した菌のサンプルをアメリカの大学に持ち帰って研究することに情熱をかけてます。
このポールくん、ジャングルから戻る途中に、乗っていた船がテロリストに襲撃され、危ういところで船から脱出するもジャングルに取り残されてしまいます。
彼はジャングルで不思議な発光茸に導かれ、奇跡的に生還します。
が、帰ってきた途端に重症肺炎で入院。
どうやらジャングルで茸の胞子を吸って真菌症にかかっていたらしい。

ところで、黴とか真菌とか茸とか、表記は違うけど中身は全部一緒。
真菌です。
本の中では、様々な真菌のことが書かれています。
蟻の脳に寄生して、蟻の行動を操る真菌。
一見、蟻には不利に見えるけど、病気にかかりにくくして蟻の寿命を延ばす(そうして自分も増えやすくなる)ように助けてもくれる。

同じように小説に出てくる菌も人間の脳に寄生して、人間の機能を高める=知能が上がるように働き、その上、その人間が菌の生存増殖に適した行動をとるように、心を操ります。
人間様の脳とアリンコの脳が、真菌にとっては大して変わらん(同じように寄生出来ちゃう)対象とされていることについて、どう感じるか人によって違うと思うけど、所詮、人間もその程度、と思うと清々しい気もします。

感染による重症肺炎で生死の境を彷徨ったポールでしたが、無事に元気になります。
そして、頭が良くなる。
と言っても、10代のうちに大学を卒業してて、22歳ですでに博士号も持ってて、さらに自分の研究室も持ってるは、指導すべき大学院生もいるは、のポールは宇宙兄弟の主人公たち並みにハイスペック。
もともと頭がいい人が、より頭が良くなっても、当然ですがあまり違いがわからず、周りにもすぐには気づかれません。
つまりこれは『アルジャーノンに花束を』系のお話じゃないってことですね。
ちなみに『アルジャーノンに花束を』も、お話の中でちょびっとですが出て来ます(映画で言えば、さりげないワンカット的に)。

さて、そのポールの一歳下のニール。
彼が主人公なのですが、ニールもポールに負けず劣らず超優秀な頭脳の持ち主で16歳で大学に入学しますが、生来の性格が災いして(どうやら社会規範に従えないタイプらしい、ちょっと高機能自閉の気あり?)卒業できずに中退、フリーターをしてます。

しかし、何しろ超ハイスペックなニール君ですから、頑張ってNSAに採用してもらえます。
そしてそこで頭角を現し、NSAの影の実力者らしい上司を始め職場のみんなに一目置かれる存在になります。

そして、ポールとニールの父。
彼は元NSAの情報員でしたが、今はアルツハイマー病で引退。
日々衰える己の知能と戦いながら暮らしています。

ところで私が日々、訪問で伺う患者さんの多くは認知症なのですが、もともと知的職業についていた人ほど、周りも本人も辛いですね。
いろいろなことを忘れたり、出来なくなってしまうことへの恐怖や不安を、切々と綴ったメモを拝見したことがありますが、本当に身につまされて、読んでて涙が出そうになりました。
だからお父さんや、ポールとニールの気持ちもよくわかる。
アルツハイマーの患者さんの家族って、本人もですが、本当に辛いですもの。

話はポールとニール、そして彼らの父親を中心に進んでいきます。

菌のおかげで、さらに知能がアップしたと自覚したポールは、アルツハイマーに苦しむ父親にも効果があるんじゃないか、と思い、倫理員会とか安全性とかをすっ飛ばして、父親に菌を感染させます。
おかげで、以前の能力を取り戻すお父さん。
でも、ポールの勝手な行動に激怒するニール。

一方南米では、人々が突然環境保全に目覚めていました。
その上、一部がテロに走り大統領を暗殺したり、クーデターを起こしたり。
挙げ句の果てにはアメリカと交戦状態になります。
全ては菌に感染した人々が、菌の安全を確保するために行ったことでした。
どうして環境保護に走るとアメリカと戦争することになるのか、割と疑問も持たずに納得してしまうあたり、アメリカという国の抱える問題が垣間見えます。

アメリカ合衆国内でも菌に感染した人々がじわじわと増えてきていました。
南米から入り込む麻薬に菌を混入させて、”頭が良くなるサプリ”として学生や若者達の間で密かに流行っていたのです。
その上、初期には重症肺炎を起こしていたのが、宿主に合わせて変異したのか、インフルエンザ程度の症状で済むようになって来てます。

後半、主人公ニールくんも菌に感染するのですが、知能が高まって以前は苦手だったことが、難なくできるようになって気分は上々、菌の生存や増殖に役立つことを考える分には、幸せでいっぱいな気持ちになれる、という思ったより悪くない状況。

フォート・ミードや仕事のことを考えると、圧迫感と不安、そして恐怖が迫ってくる。反対にここに残ってリガドスに加わることを思うと、凍てつく冬の夜にあたたかい炎を見つけた時のような幸福感がこみ上げてきた。この場所は安全で、僕を受け入れてくれる。

という心境になります。
なんか、悪くなさそうなんだけどな。

さらに、真菌の増殖に適した人類へと進化するため、地衣類と一体化して、太陽光エネルギーをより効率よく摂取できるようになり、思考もやがて感染者達同士ネットワークで繋がり一体感を感じられるようになる。

