とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

その翌日

市内全域に避難勧告が出されてるし、新川も警戒水域を超えた、と言うニュースが入ってるし、『どうなることか』と思いながらお布団に入った水曜日の夜。
そして明けて翌朝、すっきり晴れて快晴、とまではいきませんでしたが、少なくとも雨は止んでました。

この際、雨が止んでるだけで御の字です。

26年前のあの頃、私は鹿児島市内でも水害の被害を受けずに済んだ谷山地区に住んでまして、その上、大学で研修しておりましたんで、朝から晩まで手術室にいて世界一外界から隔離された環境にいました。
SNSも携帯電話もなかった時代ですのでね、実家の親から電話が来て初めて町が大変なことになっていると聞かされてびっくり。

慌ててテレビをつけたら、見慣れた町の風景が一変。
家も、自動車も何もかもが泥水に浸かってましたっけ。
あの夜のことは、後から経験者の語りで知りました。

ある先輩はバイト先の病院から帰ろうとして、
『ちょとだけ手伝ってください』
と言われて救急外来に手伝いに行ったら、次々と怪我人が運び込まれて、帰るに帰れなくなり、気がついたら明け方だったそうです。
その病院では最後は病室が足りなくなってしまい、廊下に椅子を並べて患者を寝かしてたそうな。

一方で当時、市内の真ん中あたりにあった市立病院は、病院の周りが冠水し、病院自体が水没してしまったため、救急車がたどり着けず、急患が来るからと待機していたけど、帰るに帰れず麻雀とトランプを延々していたとか。

その後も、地域によっては長いこと断水して地味に不便で大変でした。
家の水が出ないからと、病院のシャワー借りて、水道の水をタンクに汲んで持ち帰る職員もいたくらいです。

今回は、そこまで被害がひどくなくて本当に良かった。
前回の時、氾濫して市の大半を水浸しにした甲突川も新川もその後の護岸工事のおかげで、無事でした。
市の全域に避難勧告が出たことについては、色々と批判もあるようですが、勧告が出たおかげで、仕事を休みやすくなったり、早退しやすくなったりしたのは確かだと思う。
避難勧告が出たせいで、『これはただ事ではない』と、予定を変更して外出せずに家にいた人も多かっただろうし、おかげで道も渋滞せず、冠水で立ち往生することもなく、結果として無事だった部分も大きいと思う。
実際の避難については、各自が判断して決めるしかなかった、とい言うけれど、そもそも、災害時にはそれぞれが自分で考えて判断すべきではないでしょうか。
災害なんですから、どうしたって何かしらの不便や苦痛はともないもの。
他人の判断ばかりあてにして、言われた通りにしたのにと、後から苦情や文句を言うのは公正ではない気がします。

今回は、鹿児島に住んでいる以上避けられない災害について、自分なりに考えるいい機会でもあったのかな、と思います。
ハザードマップや、避難所の場所や、実際に避難する時に必要なものについて初めて確認した人も少なくないはず。

自分ことは自分で。
もちろんできる範囲でだけど。