とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

幸福な監視国家・中国〜高口康太


前から興味があって、読もう読もうと思いつつ、なかなか読み始められずにいた本。
年末年始に一気に読もう、と思ったけど、けっきょく、なんだかんだで時間が取れず、地味にコツコツと読み進めておりました。

本文だけなら234ページほどの新書版、文章も平易で読みやすい。
私はとても勉強になりました。
知らなかった事が、たくさん載っていて、何度か読み返しつつ、やっと読み終わったところ。

今回の勉強になった言葉。

キーワードその1:
個人のプライヴァシーと、利便性と安全性はトレードオフの関係にある。

より安全で快適な社会に住みたい、という欲望が監視社会を推し進めていく。

たしかに全くその通りです。

例えばうちの近所は、比較的ゴミ捨てのマナーが良い地域なのですが、それでも、最近は不心得者がいてルール違反のゴミ出しがある。
ゴミ捨て場が汚れるし、違反ゴミでも置きっぱなしだと、それに便乗した違反者が更にでてくるので、掃除当番の家が、わざわざ持ち帰って分別し直して捨てています。
でもそれって、“違反した者勝ち”でどうも釈然としません。
いっそ監視カメラで違反者を特定して、ペナルティを課すくらいのこと、行政がやってくれたら良いのに、と思うこともある。

実際に、それに近い状態なのが昨今の中国で、街の至る所に監視カメラが設置されて、交通違反や様々な違反行為を監視している。
おかげで以前と比べて、随分安全で、清潔な街になっているそうです。

ネットでも、お互いに評価し合うことでよりサーヴィスの良い、安全なお店が増えてきたそう。

中国では、もともと急に経済が発達して、ずるでもなんでもやったもん勝ちの人々を、なんとかして取り締まりたい、という需要があったところに、テクノロジーの進歩が加わり、さらに政府が主導して監視社会化を推し進めているので、ますますその速度が速く、技術の進歩も早い。

また中国には、悪いことをするのは下っ端役人、さらに上の地位にいる善なる支配者がそうした悪事を正すのが良い政治。
という、感覚があるそうです。
日本の『水戸黄門』みたいな感じでしょうか。

だから、監視社会であっても、それが自分たちの生活をより安全により便利にするものだと考える人が多い。
政府も、人々が監視社会を善きものとして受け入れる方向に、言論統制を行なっている。


関連して、アーキテクチャとナッジという言葉が出てきます。

キーワードその2:
アーキテクチャとナッジ

どちらも初めて知ったのですが、アーキテクチャというのは、望ましくない行動を、あらかじめ取らせないよう、デザインすること。
たとえば、車が好き勝手にスピードを出さないよう、道にバンプを設置するなど。

ナッジというのは、自由裁量の中にも、より望ましい行動を取るようにデザインすること。

たとえば、カフェテリアで食べ物を選ぶとき。
自由に選んで良いのだけれど、なるべくなら、野菜を多めに取るとか、カロリーの高いものは控えるとか、望ましい食品を選ばせるために、まず、サラダのコーナーから始め、デザートは、少し取りにくいところに置く、と言った配置をすること。
空港やイベント会場で、列に並ぶためにおかれる移動式の柵、みたいな感じでしょうか。
アマゾンの『おすすめ商品』なんてのもナッジ。

このアーキテクチャとナッジ。
中国では、ネットの監視だけでなく、社会行動のレイティングや信用スコアとして活用している。
中国のネットで『巨大アヒル』や『黄色い熊』といった言葉が検索禁止になっているのは有名ですが、それ以外にも、ネットに投稿した文章が知らないうちに本人以外は、閲覧できない状態になっていたり(そのためコメントがつかず、投稿した人は単に面白くな話題を投稿してしまったと思う)、一部の内容のメッセージだけ届かなかったり(送った方は相手の興味を引かなかっただけ、と思う)など、知らないうちに検閲を受けているそうです。
その結果、人々の行動がより道徳的になったのはたしからしい。

結果、中国でいま出現しつつあるのは、「お行儀良くて予測可能な社会」。


ただし、これは中国特有の現象ではなく、テクノロジーの進歩による監視社会化はすでに止めようがない。
と著者は言います。

たしかに、スパイ物やアクション物の映画では、人混みを歩いているだけで、居場所を同定されてしまう、というシーン、よく出てくる。

だから、監視社会への移行は中国だけの問題ではなくて、身近に私たちの社会でも起こっていること。

大切なのは、大企業や政府による情報管理を、市民がどのようにチェックするか。

ここで、話の流れが一転変わって、『監視社会化』を肯定する思想、功利主義についての話が出てきます。

キーワードその3:功利主義

つぎのキーワードは功利主義

著者の解説によると、功利主義の主張のコアは、①帰結主義、②幸福主義、③集計主義という三つの要素にある。
それらをあわせると、動機と経過はどうであれ、結果として、みんなの幸福に役立つことなら、それで良いじゃん。

