とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

胃瘻〜作るか作らないか

思うに、胃瘻ほど評価の分かれるものはないような気がする、今日この頃。

ところで、胃瘻ってご存知ですか?
ごく一般のごく普通の生活してたら、まずお目にかかることはないであろう医療処置の一つです。

すごく乱暴に言うと、お腹のところから胃に直接、穴を開けてチューブを入れておく方法、です。
そうすることで、チューブを通して食べ物が口や喉を通らずに直接胃腸に入れることが出来ます。

ここで世間的に誤解の多い、点滴について、一言。
点滴って、栄養補充の方法としては、それほど有意義ではないってご存知でした?
よく、具合悪いと『点滴してもらって楽になった〜』とか言いますよね。
甘酒のことを”飲む点滴”なんて呼んだりしてるし。
だけど、あれって九割がたは”気のせい”なんですね。
(ちなみにこの割合は私が勝手に印象からつけたもの、なので別に出典はありません)

本当に栄養になるのは、経腸栄養。
つまり、胃腸を介して体に入るのが、体にとっては一番栄養になるのです。
集中治療室で高カロリー輸液なんかするのは、単純に口から栄養が取れないから。
少しでも腸が使える状態なら、鼻から管を入れてでも栄養を流し込みます。

例えば歳を取ると、だんだん飲み込むのが下手になります。
高齢者で飲み込み方が上手にできなくなると、食べたものが口から胃腸の方ではなくて、気管の方へ入ってしまう。
そして肺炎を起こすことになります。
これを誤嚥性肺炎と呼びます。

肺炎を起こすと、熱も出るし身体はきついし、酸素が十分取り込めなくなりますし、で命に関わることもある。
なので誤嚥性肺炎になると、『しばらくは絶食』と口からご飯を食べるのを禁止します。
そして鼻から管を入れて、栄養を入れることになる。

さてその鼻からの管ですが、長期に渡ると鼻の入り口がただれてきたり、鼻血が出やすくなったり。
そもそも、意識の少しでもある患者さんにとっては、かなりの違和感と苦痛を伴います。
認知症が進んで、処置の理由が理解できないお年寄りなどでは、嫌がって抜いてしまうこともあるので、鍋つかみのような手袋をされてベッドの柵に縛りつけられたりする。

そこまでしても、また肺炎が治って食べられるようになればいいですけど、なかなか治らなかったり、食べたらすぐまた誤嚥して肺炎になってしまう、と言うこともよくあります。

そんな時いつまでも鼻から管を入れて、縛りつけたり、薬で眠らされていたり、は可哀想だよね、となって”胃瘻を作る”ことになります。
胃瘻を作れば、意識のない脳死状態の患者さんでも、年余にわたって生きていられるます。
ご飯を食べなくなってきたお年寄りでも、とりあえず強制的に栄養を注入することもできます。

そこで、色々と問題も生じてくるわけです。

寝たきりで意識もないのに、胃瘻を作って、栄養さえ入れて入れば生きていられるけど、ただ生きているだけで”人”としての尊厳はあるのだろうか、と言う意見ですね。

北欧などでは、自力で食べられなくなったらそこが寿命、と言う考えをとって、高齢者に胃瘻を作ることは、まずしないそうです。

私も、基本的にはその考えに賛成です。

私も、母親も、相方のおじさんも、自力で飲み込めなくなったら胃瘻は作らないで欲しい、と常々言ってます。

だけどね。。。。。

先日、嚥下内視鏡検査(*)を行ったお宅での話です。

その方は、脳出血の後遺症で半身に麻痺があります。
意思の疎通もちょっと、と言うかかなり難しい。
半年ほど前に、同じ検査を受けてて、その時は『飲み込みは正常とは言い難いけれど、食物の形態や食べさせ方を工夫すれば、なんとか食べさせることはできるでしょう』と言う結果、でした。

