とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

たそがれてゆく子さん

著者の伊藤比呂美は1955年生まれ。
ちょうど私より10歳年上。
育った環境も、暮らしている世界も微妙に違いますが、私は、女子校(行ったことないけど)のちょっとやんちゃな先輩、と言うイメージを勝手に抱いております。
この度、図書館でふと見かけて、本当に
『あら〜、せんぱ〜い。お久しぶりで〜す。元気でしたかぁ?』
と言う気持ちで、手に取りました。

思えば、伊藤センパイには人生の節目節目ではお世話になって参りました。
良いおっぱい悪いおっぱい”に始まる様々な育児エッセイは、何度も読み返したな。
その後、娘が難しい年頃に突入した折には、”伊藤ふきげん製作所”でなんだか救われた気がしたものです。
決して、明確な解決を教えてくれるわけでもない。
でも、渦中にある時の大変さ、日々のすっきりしない気持ちのもやもやを、一緒にもやもやしてくれる、そんな感じがしたものです。

私は一人っ子ではないし、摂食障害になったこともないけど、現在の日本で女性が働きながら、結婚して妊娠出産して、子育てして、と言う流れの中でぶつかってきた様々な事柄が、一つ一つ自分が置かれている状況に重なって、著作を読むたび、人生の先輩に
『そうそう、私もそうだったのよ〜』
と言われているような気がしたものです。

今回の”たそがれてゆく子さん”では、センパイはいつの間にか離婚して(”おなかほっぺおしり”では、優しくて子育てにも協力的な旦那様で、めちゃくちゃ仲よさそうだったのに!)なんとアメリカに移住。
アメリカ人男性と再婚して、三番目のお子さんまでもうけていた。
振り幅、激しすぎますよセンパイ。。。。


そしてその旦那様を看取り、ご両親をそれぞれ順番に看取り、さらにはお孫さんまでいて、すっかり老境の域に達しておられました。
すごい展開(゜o゜)!!

よく考えたら、私は先輩の著作を全部追っかけていたわけではなく、自分に都合のいいトピックスの時だけつまみ食い的に読んでは、勝手に人生のセンパイ扱いしていただけなのでした。

でも、本を読むのに正しい読み方、なんてないと思うの。
人生のその時、その時に、自分の置かれている状況に、必要としている言葉をふっと投げかけてくれる本を読む。
都合よくそう言う本を見つける。
そう言う読み方もあり、だと思うのです。

伊藤比呂美センパイは、そう言うわがままな読み方をしても、全然怒らない。
て言うか、自分のことしか話してない。
そこがいいんですよ。
一緒に自分のことも安心してだらだらと話して、終わってみたら、妙にすっきりしている。
この感じがなんとも言えず、”癖”になる作家さんです。

そしてかつて可愛らしい幼子だった娘さんたちは、いつの間にか激情の10代を生き延び、今や母語は英語となってアメリカ人として(?)生活している。
(母に注意されないと、日常会話も英語という娘たち。
詩人の母はどう思っているのだろう?)
渦中にいるときは、『この先どうなるのだろう』と不安でいっぱいなんだけど、そのときは足掻いていても、後になってみたらなんとかなっているものなんだな、とちょっと安心したりして。

久しぶりにあったセンパイ、お元気そうで安心しました。
また近況を教えてくださいね。

さすがはセンパイ、やっぱりこんな本も出されていました。
妊娠出産以上に、女性にとっては大きなイベントですものね。
ただし、先輩の場合はそれほど辛い症状はなかった模様。
いえ、それはそれで良いことなんですけどね。
もっとセンパイらしく微に入り細に入り、ねちっこくみっちりと書いて欲しかったな。
ちょっと物足りないというかなんというか。。。。