とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

奇跡を信じる人

終末期医療をやっていると、よくこういう言葉をご家族から聞きます。
『私、奇跡は起きると信じてますから。きっと治ると思うので、治療は止めないでください』
もちろん本気でおっしゃっているのでしょうね、こういう時は皆さん、まっすぐな目でおっしゃいます。

これを言われると、医療者は、大抵目を伏せて黙ってしまいます。
それは、ご家族のその真摯な気持ちに打たれて感動したから、ではありません。

『ああ、これはもう何を言ってもダメだな』

と思うからです。
別に信じるのは構わないのですよ。
信じる心は大切です。
でもね、奇跡という言葉が安売りされている感がなきにしもあらず、だと思ってしまうのは私だけ?
私は、こうした”奇跡を信じる”人の真剣な眼差しと表情を、密かに”信者のドヤ顔”と呼んでます。
不遜ですみません m(_ _)m。

奇跡って常識では起こらないことだから奇跡っていうんですよね。
宝くじに当たる(これは常識で起こり得ること)ことよりも起きないことなんですよね。
そもそも、今一つだけ宝くじを買うとして、自分は絶対当たるって言い切れます?
自分の家族だけは、確実に治るって言い切れることがすごい。

なんども言いますが、そう信じることは勝手です。
心がそれで安らぐなら、それはそれでいいんです。
でも、本人が望んでいない治療だったら、ちょっとどうか、と思うのです。
本人が別の治療(症状の緩和なり、自宅での療養なり)を望んでいるときに、『治るという奇跡を信じたいから』と薬の投与を拒否したり、退院を受け入れなかったりするのは、どうなんだろう。

もう何年も前のこと、ご家族さんで患者さんをどうしても旅行に連れていきたいという方がいました。
前回の記事のご家族さんではありません。
www.ro-katu.com


このケースでは、ご本人もずっと楽しみにされていて、体調が良くなったら一緒に行こう、と希望されていたそうです。
ただ、残念ながら機会を逸してしまいました。
もう、寝たきりに近い状態となった患者さんは、身体が辛くて眠れないので、眠れるように睡眠薬を投与して欲しいとおっしゃいます。
身体がしんどくてうとうととしかできないので、少しで良いからぐっすり眠りたいのだそうです。

しかし、ご家族さんは、薬で眠ってしまったら旅行に連れていけない、だから絶対に使わないでください、と言われます。
睡眠薬と言っても、いろいろな種類があって、眠ったきりになることは、普通はないですよ』
と説明しても、『でも、もし薬が効きすぎて眠ったままきりになったら?絶対にそんなことが起きないって言い切れますか?』と平行線です。

もう、すでに旅行に行ける状態ではないのですが、子供さんは『奇跡を信じています。明日になれば、母は持ち直すと思います。だから、あともう少し待ってください』とおっしゃるのです。
最後には、看護師が持っていく薬にも目を光らせて、いちいち内容をチェックするようになり、そこまでいくとちょっと病的な感じもありました。

結局、自分のお子さんが言うことなので、患者さんも争う気持ちをなくしたのでしょうね。
『薬はもういいです』と言われ、幸い、その後さほど辛い症状もなく、数日後に静かに亡くなりました。
が、亡くなった時も、ずっとつきっきりだったご家族さんは、泣き叫んで、蘇生処置を続けて欲しいと言い張り、当直だった外科の先生がとうとう『もう死んでる人が、かわいそうでしょう』と言って、半ば強引に死亡宣告したそうです。

奇跡を信じ続けて、その奇跡が起きなかった後、そのご家族さんがどうなったかは知りませんが、現実を受けれいることも大切だ、と思った一件でした。