とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

続・胃瘻〜作るか作らないか

胃瘻、という医療処置の功罪について話し出したら、キリがないのだけれど、いざとなると迷ってしまう処置の筆頭だと思います。

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先日、とある在宅介護のお家に伺った時のこと。
以前から、うちのクリニックで診察に伺っている高齢の患者さんでした。
ほぼ寝たきりの生活でしたが、最近、だんだんとご飯を食べる量が減ってきてました。
勧めても『もう要らないの』と食べたがらないのだ、と介護をしているご家族さんは心配そうです。
『それは自然な経過ですよ』と話しつつも、ご家族の希望で点滴をしていました。

点滴も、あまり長くなってくると点滴の針が血管に入りにくくなってきますし、所詮は水分を補給しているだけなので、徐々に全身がむくんできたり、肺に水が溜まって呼吸苦の原因になったりします。
そろそろ、点滴も控えて見守るだけにする段階に来ていました。
診察時も穏やかな表情で、すやすやと眠られていて、本当に幼子のようなお顔です。

『昨日から、もう何も食べなくなってて、、、』
とご家族さん。
それも自然な経過ですね、苦しさも出なくて良い経過だと思います。
ご家族さんの言葉にうなづきつつ、
『そういえば、他の親族さんやご家族にご連絡はしましたか?』
と、何気なく聞いてみました。

『えっ!?』

すると、今まで普通に冷静に話していたようだったご家族さんの顔つきが変わりました。
『それって、、、、もう、危ないってことですかっ!?』

ちょっとびっくりしたのですが、経過から見てそろそろお迎えを待つ状態になっておられると思う旨、お話ししました。
見たところ、同居のご家族さんが一人で介護されているようでしたから、他のご家族の心残りにならないよう、息があるうちにあってもらっておいたほうが良い、と思われることなど。

すると。

『ちょっと、ちょっと待ってください』
と取り乱した様子のご家族さん。
『あの、家で看取るのは、ちょっと、無理、って言うか、出来ないです。。。。
そんなこと、、、、考えてませんでした。
もう、そんな段階なんですか???』

あれ、違ったのかな。

同行の看護師さんも、私も思わず顔を見合わせました。

自宅で介護すると決めた時点で、看取りも自宅でされるものとばかり思っていました。
ご家族さんとしては、
『看取りはやっぱり病院でしてほしい、患者さんが息をひきとる際に、独りで立ち会うのは怖いから。
でも、それってまだ何年も先のことでしょう?』
と思っておられたそうです。
もちろん訪問看護師も頼めば来てくれますが、息をひきとる時に、一緒にいてもらえるとは限りません。

独りじゃ、無理、無理、無理っ!!!!

ご家族さんは、すっかりパニックになっていました。

『このまま栄養が取れないなら、胃瘻を作ってもらおうと思ってました』
とおっしゃいます。

申し送りでは、”胃瘻の希望なし”だったんですけど、ね。

『最初は、胃瘻を作ってまで、って自分も思ってたんですけど、近所の〇〇さんとこが胃瘻にして、もう3年も元気でいるって聞いて、やっぱりって思うようになって』

そうなんですね。

たとえ、寝たきりで意思疎通もできなくて、ただ息をしてウンチやオシッコをするだけの、お人形さんのような姿でも、やっぱり親は親。
大事な家族。
息をして、そこに存在していてくれるだけでも、生きていてくれるだけでも、良い。

それより何より、自分独りでいる時に呼吸が止まったら、どうして良いかわからないし、怖い。

一旦在宅での介護を選択したから、と言っても、絶対に自宅で看取らなくてはいけない、と言うことではありません。
特に、”最期の息をひきとる時に立ち会うのが怖い”と言う人はたくさんいらっしゃいます。

考えたら、人が亡くなる場面に遭遇することなんて、今の時代、滅多にありません。

私たち医療者でさえ、呼吸が止まってから呼ばれることの方が多い。

誰だって、初めてのことは怖い、です。
ましてや誰よりも親しく、日々一緒に暮らして来た家族であってみれば、動揺するのも当たり前です。
昔は死亡率も高かったし大家族だったから、こう言う時に付き添ってくれる経験者がいたのだろうけど、現代社会に生きる私たちは、独りで介護していることも多いですから、いざとなったら独りで、その初めての悲しいことに立ち向かわなくてはならないのです。
よっぽど、心の強い覚悟の決まった人でないと難しいのだろうな、と思います。

だから、ご家族さんの動揺もよくわかる。

ただ、この状態の患者さんが胃瘻を作りたいと希望しているかどうか(訪問開始時は希望なし、でしたし)もう聞くことはできません。
それに、自然経過で”老衰”としか言いようのない状態の患者さんを、受け入れてくれる病院があるかどうか、も不明です。

以前の、と言うか今でも、一部のパターナリズム主体の医療だったら、こう言う時は有無を言わせず、
『家で看取りなさい。それしかないですよ』
と言うのでしょうけど、それもどうかと思うのです。

結局、しばらく看護師さんと二人、ご家族さんの気持ちを聞きました。
他のご兄弟姉妹(いずれも県外)に連絡を取って、どうしたいかを決めたい、と言うことで落ち着きました。

自然に、苦しまないような最期を。

言葉で言うのは、簡単だし、とても格好いいです。

でも、実際はなんとも難しい、そう思ったのでした。