真菌としては、この調子で人類を全部感染者にして一体化させ地球を地衣類と真菌と一体化した人類で満たしたいらしい。
そうすることで、真菌にとっての最適な環境を作れるからです。
争いも、貧困も、それに伴う苦しみもない世界。
悪くないんじゃないの。
と思ったらいけないのかな。
そういう世界では、みんなとつながっているから、別に誰かとの差異を気にしなくていいし、差別化しなくていいし、あくせく働かなくていいし。
ちなみに、この菌に感染しても人間としての創造性がなくなるわけじゃなくて、むしろ高まるそうな。
菌としても宿主である人間には、幸せにかつ平和に増えてもらわないといけないので、"楽しいことを楽しむ"行動はなくならない。
毎日、楽しいことだけしてる毎日。
いいなぁ。
とふと思ってしまう。
みんなで地衣類と一体化してまりもになって、ふわふわ、ころころ。
分裂したり、一緒になったりして、地球規模の巨大まりもになった人類。
悪くないんでないの。

だけど、そういうのアメリカ人には受け入れられないのでしょう。

主人公ニールも、菌に感染して一体化することへの幸せを実感しつつも、菌の支配から逃れようとあれこれ試みます。

そうこうするうちに、感染者達がアメリカ国内で反乱を起こし、南北アメリカ大陸は、真菌感染者でいっぱいになり、人類は菌に征服されそうになります。

そこで人類が対抗策として開発したのが、菌を改良した新しい新種の菌。
この菌に感染すると、菌に操作される代わりに命令者の言葉にだけ反応するようになります。

オリジナルの真菌は自分が増えることができればいいので、宿主の行動もそれほど規制しない、菌にとってより良い環境を作れて、さらに宿主も幸せになれるように行動させます。
それに対して人工の菌は、菌自体の目的はなくて、もともとコードされていた命令者の声に従わせるだけです。

二択しかないなら、どっちに感染したいか、は明白な気がする。

主人公達もなんとかして、人工の菌を使わせないよう頑張りますが、とっくに軍に使われてました。
戦闘の最中に、主人公達も人工の菌にも感染してしまいます。
さあ、人工の菌が効果を発揮するまでの潜伏期間に、ことを決めてしまわなければ。
緊迫した状況になっていきます。

オリジナルの菌は、菌の生活環境をよくしようと行動すると宿主が幸福を感じるように脳を操作します。
ただ、宿主の人間がどのように菌の環境をよりよくするか、その実行の部分については人間にお任せなのです。

だから、感染者の中に環境テロリストがいれば、テロがより洗練された形で実行されるようになるし、麻薬密売人が感染すれば、闇のドラッグとしてアメリカに持ち込まれる。
アメリカや南米で内乱が起きたのは、菌のせいではなくて人間自身の問題である、とも言えます。

ポールもニールもそれぞれ”菌のためにこれがベスト”と信じて、別の行動をとるようになります。

こうなったら、菌の生育環境を作るために核爆発を起こして、地球規模の天候不順を引き起こそう。
人類は絶滅の危機に瀕するけど、みんな死に絶えるわけじゃない(一部は生き残るだろうし)真菌のためにはその方がいいよね。
と考えるポールと彼に従う感染者たち。
そうはさせまいと、人工の菌に感染して怖いもの知らずの戦闘員と化したアメリカ軍兵士達。

間に挟まって、あれこれ画策しつつも結局、中途半端なニール。

際どいところで、ニールの上司(善なる目的のリーダー?)が、命令者だった将軍から、命令のためのコードを手に入れ、戦闘を終結させます。

とりあえず、感染者は菌の増殖を抑制する抗真菌剤を飲み続けることで、菌からの支配を脱することに成功。
核爆発も、回避できてめでたしめでたし。

と、一応ハッピー風のエンディングなのですが、何だかんだあった結果として、世界は”いつオリジナルの真菌がまた蔓延しだすかわからない状態”+”自ら作り出してしまった、人を完全にマインドコントロールできる人工菌(データさえあれば誰でも合成可能)の存在する”世界となっておりました。

みんなで良かれと思って頑張って、より困った状態を作ってしまいましたとさ、という、ある意味バッドエンディングです。

主人公のニール君が、なかなかに憎めないキャラだし、登場人物達がそれぞれに置かれた立場で真摯に努力している人たちで、本当に嫌な奴ってのがいないのが、救いかな。

ところで、最近NHKの特番や、サピエンス全史で言及されていましたが、ホモ・サピエンスが世界中にはびこる(人類として生き残る)ことができたのは、抽象的な概念を信じるということができたから、だそうです。
つまり、神とか国家とか民族とか、民主主義とか共産主義とか、お金とかビットコインとか、そんな目にも見えないし、触れることもできない存在を『ある』と信じて、行動することができたことが集団でまとまり、個人の力以上のものを発揮できるようになった、そのことが文明を発達させた。
のだそうです。
じゃあ、その”抽象的な概念を信じることができる”ようになったきっかけって、なんだったのでしょう?

そもそも、この小説に出てくる真菌の作用は、直接人間の脳を操作して行動を起こさせるのではなく、人間の脳細胞間の連絡をより効率よくすることで、知能を向上させ、その人間が菌のためになる環境を作ろうと行動したくなるように仕向けること。
その際の優先順位は、家族愛とか同胞愛、既存の道徳観よりも菌が上になります。
感染していない人は、そうなってしまうことを恐れてなんとか防ごうとしてます。

でも”菌”の部分を”神”に置き換えたら、”感染”を”宗教体験”に置き換えたら、何も真菌に感染しなくても、普遍的に起きてきたことでもある。

ひょっとして、すでに実際に真菌(じゃなくても何かの寄生体)に感染、してたり、して??

読み終わって、また考えてしまう作品なのでした。