とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

なんとなくもやもや

最近では、老人ホームや介護施設でも終末期のお看取りをするようになってきました。
今まで、馴染んで暮らしてきた我が家同然の場所を、もう死にそうだから、とか、ただ死ぬためだけに、追い出されて病院に搬送されちゃうのってどうなんだろう、と常日頃から思っているので、そういう施設が増えて行くのは良いことだと思います(*1)。

ひとくちに介護施設、と言っても経営者や運営者が医療関係者ではないところが多いです。
むしろ、建築関係、土建関係の会社が経営していたりするらしい。

とある施設では、明らかに元は土建業、と思われるおじさんたちが、おそらく再雇用で介護者として入っていて、入居者さんの扱いが下手で指導が大変だった、と聞いたことがあります(*2)。

そんなある介護施設で、終末期の患者さんがいるので診て欲しい、と依頼がありました。
ご家族は、このまま施設での看取りを希望。
というか、この入居者さんの場合、一番近い身内が無くなったご兄弟の娘さんの配偶者。
つまり、姪御さんの夫さんという、ほぼ他人みたいな関係の人しかいない。
しかも県外在住。
当人同士、顔を合わせたのはせいぜい結婚式とか葬式くらい、という関係だそうです。
今後、こういう人増えていくのだろうな。
私にだって、起こり得ない、とも限らない。
とても他人事とは思えません。

それはさておき、この入居者さんは施設にお伺いした時はご自分のお部屋のベッドに寝ていました。
呼吸はやや不規則でしたが、顔は穏やか。
お尻に褥瘡が出来かけていましたが、なんとか皮膚の赤みだけで頑張っています。
診察に立ち会ってくれた介護士さんの声がけの様子から、大事にお世話されてきたのだろうな、と感じ取れます。
足の血管から点滴が、1パックだけされてました。
終末期には、点滴は治療にも何もなりませんし、むしろ、量が多いと浮腫みや痰が酷くなるので、本人のためを思えば本当はしない方が良いのですが、介護者さんたちが『点滴は続けても良いでしょうか?』とすがるように言われるので、”点滴をしている”ということで、お世話をする人たちが安心するなら、まあ少しくらいは良いかな、と思って続けることにしました。

その後、数日して定期の往診で施設に行くと、いつもの部屋に入居さんがいません。
どこに行ったかというと、隣の建物に併設されているデイケア施設に移動させられていました。

今にも呼吸や心臓が止まりそうな人です。

他のお年寄りが、ゲームをしたりご飯を食べたりする広間の隅っこに、ベッドが置かれていて、そこに寝かされていました。
聞けば毎朝、職員数名がわざわざストレッチャー(移動用の台車)に移して、連れてくるそうです。
でもって、夕方にはまた部屋に戻すのだとか。
華奢なお年寄り、とは言え、点滴も入ってますから独りで抱えて連れてくる、というわけにも行かず、何人かで抱えて&付き添っての花魁道中だそうです。

なんでまた、そんな手間のかかることを?

と不思議に思いましたが、施設の経営者さんのご意向だそうです。
なんでも『昼間に独りで息を引き取っていたら、可哀想だから』だとか。

それにしてもな〜。

デイケアには、手のかかるお年寄りもたくさん。
デイケアに連れてこられても、職員が他の利用者さんの世話に追われていたら、息を引きとてったって、しばらく誰も気づかないってことも、あると思うのだけれど?
さらに、デイケアには認知症もない元気なお年寄りだって通ってきてます。
そういうお年寄りたちは、死にかけている人が、自分のすぐそばに寝かされている状態で、ゲームをしたり歌を歌ったりする、ということについてどう感じるのでしょうか?

歳をとったら、死が直近になってくるし、今のお年寄りたちは先の大戦で、私たちよりも死が身近にあることに抵抗がない、とう話も聞くから、思ったよりは平気なのかな?

私だったら、静かな部屋で過ごしたい、と思うけどその時になってみないとわからないしな。
誰にも気づかれずに(と言っても、何日も発見されずにいるわけじゃないし)ひっそりと逝くのも、悪くないんじゃないか、と思うのだけれど、『独りで息をひきとるのでは、寂しそうで可哀想』という考え方もあるのだな、その時は思ったのです。

それでも、わざわざベッドからストレッチャーに移されて、またベッドに移されて、という事を朝な夕なにするのは、本人の身体にも負担になるだろうし、スタッフも大変です。
『お部屋で様子を見られても、良いのではないでしょうか』
と、経営者さんと施設長さんに言うと、
『先生が、そうおっしゃるなら』
そうします、とのこと。
あら?
意外と簡単に引き下がるのね?

後で、同行していた看護師さんが言うには、
わざわざ居室までこまめに見回りに行けないから、いつの間にか息を引き取っていたら、いつ死んだかがわからない状態になって外聞が悪い、と思ってるんじゃないですかね。
だいたい、『日中は見回りに行けないって』言うけど、夜だってずっと付き添って見てるわけじゃないし。
それに死にかけててもデイケアに連れて行けば、その分、デイケア加算が取れるから、と言うだけのことですよ。
とのこと。

ああ、そう言うことなんですね。

だから、ドクター指示で移動させない、と言う話になれば、やけにあっさりと『じゃあ、そうします』と言う話になったんだ。
”ひとりじゃ可哀想”な訳じゃないんだ。
もちろん慈善事業じゃないですしね、多少は経営のことも考えないと。
だけど、な。

何も、四六時中付き添っていなさい、と言うわけではありません。
自宅で介護してたって、病院で看護してたって、息をひきとる瞬間に誰もいない、ってことはよくあることです。
せめて、朝と夕方にしか普通は見に行かないところを、ちょっとその合間に見に行ってあげるくらいの心配りは、出来ないのかな、と思ってしまったのでした(*3)。



*1: 残念ながら、そう言う施設は少なくありません。
表向きは、『施設での看取りもします』と謳っていて、加算もとってるけど、実際は、偶発的に亡くなっていた人を件数に上げているだけで、具合が悪くなって余命が厳しそうな人は当然のように、なんだかんだ言って病院へ送ってしまう施設。
あとは、点数が下がるから、と認知症のお年寄りを三ヶ月ごとにグループ施設内でたらい回しするところなんかも。
認知症の方にとって、自分の周りの環境が変わることが一番良くないのに、変わるたびに”不穏”が出て、その度に『なんとかしてください、薬増やしてください』って言われてもなぁ。

*2:そりゃあ、土囊袋と老人とで重さに大差はないかもしれないけどさ。
やっぱり、取り扱いにはそれなりの注意を払っていただきたいものです。それにたとえ今は認知症でも、かつてはれっきとした社会人だった方達です。
プライドだって尊厳だってあるのです。

*3:結局その入居者さんは、朝の巡視の時に冷たくなっているのを発見されたそうです。夜の間に”ひとりで”息を引き取ってたのですね。
早朝、呼ばれて確認に伺いました。
確認に立ち会ってくれたのが、最初の頃についてくれた、優しそうな介護士さんだったことと、死に顔が穏やかだったことがせめてもの幸いだったかな、と思った一件でした。