とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

向上心

またもや某先生の手術に当てられてしまいました。
最近、多いような気がするんだけど。
と、何気なく口にしたら、術場責任者である上司から
『いやぁ、実は某先生は、昔ながらのオーソドックスな麻酔を好まれるもんで、最近の若手の麻酔は嫌がられるんすよ』
と言われました。
病院には大学から若手の先生が、週替わりの交代でやってきます。
ちょうどこれから専門医を取り、第一線でばりばり活躍して、いずれは指導医になっていく先生たちです。

若手の麻酔のどこがいけないの?と思うのですが、手術の流れや、術後のちょっとしたタイミングが、ご自分の思うところと違うのが、お嫌らしいです。
そういう細かいところにもこだわるあたりが、いかにも某先生らしい。
あのイチローだって、シーズン中はカレーしか食べないとか、バッターボックスでの所作とか細かいルーティンワークに強いこだわりがあった、と言うではないですか。
外科医だって同じこと。
ある意味アスリートなんです。
某先生に限らず、意外なところにこだわりのある先生は多いです。

でもな、某先生の麻酔はプレッシャーなんですよね。
ご自分に課していることを、周りにも要求されます。
まあ、それもよりより結果を求めてのこと、なんですけど。
でも時間が押すと、すぐに機嫌悪くなる。
そもそも私なんて専門医でもない、しがないバイトです。
最低限必要な一通りのことはできるけどね、麻酔は専門ではないのですよ。
だから、手技に関しては実は某先生が嫌がる若手よりも経験も少ないし、技術だって劣るんです。
無駄に歳食ってて、経験豊富に見える(かもって)だけで。

そんなわけで、その日も上司に、
『私がやったからって、早いわけでもないし、若手の先生の方がずっと上手ですよぉ。
今日だって、もしうまくできなかったら、速攻で先生をお呼びしますからねぇ』
と言う、やりとりをしたのでした。

そうして始まったその日の手術。
膝の手術の患者さんです。
前回、右側の膝の手術をして、今回は左側をする予定。
私の独断と偏見にまみれた私見を言わせていただくと、膝の手術を受ける人は、太った人が多い。
太っているから膝が重みに負けて、痛みが出る。
痛いから歩かない、動かない、でますます太る。
そしてそういう人に限って、太ることに危機感とか嫌悪感が全然ない。
だから、どんどん太っていく。
くだんの患者さんも、そういうタイプの方でした。
『前回の手術のあと、痛くてじっとしていたらすることがなくて、それで食べてばっかりいたからかしら、もっと太っちゃったの』
と、ニコニコしながらおっしゃいます。
お腹は『臨月ですか?』と言いたくなるくらいに、まん丸く出っ張ってます。
案の定、背中からの麻酔が入らない。
お腹が邪魔で丸くなる姿勢が取れない上に、腰が反り腰で、背骨がちょうど麻酔の針が入る位置で奥に引っ込んでる。
最大限、頑張って丸くなってもらって、やっと普通の人がそっくり返っているくらいの姿勢。
最初から負け感が漂っていたのですが、前回の手術では一回の穿刺で、見事に決めていました。
週替わりでくる、若手の麻酔医のうちの一人の女医さんでした。

確かに事前に確認したレントゲン写真では、割と麻酔の針が入るスペースも空いているようだし、なんとかなるかな、と期待したのですが、甘かった。
全然、はいりません。
どこからアプローチしても、跳ね返される麻酔の針。
背骨がまるで鉄壁のディフェンス。
こうなったら、奥の手です。

私の奥の手。

それは、上司を呼ぶこと。
私よりも格段に上手で、かつ経験も豊富な先生に変わってもらう。
この際、私のプライドとか、術場でのスタッフの評価とか、気にしている場合ではありません。
優先すべきは、円滑に進む手術であり、患者さんの負担の軽減。
ということで、朝の会話が期せずして現実となってしまいました。

ところが、困ったことに、上司の先生もすぐには手が離せないらしい。
しばらく待っててください、とのこと。
それまでは、一人で頑張ってね、とういことです。
そうこうするうちに、すでに手洗いを済ませ、手術用ガウンを身につけた某先生、ご登場。
進退窮まる、とはこのことです。
『すみません、先生。どうしても入らなくて。いま上を呼んでるところなんで、もう少しお待ちください』
こ言うときは、先に謝ったが勝ち。
でも、やっぱり不機嫌そうな某先生。
スタッフに言いつけて、モニターに画像を呼び出してる。
そのうち、
『ちょっと、私がやって見ましょうか?』
とおっしゃいました。
確かに、画像を見る限りでは、難しくなさそうなんですよ。
それにね、実は整形外科の先生の方が、この麻酔法は上手だったりするのです。
年中、手術で脊椎を直に扱ってますしね、研修医時代には麻酔も研修しているわけだし。
そういうわけで、早速お願いしました。

さりげなく自信ありげな、某先生。

ところが、ところがやっぱり、入らない。
レントゲンだけでは物足らず、MRIまでモニターに出させて、様々な角度でアプローチするも入らず。
私の何倍も時間をかけて随分と頑張ってましたが、その後すぐにやってきた上司と変わるまでに、もうだいぶん時間が経っておりました。
これだけやって入らない、となると、上司も入らなければ手術は中止?
いえいえ、そんなことはありません。
他にも方法はあるんです。
ただしその場合は某先生があまり好まれない、いわゆる『若手好みの麻酔方法』になっちゃいますけどね。
今回は、最後に上司が見事に入れてくれました。

言ってみれば、2m級のデイフェンスがゴール前に立ち並ぶところを、ピンポイントでかすめてロングショットを決めるようなアプローチでした。
さすがです。
気がつけば、若手の先生のうちの一人が、いつの間にか居る。
誰かが手こずっている症例がある、と聞けばおっとり刀で駆けつけるのが、若手、と言うもの。
今後の勉強にもなりますしね。

『前回は、若手女医先生が一発で入れてたんですよ。
(こんなに難しい症例なのに、すごいですね)』
と私が言ったら、彼曰く
『いや、多分、条件が今回と違ったんちゃいますかね。
今回は2回目やし、前みたいには体位もうまく取れなかっただろうし。前の時だって、偶然に入ったってこともあるし』
とそっけない。
おそらく同僚でもあり、友人でもあるだろう彼女に対して、意外にも厳しい評価。
あら〜、簡単には褒めないんだ。
むしろ、そのライバル心むき出しの言い方に、その若手先生の清々しい競争心を感じてしまいました。

そうなのです、彼らはこれからも、どんどんお互いに切磋琢磨しあって、上手になっていかねばならないのです。
安易にライバルを褒めてちゃいけない、のです。
彼の口ぶりには、もし自分もトライさせてもらえたら、例のミラクルアプローチも実戦できたのに、と言う挑戦者の気持ちもうかがわれました。
やっぱり、若いってこう言うことなんだな。

手術開始時間が大幅に遅れたけど、ご自分が一番時間を無駄にしていたせいか、幸いにも某先生から叱らることなく、手術は無事終了。
そのことだけで、よしとしてしまう私。
向上心がないな〜。