とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

その言葉、本当にご家族を想っての言葉ですか?

終末期医療の現場にいると、”遠くの親戚(身内)”という言葉がよく出てきます。

どういうことかと言うと、お年寄りや病人が、穏やかな最期を迎えたいと自宅に帰り、介護する家族もサポートするスタッフもみんな目標を一致させて良い看取りを進めている中、いよいよ意識がなくなりあと数日という状況で、突然戻ってきた親族やら身内やらが『何やってるの?!こんなに状態が悪くて苦しんでいるのに、病院にも連れていかないなんて?』と横入りして、強引に救急病院に搬送してしまう事。
これ、少なからずあるんです。

遠くの親族というのは、鹿児島のような地方ですと多くは大都会に出て行った親族。
生き馬の目を抜く大都会で、長年気張って働いて生きてきただけに、強い強い。
大抵、家族の中で一番、主張も声も大きいです。
その上、後から来た(最初から関われなかった)という引け目があるせいか、とにかく主導権を握りたがる。
自分がやって来て”事態が改善した”、というように持って行きたいんですね。

そして、その頃には肝心のご本人はもう文字通り虫の息で、何も言えませんし、家族も介護疲れが出て来ている。
そもそも、家族だって初めての看取りです。
いくら医療者から説明を聞いていたって、これで良いと納得していたって、やっぱり、喘ぎ呼吸の本人を目の当たりにすると、『本当にこれでよかったんだろうか?ひょっとして、まだ何か方法があったんじゃないだろうか?』という迷いはあるのです。
おとなしい方の子供が、気の強い兄弟姉妹に迫られて、とか、年老いたお母さんお父さんが、帰ってきた子供に言われて、とかで、結局は押し切られて救急車を呼んでしまう。

救急病院は、そもそも看取りの場ではありません。
結果として看取ることになるとしても、とにかく生かす事が目的の場です。

言ってみればね、入るお店が違うんです。
おうどん食べたい人を、無理やりイタリアンに連れて行くようなもの。
イタリアンレストランでは、イタリアン料理しか出て来ません、嫌でもそれをいただくしかないのです。

でもこってりしたイタリアンが、その方にとって望ましいかどうか、わかりませんよ。
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それにね、ちょっと待って。
『こんなに苦しそうなのに、、、』云々を言い立てる前に、本当に、本当に、心から楽にしてあげよう、と思って『救急車を呼べ』って言ってますか?
ひょっとして、こんなになるまで他の家族任せにしてて、遅れて来たことへの罪悪感を隠そうとしてませんか?
終末期のあえぎ呼吸をしているご本人を、ただ黙って見守る事が怖いから、最期に立ちあう辛さから逃れたくて、とにかく思いついた手段として言ってませんか?
しばらく(どころか長い事)会ってなくて、久しぶりに見たら見る影もなくなっている本人を見て、動揺してるだけじゃないですか?

安心したいのは、誰ですか?