とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

尊厳死協会 ファシリテーター養成研修会

さて、この尊厳死協会、という団体。
会員数11万人という、かなり大きな団体のようです。
そういえば、実家の母も尊厳死協会の市民講座を聞きに行ったことがある、と言ってたっけ。
主に、一般市民=いずれ終末期医療のお世話になるであろう人たち、を対象に、啓蒙活動を行なっている団体のようです。

www.songenshi-kyokai.com


どんなことについての啓蒙かというと、リビングウイルについて。

終末期を迎えた時に、どんなことをしてほしいか、と言うより、して欲しくないか、を事前に明言化あるいは、然るべき人に伝えておくこと、ですね。

誰だって、自分が死ぬときのことなんか考えたくないし、それについて準備なんかしておきたくない、と思いますが、今の医療は、場合によっては本人も家族も、周りの誰も望まない形に進んでしまうことが、得てしてあるので、それに備えておこうよ、と言うことです。

例として、大橋巨泉さんと歌丸師匠の話が、取り上げられていました。
どちらも、メディアでずいぶん取り上げられていましたっけ。
今回の講演では、不本意な死を迎えた例、として挙げられていました。

確かに、現場から見ているとリビングウイルは大事だな、と思います。
自宅で穏やかに最期を迎える患者さんや、家族と接するにつけ
『最期は家が良い!!』
と言えたこと、その気持ちを受け止めて自宅での介護を選んでくれる家族をもてたこと、この二つの幸せに、私も恵まれたい、と切に思う。

我が家は私の商売柄、相方のおじさんや子供たちとは、いざとなったらどうしてほしいかは、折に触れて話し合っているけど、そう言う話を全くしない家族も、けっこう多い。

医療従事者でも、親とそう言う話を全くしたことない、って人います。
自分には絶対して欲しくないけど、父親が自分と同じことを考えているかはわからないから、いざとなったら、積極的に救命処置をすると思う、と言ってた救急の先生もいたっけ。
だったら、事前に話し合っておけば良いのに、と思うけど、そこは親子の関係性の問題ですものね。
腹を割って話し合うのが難しい、ってこともあるのかも。

さて、今回の研修会の目的は、そう言ったリビングウイルをしっかり作ってもらうためのACP(Advance Care Planning)が適切に出来るよう、施設や関係者の理解を深められる講義や講演をしてくれる人を養成する、のだそうです。

と言われてもね。

そもそも、なんでそんなことになったか、と言うと、このACPってのに、今度からお国から報酬がつくようになったから。
施設や、医療機関でACPをすると、いくばくかの診療報酬がいただけるらしい。
だからと言って、マニュアル的にACPをやって無理やりLWを作成させても、それは本末転倒だよね、って、
なんなのこの略字の羅列???
ほんと、この手の講習会に出て感じるのは、堅苦しい漢字の羅列か、わかったようなわからないような英語単語の連続、そして略語攻撃。
もう少しなんとかならんのだろうか?

と言うわけで、ちょっと寄り道して、
ACP:Advance Care Planningとはなんぞや、と言うと、リビングウイル(LWっての)を当事者に作ってもらうための、話し合いを促したり、情報を提供したりすること、らしいです。
ちなみに、リビングウイルってのは、自分の最期の時にどうしてほしいかを意思表示しておくこと、ですね。
Advance Care Planning、直訳すると、”より踏み込んだお世話・関心ごとの計画過程”、つまりは”いざという時の処置についての話し合い”、ってことかしらね。

ただね、そんないざという時のことなんて、実際に”いざ”となってみないとわからないことが多い。
どれだけ『何もしないで、穏やかに』と言っていた家族でも、息が止まった途端に、パニックになって救急車呼んじゃったり、なんて珍しいことではありません。

でもまあ認知症が進んで、自分で自分のことをうまく説明できなくなったような時に、
『虫子ばあちゃんは、食べるのが大好きだったから、胃瘻を入れるのはかわいそうだよね、このまま食べたしこ、飲めたしこで、好きにさせて看取ろうよ』
と、周りから言ってもらえるように、事前に話し合っておくのは大事です。

でも、点数加算欲しさに、『事前に話し合っていた』と言う証拠を残す目的だけ先行して、事務的にまだ元気な利用者さんや家族に、
『最期はどこで死にたいですか?
胃瘻はどうしますか?
挿管はしますか?
心肺蘇生は?』
みたいなことを、念書をとるみたいにして聞く施設もあるので、そう言うのはやめてよね、と言うのが尊厳死協会の希望らしい。

そして、利用者さんに将来なるであろう善良なる市民にも、正しい知識を広めてね、と言うのが目的です。

二日間に渡って、座学とワークショップをして、尊厳死協会が望むような講演、講義、講習会をやれる人を養成します。

と言いつつ、参加してきた私が言うのもなんですが、ちっとも”正確かつ適切な内容のACPを伝授できる人”になれた気は、全然しませんでした。

いいのだろうか?