とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

故郷は遠きにありて思うもの

”故郷は遠きにありて思うもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや”

確か、高校の国語の教科書に載ってましたっけ。
室生犀星の有名な詩ですね。
最後の行をふざけて

”帰るところにアルマジロ

って覚えてて、いざ試験に出たときに、あれ?あれ?本当は何だったっけ?
って焦るのが、受験生のあるあるでした。

この詩を国語の教科書に採用した文科省の偉い人たちは、一体ナニを高校生どもに教えたくて載せたのかしら。
この詩を読まされていた頃は、
『ふーん、年取ったらこういう気分になるのだろうな、多分』
くらいの感想しか持たなかったな。

最後の天皇誕生日
ちょうど三連休になったのを利用して、母親の家に行っておりました。
そして、しみじみ思うこと。

もうこの歳になると実家というのは、のんびりゆったりするところではなく、半分妖怪と化しつつある親との終わりなき戦いの場、なのだと。

今回のミッションは、母の要請で階段に手すりをつけたり、トイレの内装を綺麗にしたり。
素人さんのDIYでできる範囲のことですが、あれこれやってまいりました。
主に施工したのは相方のおじさん。
インパクトドライバーとノコギリがあれば、大抵のことはこなしてくれる便利屋さんです。

そして、彼が黙々と作業をする合間に、私と娘と母との三代にわたる女たちは、長い年月の間に母が溜め込んだ一家のあれやこれやを整理する。

毎年やっていることとはいえ、相変わらず出てくる怪しい、付喪神となりつつあるガラクタの数々に、めまいがしてきます。

さて、今回の戦いの場は台所。
恐ろしくて、今まで手を出しかねていましたが、可愛い孫娘のいうことなら比較的聞く耳を持つ母のこと、娘の協力を得て、ついに禁断の場を暴くことにしたのでした。

もうね、子虫たちが生まれた年と同じ年の賞味期限が記載された調味料とか、いつからそこに置かれていたかわからない梅酒とか。
きっと、どのご家庭にもこういうものって、死蔵されているものなんですよね。
ええ、そうですよね?
うちだけじゃない、ですよね?

整理し始めは、調子よく『ああ、これももういらないわね』『これはもう捨てよう』などと言っていた癖に、だんだん考えるのが面倒になったのか、
『やっぱり置いておいて、後で考えるから』
と、言い出す母。

いや、いくら考えてもどうせ捨てるしかなかろうもん。
と言いたいけど、ここはトシヨリを尊重して、
『じゃあ、こっちに選り分けておくから』
と答える私。

挙げ句の果てに、モノが散乱した床を見て『居るところもない』と嫌味ったらしく嘆いてみせる。
いやいや、散らかしたの貴女だから!という言葉を飲み込んで、
『なら、ここにあるだけでも片付けようか』
と、譲歩する私。

相手のご機嫌と体力に気を使い、何が悲しゅうて、この見るからに取っておく価値の無いモノを大切に選り分けねばならんのか。
さくっと棄てられたらどんなに楽だろう。

なんとか説得し、なだめすかして不用品を選り分け、収納を整理して作ったスペースに、こちらの隙をついてせっせとものを詰め込む”妖怪・隙間婆”。

毎回、これをやるたびに『こんな不毛なこと、2度としない!!』と心に叫ぶのですが、やらないわけにはいかないしな。

こうして戦いの日は暮れて、くたびれ果てて、ちょっとギスギスしてお互い仲も悪くなって終わる。

やっぱり、故郷は遠くにありて思うもの。
〜中略〜
帰るところにアルマジロ





ネットで調べたら、室生犀星もこの詩を作ったのは、故郷に帰っていた時だそうですね。
やっぱり、同じような心境だったのかしら。