と言う結論になる。

例に引かれるのが、有名な『トロッコの問題』
五人の命か、一人の命か、という問題ですね。

絶対に正しい答えがないだけに、この問題は、議論がたくさん出てくる。
さらに、救われる人の特性と犠牲になる人の特性は、どう決めるべきなのか?
どんどん、複雑になります。

このトロッコ問題が重要なのは、近い将来、導入されるであろうAIによる自動運転アルゴリズムや、社会運営の元となるから。

つまり、もし自動運転が実施されるとして、万が一事故が起きた場合、『万人が納得する形で犠牲者が死んでくれると、社会の構成員にとって一番道徳的ストレスが少ない』ことになるから。

ここに、つぎのキーワード

キーワードその4:心の二重過程理論


人間には、ほぼ無意識でかつ反射的に下してしまう判断(システム1)と、様々な要素を考慮し熟慮の結果下す判断(システム2=功利主義)との二種類の認知機能がある、というもの。

前者は、同じ道徳観を持つ者同士で下される分には、問題が生じないのですが、別の道徳感を持つ者同士の間では、諍いが生じます。

宗教紛争や、民族紛争を見てると、全くその通り。

そこで、功利主義的に判断すればどうだろう、と言う話が出てきます。
でも、それって本当に正しいの?
多数決で、一番多い人たちが幸せになる方法で解決すればいいの?


と、ここで最後のキーワードが登場。

キーワードその5:道具的合理性とメタ合理性


道具的合理性とは、自分が行う選択や行為を一定の基準や価値観に基づいて行うこと。
でも、基準や価値観って、時代や社会によって変わってきますもんね。

そこで、道具的合理性よりも一歩高い地点から、目的自体の妥当性への判断を下すのがメタ合理性。

「メタ合理性」は私たちに、あらかじめ決められて目的の下で合理的に振る舞うことはどんな場合に合理的であり、どんな場合に合理的でないかを問いかけよ、と求めるもの


ここがちょっとわかりにくかったので、メタ認知という言葉から推測してみました。

私の理解したメタ合理性とは、たとえばある行動を選択した場合に、なぜその行動がとるべき合理的な行動なのかをきちんと説明できること。


「だって、常識でしょ」とか、
「ひととして、そういうものでしょ」とか、
ましてや「気持ち悪いもん」とか言った理由ではなく。

これこれの歴史や経過があって、こう言う意見もある中で選択したのです。
とちゃんと言えること、そして、構成員もある程度納得できること。

著者は、

少なくとも私たちがより「人間らしい」社会を築こうとするなら、その制度やシステムは道具的合理性のみではなく、からなずメタ合理性が機能するように設計されていなければならない
と言います。
そのために、あるべき社会とは、
ある社会にとってどういう目的を追求すべきなのか、ということを公共の場における議論を通じて吟味しながら、あるいは歴史の中で人々が試行錯誤しながら形成されてきた判断基準をもとに、より広い合理性の観点から判断するような仕組みがある社会。
それが「市民的公共性」が機能している

ような社会である。
と述べています。

そういうのは社会を作っていくのは、いちいち面倒だし、いっぱい考えなくてはいけなくて、議論もあるだろうし、時間もかかるだろうけど、やっぱり大切なこと。
だと思います。

本書の最後に、道具的合理性が暴走した実例として、ウイグル自治区で行われている再教育キャンプの問題が挙げられています。

実際、年末から騒がれている新型コロナウイルス肺炎騒ぎ。
武漢で、デマを広めようとしたとして摘発された市民8名は、実は現地の医師たちで、デマとされた内容も事態の深刻さについてグループチャットで警鐘を鳴らしていただけだった。
と言うことが明らかになって、問題になっています。
同僚が摘発されたことで、危険性について警鐘を鳴らす医療関係者がいなくなってしまい、結果として感染の拡大を防げなかった。

政府のそうした隠蔽体質が今回の騒ぎを大きくしたのだ、と糾弾されているそうです。

この一件が、どのくらい政府の反省を促すのかは不明ですが、中国を国際社会が信用しないのはこう言う行動なんだ、と認識することは必要だと思う。


新しい概念や言葉もでしたが、いろいろな面で勉強させられた本でした。