それがその後、何度か熱が出たり、体調不良になったりしているうちに、飲み込むのがさらに下手になってきた様で、食事の後に吐いたり、痰がものすごくたくさん出る様になってきました。
時には、痰が詰まって顔色が悪くなり、酸素濃度(指で簡単に計測できます)が下がってしまうことも増えてきました。

それでもう一度、検査をすることになりました。

この検査の良いところは、家族も一緒に画面で見ることができること。
残念ながら、嚥下の機能は前回よりもグッと悪くなっていて、口に入れた食べ物は、喉の位置で食道に入る前に気管に流れ込んでいました。
流れ込んだ食べ物が痰に混じって、その後からぜろぜろ出てきます。
流れ込んだ量が多ければ、酸素が下がってしまうのも、納得がいきます。
つまり、口から食べ続ければ、誤嚥性肺炎や窒息は免れない、状態でした。

ご家族はショックを受けた様でした。

半年前までは、飲み込めていたのに。。。。

でも、これが歳をとる、と言うこともでもあるのです。

さて、ご家族は最初『在宅で患者さんをみる』と決めた時、胃瘻は作らない、と決めていたそうです。
お腹に穴を開けてまで、生かしておくのは非人間的な行為、だと思っていたから、だそうです。

だけど、今の患者さんの状態を見ると、このまま胃瘻を作らず、食べたら肺に入ってしまうから、と食べさせずにいる、と言うことは出来ない、と悩んでしまいました。

食べさせてはいけない、と言うことではないのです。

ただ、食べたら肺炎になる、けど、そこは自然の経過の一つだ、と割り切って食べてもらえばいいのです。

そうは言っても、食べたら窒息するかも、肺炎で具合が悪くなるかも、と思いながら食べさせるのも怖い。

もう八方塞がり。

『もう寝たきりで、なんにもわかんない人だったら、このまま見守ることもできたんだろうけど。
こちらが言うことに、答えたりはできなくなったけど、こんな風に車椅子に座って、テレビ見て笑ったりすることもあるし、時々は呼ぶとこっちを見て笑ってくれたりする姿を見てると』
とご家族。
ご本人さんは、キョトンとしてます。
もう、ほとんど幼い子供の様になってしまっているのです。

親であった頃の”しっかりした人”ではなくなっていても、毎日オムツを替えてやり、体を拭いてやらないと、何一つ自分ではできなくなってはいるけれど、やっぱり大事な大事な、愛しい家族なのです。

『胃瘻を作るのは、すぐではなくても良いのですから、ゆっくり他の家族とも話し合ってください』と言って辞してきました。

栄養補充のことだけ、延命のことだけ考えたら、胃瘻を作った方がいいのでしょう。
だけど、それが本当に本人にとって幸せなこと、なのだろうか。

だいたい、胃瘻を作って栄養を入れたとしても、誤嚥はおきます。
口の中は食べ物が入らなくても、唾液の分泌がありますから。嚥下ができない人の場合、唾液は常に気管に流れ込んでしまいます。

それに長生きすればするだけ、長期にわたる介護で、家族の方が疲れ果ててしまったり、病気で入院してしまったりして、最終的に施設に預けられるケースだってあります。
社会問題となっている、膨らみ続ける医療費の問題だって、こんなところにもあるのです。

いっそ、北欧のように一律に”作らない”と決められてしまっていれば、家族は悲しむことはあっても、悩むことはないと思います。

”作る”か、”作らないか”
選択肢の自由を与えられている分、ある日突然、選択を迫られて、家族が悩むことになるのが、日本の現状なのです。




(*)嚥下内視鏡検査:
最近、うちのクリニックでも機械を購入したので、この検査が在宅で出来るようになりました。
鼻から細いカメラを入れて、喉を観察しながら食べ物を飲み込んでもらって、それをビデオに撮って記録します。
この検査以外の方法となると、レントゲンで透視しながら食べてもらうと言う方法しか、今のところ検査方法がありません。
そして、レントゲン透視の方法に比べ、設備も不要な上、人手も少なくて済むので、嚥下内視鏡検査はなかなかにコストパフォーマンスの良い検査でもあるのです。