とりあえず始めてみます老いじたく

ねんきん定期便をきっかけに老活してみることに

ジェンダーとは関係ないこと


仕事の終わり、帰宅前に明日の予定を確認します。
翌日の相棒となる看護師さんと、診察予定の患者さんのリストの確認です。
相棒の看護師さんは、毎日変わります。
名前のところを見て、ちょっとがっかり。
実は、私はその看護師さんが苦手だったりする。
今週は、週初めにその看護師さんだったので、なんとなく勝手に、『今週のノルマは終わった』みたいに思っていたのでしたが、週末にまた当たっていた。
看護師さんの割り振りに、特に法則はありません。
この人とこの人とは相性が悪いから、当てないように、などと言っていたら、ただでさえかつかつのスタッフで回しているので、仕事になりませんもの。

今の職場の看護師さん達は、今まで勤めてきた職場の看護師さんの中では、ダントツに仕事が出来て、性格も良い。
院長が、一人一人、直接口説いて引き抜いてきただけに、みんな優秀です。
私の中でも、全員Aランクに入ります。
だけど人間って、本当に贅沢な生き物。
慣れてくると、そのAランクの中でも、さらに特AとかA+とかA☆とかつけてしまう。

私が、その看護師さんが苦手な理由を、ちょっと考えてみる。
ジェンダーのせいかな、と一瞬思う。
でも、バイト先の病院は手術室での勤務ですから、他の病棟や職場に比べて、圧倒的に男性看護師が多いのですが、組んだら嬉しい男性看護師は沢山いる。
一緒に働く看護師さんが、女性だから安心とか仕事がやりやすい、ということは絶対に、無い。
だから、その看護師さんの性別のせいでは無い。

性格の問題かな、やっぱり。

相性ってものはありますものね。
今の職場のスタッフは、割と男前な性格の人が多い。
声も大きくて、ハキハキしていて決断力がある。
私のように、声はもそもそと小さくて、あれこれ悩んで決め切らない優柔不断な人間には、そういう人の方がありがたい。
だけど、私が苦手だなと思う看護師さんは、少々女性的というか、もの静かで、声も小さくて主張が少ない。

男性優位の九州男子には、珍しいのでは。
と言われそうですが、鹿児島にはこういう男性は案外多いです。
昔、関東出身の母と話したことがあるのだけれど、これは、男性だけ、女性だけと区別されて社会が成り立っていた時期が、最近まで(いまだに)あるからじゃないかしら。

軍隊であれ、ママ友集団であれ、何かしらの行為の遂行を目的としている集団には、その何かを行うに当たって、他の構成員の意見や気分を推し量り調整する部分と、多少、食い違いがあってもそこは無視して決定してしまう部分とが必要だ、と思うのです。

ママ友会なら調整の部分が大きくて、軍隊なら決定の部分が強い、というだけのことで。

そして、その調整力の部分を女性的、決定力の部分を男性的と呼び表すとすると、誰しも、男性的な部分と女性的な部分を持っていて、どちらかをより持っている人、というのが存在すると思うのです。
多分、男性の方が、生来男性的だしさらに成長の過程で、男性的な部分を強調するようになり、同じように女性の方がより女性的になりやすいという、色合いの違いみたいなグラデーションとしてあると思う。

ママ友会だって、誰かが『もうここのカフェにしましょう』と決めないと、おしゃべりの場だって確保できないし、軍隊だって一応は否応無しに統率者に従うとしても、リーダーの決定を他の仲間に解説したり、不満分子を慰めたりする軍曹的な存在がいますよね。

女性ばっかりの集団でも、統率力に優れた人がいないと物事は進まないし、男性ばっかりの集団で、調整力にすぐれた人は重宝されます。

鹿児島のように、長い間、男性だけ、女性だけの組織・集団、で動いていた社会では、だからすごく決断力にすぐれた女性(いわゆる男前な女性)と、逆に調整力にすぐれた男性(いわゆる女子力の高い男性)がごく普通に存在しているのでしょう。
そして、男前な女性というのは、特別珍しい存在ではなくなった昨今、女子力の高い男性が、他所にいないだけに、妙に目立ってしまうだけではないだろうか。
というのが、私と母の推論です。

そういえば、イスラムの国でも首相は女性だったりしますしね。
イスラムの男性は、子育てが上手な人が多いらしい。

女性が強い国というのは、伝統的に戦争が多くて男性が出払ってしまうがために、女性が率先して指導的立場に立たざるを得なかった、という歴史がある国だそうです。

男性が威張っていて、セクハラなんてこの国には存在しない、と言い切る女性がいる日本は、ある意味平和、なのかもしれません。

ともあれ、私がその看護師さんが苦手なのは、そういう問題ではなくて、単に相性の問題かもしれないのですけど。