とりあえず始めてみます老いじたく

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すばらしい新世界〜オルダス・ハクスリー




先日の『幸福な監視国家・中国』で、とりあげられていた小説。

オーソン・ウエルズの『1984』と並ぶディストピア小説の古典だそうです。
『1984』よりも、前の1932年に発表されています。


『1984』は確か、1984年に読んだ記憶がある。
だけど、こっちの本は読んだことあったかな?
あったような、なかったような。
早速、図書館で借りてみました。

最初の出だしから、どこかで読んだことがあるような、ないような。
単純に覚えてないだけなのか、同じような内容のSFをあちこちで読んだせいなのか。

解説を読むと、後続の作品が数多く書かれているそうなので、ちょうどシェイクスピアを今の時代に読むと、どこかで読んだようなプロットのお話ばっかりだな、と思ってしまうのと同じ現象なのでしょう。

そう言えば、奇しくも主要キャストにやたらとシェイクスピアを引用する人物が出てきます。

『1984』に比べると、どこがいけないの?と言いたくなるくらい、明るくて幸せそうな社会ですが、その明るさの裏側にある冷酷さが、しみじみ怖い。


舞台は、西暦2540年のイギリスはロンドン。
九年間続いた世界的戦争と、経済破綻を経て、人類は、とにかく安定と(万人のための)幸福を追求することを選択。

人間は今や、人工的に生産される存在となっています。
特殊な環境を提供する瓶(人工子宮)の中で、様々な条件を付加されて育つのです。
この世界では、生まれながらに、どころか生まれる前から、受精卵になる前から遺伝子操作され、階級が決まっています。
さらに受精卵になってからも、クローニングの技術によって胚分裂の回数もコントロールされて生まれてきます。
さらに、生まれてからは徹底した睡眠学習、無意識下に働きかける学習プログラムによって、適応される階級に望ましい行動を取るよう条件づけられている。

出産が完全に性行為と切り離され、育児に家庭が関与しなくなったた結果、性行為は社会的コミュニケーションの一方法と位置づけられいます。
そのため、セクハラ行為は望ましいマナーとして推奨されている。

さらに、家族や家庭といったものがなくなり、家族、父親、母親といった言葉は、かえって道徳的に恥ずかしいものと捉えられるようになっています。

そこでは、もっとも上位のアルファ階級からベータ、シータ、デルタ、と階級別に出生数も割り当てられており、もっとも下級のデルタやイプシロンは、単純労働を担っています。
画一化された労働者を必要とする工場では、おなじ特性の受精卵を大量に胚分割させたデルタやイプシロン階級のクローン人間が工場労働者として働いていたりします。

アルファやベータ階級以外の下級階級の人間たちは、もともと不妊処置を施されており、勝手に生殖することもありません。

娯楽は階級ごとに推奨されるスポーツ(内需拡大のため)や感覚刺激で、ストレスや抑うつ気分、老化は身体のホルモンを調整するドラッグを、適宜投与。
60歳くらいまでは若い肉体と精神を保ち、ある時点でポックリと死ぬ。
それが、この世界の人々の一生。

宗教が存在しないこの世界では、“死”は物理的な変化ととらえられており、子供たちは死ぬことは一種の娯楽と考えるよう、教育されます。
死んだのち、遺体はすみやかにリサイクルに回されます。

どの階級の人間も、幼少期から自分の階級に満足し、望ましい行動を取るよう条件づけられているので、表向き幸せな人間たちで構成されている、それがハクスリーの“新世界”です。

イプシロンは、自分がイプシロンでも気にならないのよね」レーニナは声に出して言った。
「そりゃそうだ。当然だろ。それ以外の自分を知らないんだから。もちろん僕らはイプシロンなんて嫌だけど、それはそういう分に条件付けされているからだよ。それに、もともと別の遺伝形質を持って生まれてきてる」
「わたし、イプシロンじゃなくてよかった」レーニナはきっぱり言った。
「もしきみがイプシロンだったら、条件付けのせいで、ベータやアルファじゃなくてよかったと思うはずだよ」


