とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

知らないって、怖いこと

時々、末期癌だったり高齢の寝たきりだったりで、もう状態が悪くなっていて逝くのを待つばかり、という患者さんでも容体が急に悪くなったら、ありとあらゆる蘇生処置をしてください。
というご家族さんがいます。

一分一秒でも生きていてほしいから。

と、言う気持ちからなんでしょうけど、医療従事者から見ると、何だかなぁ、と言いたくなる。

まず、あのいわゆる蘇生処置、どれだけ苦しいかご存じないのでしょうね。

以前、『蘇生処置ですか、やっといてください。そうですね、うちからですとここに来るまでに、4、5時間くらいかかりますけど、その間はやっててもらいたいですね』
と、言われたことがあります。
ふと思いついて、蘇生処置って実際どんなことをするとお考えですか?
って聞いたら、

「ああ、あの胸んとこ、ごいごいって押すやつ、ほれ心臓マッサージっての? それして、あと、なんか機械でドンって何回かやったら、心臓が動くんでしょ」

と、言われました。

う〜ん、、、、。

見た目は、そんな感じかもしれませんけどね。
あれ、実際されている人はどのくらい辛いか、ご存じでしょうか??

たとえば、蘇生処置がうまくいったかどうか、どうやって判断すると思いますか?
以前、救急の先生に蘇生処置の講習会の時に聞いたら、当たり前の表情で
「息を吹き返したら、絶対暴れますから、見たらわかります。ものすごい力で胸を圧迫されてるんですよ、それも一分間に100回のペースで。普通の人だったら、嫌がって暴れますよ。暴れるだけの力もないから、するんです」
と返されましたっけ。

というわけで、何を言いたいかというと、”あの胸んとこ、ごいごいって押すやつ“というのは、されたらものすごく痛いし苦しいんです。
通常だったら拷問に近いようなことを、身体にするんです。そこまでしないと、体の外から心臓を動かすなんてできないんです。
”機械持ってきてドンってする“のだって、どうもない人にやったら、その衝撃で心停止起こすこともあり得るくらいの衝撃を、電気で加えるんです。
はっきり言って傷害罪ものです。

そんなことを、何時間もやるなんて、かわいそうだと思いませんか?

それに、蘇生処置後の患者さんって、蘇生後に胸んとこ結構皮下出血であざだらけだったりするんです。
それくらい、激しく圧迫するんです。
ときには肋骨が折れたりもします。

というような話をしましたら、びっくりされたようで、
「だったら、しなくていいです」
とおっしゃいました。

多分、知らない人が多いから、こういう話になるんでしょうね。

上野千鶴子も書いてました。

独り暮らしの高齢者が息を引き取る瞬間だけ、遠くに離れていた家族・親族が「全員集合」するのも、妙なもの。この看取りコンプレックス(と呼びたいと思います)も、そろそろ「卒業」しても良いのではないでしょうか。「全員集合できるのはもともと家族・親族が同じ地域にかたまって暮らしていたから。遠く離れて住んでいるなら、そう簡単に集合することもできません。滅多に会わない親族が臨終に間に合いたいと駆けつけるのは、今生のうちにお別れを言ってお規定。という気持ちから。昏睡状態になってからでは手遅れです。それならもっと早くからお訪ねして、別れも感謝も伝えておきましょう。中略
死に目に立ち会うことだけが、人を看取ることではありません。sれまでのすべてのじかんが、看取りのプロセスだったのですから、そのプロセスを十分に踏んできたひとたちは「わたしの外出中に死なれても、覚悟はできています」とおっしゃいます。(上野千鶴子 『おひとり様の最期』より<<

私もそう思います。

もう助かる希望も無いのに。不要な苦痛を与えるのはこちらだって嫌です。
息を吹き返して、また正常な生活に戻れる可能性があるから、辛いけどやる処置なんです。

たんに、息をしているうちに会いたかったというなら、つきっきりで見ていてください。
それでも、付き添いの人が他の人と会話をしているうちにとか、トイレに行っているうちに静かに息を引き取っている人だっています。

人の死は調整できるものでもないし、こちらの都合で図って良いものでもないのです。