さて、そんな“素敵な”世界ですが、ここに不幸な男が3名登場します。

最初の不幸な男、ハーバード。
かれはアルファプラスという最上級の階級にいるにもかかわらず、遺伝子の悪戯で、下層階級の身体的特徴を持って生まれてきてしまいます。

そのため世の中を拗ねており、うまく社会に溶け込めずに孤独の中にいます。
そんな彼を、周りもちょっと煙たく思っている。

「噂だと、瓶の中にいた頃に手違いがあったんだって、ガンマとまちえられて、人工血液にアルコールを投与されたとか。それで発育が阻害されたの」

なんて陰で言われてたりします。
実際にそう言った、ヒューマンエラーが起こる話も、作中にさりげなく挟み込まれている。

共同体の幸福を第一に考えるこの社会では、孤独であるとか、孤立しがち、という性格はそれだけで反社会的。
実際、上司から左遷されそうになっています。

そんなバーナードの親友がヘルムホルツ・ワトソン。
彼は、アルファプラス階級の中でももっとも、見た目と頭脳に恵まれていてます。
そして、恵まれすぎているからこそ(?)周りから浮いていて、孤独を感じている。


さてある日、バーナードが休暇を利用してニューメキシコ州の保護区に出かけ現地で“野人”ジョンと出会ったところから、話は転がり出します。

この世界にも、旧世界時代の習慣を頑なに守って、出産育児を家族単位で行い、宗教行事を行なって社会を運営している人々が居て、彼らは保護区に隔離されていました。

そして、上流階級の中でも限られたエリートだけが、保護区に行くことが出来るのでした。
アルファ階級の人々が保護区に行くのは、積極的なことではなく、研究目的のようなものでしたが、行くには特別な許可が必要だったりと、特権中の特権。

バーナードは、意中の女の子レーニナを誘うために、自分の特権をつかって、保護区への休暇に誘ったのです。
レーニナはベータの女の子なので、普通だったら行けない保護区に行って、友達に自慢したくてついていきます。
レーニナは、かわい子ちゃんで、人気者。
”新世界”での幸せを、なんの不信もなく満喫している人物として描かれています。

ところで保護区には、なんと20年前に行方不明になったベータ階級の女性リンダと、リンダの産んだ“野人”ジョンが住んでいました。

リンダは、バーナードの上司ともと付き合っていましたが、レーニナと同じように、上司と保護区に来た際に、落石事故に遭い、失踪。
その後、原住民に保護されて生きていたのでした。

この世界では、適宜子孫を残すため上級階級の人々は不妊化されていないのですが、通常の性行為では妊娠しないよう、避妊技術を徹底して教育されています。

しかしながら、人のすることですからエラーというものは避けられないもので、リンダは失踪時、”運悪く”妊娠していました。
そしてその不祥事のため、”新世界”の係官に連絡することができずに、そのまま原住民の村でジョンを出産、育てたのです。

ジョンは、ジョンで母親が“新世界”出身であったため、部族の一員として受け入れられず苦しんでいました。

バーナードはリンダが、自分を左遷しようとしている上司の元カノであると気付き、“野人”ジョンとリンダを説得して、ロンドンへ連れ帰ります。
上司への反撃として利用するためでした。

しかしながら、社会はバーナードの予想を超えて大騒ぎになります。

保護区での生活のため、老化が進んでしまったリンダは、現実に耐えられず、余生を薬漬けで終わります。
元々、原住民との生活にも耐えられずずっと地酒でアル中状態だったので、より効果が高くて副作用の少ないドラッグに、嬉々として中毒するようになったのです。

バーナードは、一躍時の人となり、人々にちやほやされて、すっかり鼻持ちならない態度。
ジョンのことは、単なる人気取りの道具としか考えなくなってしまいます。

ジョンはジョンで、母親から聞かされていたはずのパラダイスに、最初は喜んだものの、自分が今までいた世界との価値観のギャップに苦しみます。

唯一、悩みを共有するベルツマンとの友情を培うジョン。

とうとう、ジョンがデルタの労働者たちを、“解放”しようとして騒ぎを起こしてしまい、バーナードとベルツマンも連座して処分されることに。

ジョンは、どうしても“新世界”になじむことができず死を選び、話は幕を閉じます。

ジョンが、自殺を選ぶ過程が今一つピンとこない。

1984』は暗くて、お先真っ暗なりに、少しは希望の光がありそうな終わり方だったのに対して、こちらの話は、明るいけど、先の見えないバッドエンド。

この後味の悪さも、なんとも言えない。

社会の構成員の大半が幸せで疑問を感じていない世界のどこが問題なん?
と言ってしまえばお終いなところが、この作品の救いようのなさなのかと思う。

トリビュート作品が、数多く描かれているのもわかるような気がします。

ちょっとした細かなシーンも、示唆に富んでいて、ふとした折にまた読み返したくなりそうな、そんな本でした。